2006/08/12

恋と喧嘩、トラブル、そして中国語。私を変えた "中国(上海)"

高校卒業後、上京してきて1年が経とうとしていたときのこと。そのとき私は19歳になろうとしていました。そもそもあの当時、18歳の私がひとりでフラっと上海に旅行しようと思った動機とはなんだったのか。10年経った29歳の今、考えてみると18歳でよく1年に3回も上海に行ったり、また台湾を旅行したなと思います。

実際に、この19歳に訪れた4回の中華圏が今の私を形成しているのは間違いありません。2006年のこの年、私は日本各地のリゾートホテルに住み込みでアルバイトしながら、そのお金をほとんど中国に使ってしまいました。

将来は語学を生かした仕事がしたい。そんなことをずっと思い続けていた私は英語圏の前にまず中国に行って中国語を習得しようと思いました。当時、新宿で働いていた私はその仕事を辞め、上海へ旅行に行くことを決心。まだ寒さが残る2月の後半でした。


(空港で撮影)

上海に到着後、もう夜になっていました。とにかく私は夜の上海の街を彷徨った。迷路のような大都会にひとりぼっちで…。そして、恋もして、中華料理も楽しんで、自分の誕生日を孤独なホテルで過ごして…。日本に帰国後、気管支炎になっておばちゃんに看病してもらって…。というような具合。

ちなみに、恋もして…。と書いてありますが、こちらは私事ですので割愛!ってお前、若かったなって思います。あの頃の私はすぐに恋してしまう少女でしたから…。(笑)つまり、ひとめぼれが多かったんです。若いからたくさん恋愛しようという気持ちがあったのも事実ですが…。

その後、私は伊豆半島にあるホテルで4か月ほど働きます。ここには中国人の研修生が多かったので、簡単な中国語を学ぶことができました。すでにこのとき私の性格は中国人っぽくなっていました。自分の感情を隠さなくてもいいんだ。そう思っていたんです。オープンに自分の意見を言う。怖がらない。遠慮しすぎない。など。中国で感じたことを自分に取り入れようと思った。


(上海で私が一番魅力的に映った一枚)

リゾバの契約も満了しまた上海に行くことへ。私が恋をしたある人はなぜかタイランドへ行ってしまったらしいということを、リゾバで仲良くしていた女友達が教えてくれた。というのも、彼女が国際電話でその私が恋をしていた男性に電話してくれたのだ。(当時私は中国語ができなかったので、彼女に代わりに電話してもらったんです)

けれども、上海に行く。それは東京に匹敵する大都会で、第二の人生として何かを始めてやろう!という気合もあったり、もう飽きてしまった東京ではなく、上海という異国の地でいろいろ経験をしてみたいという強い願望からでした。普通の人生じゃ面白くない。若いからこそ挑戦したいという気持ちが本当に強かったのです。

私はハメをはずし、クラブなどに行って交流を広げようと思い、いろいろな人に出会っていたら、ホテルに置いてあったパソコンが盗難されるという事態に…。この出来事が、もう一度上海に戻ってくるきっかけになりました。

公安に何度も通い、パソコンを取り戻してほしいと通報したけれども、警察はなかなか動こうともしてくれなかった。一人の外国人のためにパソコンを探すなんてことをしても何の得もない。これが普通の考えでしょう。私だって同じ立場だったら探さないかもしれません。もっと大きな仕事はたくさんあると思いますし…。けれども私は中国語を覚え、何度も公安に通い、けんか腰で警察の職員に取り返してほしい!と何度も言いました。

そしているうちにその職員や、警察の関係者と仲良くなりました。一緒に大きいパトカーのようなものに乗りながら高速道路を飛ばして、私が知り合ったクラブまで行ったり、その後、警察の関係者とその職員(日本語ができる通訳)と三人で上海料理を食べたり。残さずすべて食べようとした私を二人で笑っていたのを今でも覚えています。

その時、私は日本でいう健康ランド的なところに宿泊していました。その健康ランドの職員とその彼女と3人でカラオケに行ったり、また近くにあったスラム街のPCカフェで知り合ったお姉さんと、内モンゴルから出稼ぎに来ているお姉ちゃんと3人で遊んだり。


(スラム街で撮った一枚)

公安に通っていたあの頃、スラム街で迷子になっていた私をコンビニのおばさんが30分くらいかけて一緒に歩いて駅まで送ってくれたということもあった。お礼にチップを渡そうと思ったが要らないという。言葉が通じず、お礼を言いたくても言えなく、泣きそうになったこともある。

私にはすでにあの頃、日本というものを忘れていた。そんな感覚です。中国という世界に無我夢中で。毎日中国語に接し、中国人のたちに囲まれる。そんな経験を19歳のときにしていた。

結局、パソコンは見つからずに帰国。

帰国後もリゾバで生計を立てていました。すると、国際電話がかかってきてパソコンが見つかったから取りに来い。ということでまた上海に行くことになる。

なんと、パソコンを取り戻すことができた。これは奇跡としかいいようがなかった。

3回目の上海。8月中旬の真夏でした。

私はこのときある日本人男性に誘われて、上海でバーのやるはずだったのですが、断念。本当に何をしていいのかわからない時期だったのですね。そこのバーをやれば、上海のお客さんを接客するのだからおのずと中国語や英語が覚えられるという甘い気持ちだったので、その誘いに乗ったのです。今考えると、当時の私のような若い人にバーを任せようとするのもどうかと思いますが…。

結局私は帰国。というか、北海道に帰ったのです。(笑)

大阪までフェリーでいき、名古屋から北海道までフェリーで行くという船旅でした…。
今でも覚えている。上海港から大阪行きの船に乗って上海の超高層ビルがどんどん小さくなっていく瞬間。

それから、私はカナダに行くのでした。

また、2010年私は上海移住を計画していて失敗しています。(笑)

「上海に移住を試みるが、就職できず帰国。その後、神戸に滞在」

時間が経つといろいろ記憶が薄れていく。けれども、私は上海で体験したあの強烈な出来事は忘れることができないでしょう。この上海滞在が、私にいろいろなことを教えてくれた。みな、立場は違うのだということ。それでも同じ人間であり、お互い助け合って生きているのだということ。

ときには感情をこめて喧嘩をする大切さ。はっきり自分の意見を言う。友達になったら家族のように接する。など。

また上海という街が持つエネルギー。たとえるなら大阪の図々しさを3倍にした感じかな。から得たものも大きい。彼らからは活力をもらいました。

もう10年たった上海は戻ってこない。けれども、この記憶は私の脳の中に存在している。そんな私にはただ何も知らずに中国のことを政治的に批判するという思考はない。なぜならあの頃過ごした中国での日々や、年代関係なく困っていた私を助けてくれた中国人を何人も知っているから。

この記事の写真はすべて当時私が撮影したものです。

以下フェイスブックのコメント。

Junko さん ただいま、タイランドにいるアタシですが、りょうこ先生のほうが年下だと知り、何故かそこに驚愕!
若い頃に海外にいっていると、オープンな性格になりますよね!
アタシは下手くそな英語でなんとか生活してます!笑


松本さん 中国に3年住んでたけど
慣れると住みやすいネ。
食事が合わない人にはムリだけど。。。


石井さん 我的2006年8月12日,我也在上海
http://blog.livedoor.jp/jp1fdi/archives/50734452.html

鳥越さん 中国で唯一行ったことのある上海。大都会であることは言うまでもありませんが、上海の持つパワー、上海人の持つパワーにひたすら圧倒され、一人一人のポテンシャルの高さに刺激を受けた覚えがあります。その後は台湾に一年留学しましたが、台湾に行く前に中国を訪れ、しかもそこが上海でよかったなあといまでも思っています。りょうこさんが最後に書かれていた一文のように、わたしも家族のように温かく接してくれた中国人をたくさん知っているので、あくまで国と国の関係と、人と人の関係はまた別のものとして考えています。

北原 さん センチメンタルジャーニー!旅というようなものではないかも知れませんが、19歳の涼子さんの上海紀行ですね。私の祖父さんの、弟夫妻も、東洋のジャンヌダルク、東洋のマタハリといわれた日本名川島芳子の活躍していた頃上海で美容室を経営していました。もう皆故人ですが。清朝の王族の名字は、皆”愛新覚羅”というらしいですね。普通、李とか馬とか車とか一文字ですよね。それにしても、よこいさんは記憶力抜群ですね。もっとも10年前の出来事ですものね。それに20代では、脳細胞も活発ですね。いつも感心するのですが、どんな場面のことも淡々ともの静かに語られる、これは20代の方の文章としては、稀有なことだと思います。精進して下さい。自称団長。

Sahori さん 19歳のりょうこさんの意気込みが、今のりょうこさんに繋がってるんですよね。
私は33歳で渡米しました。英語も全然できず、10年働いた会社を辞めて行くことが本当に人生に+になるのか?という考えは持たず、前に進むなら絶対に後ろは振り向かない、と強く思って飛行機に乗りました。

仕事をしていた時とは違う時間軸、価値観、人々に囲まれ過ごしたあの2年間は、人生最大の転機となり、今に繋がっています。でも、繋げる努力をしなければただの想い出になっちゃうもの。それを基盤に人生を色濃くするもしないも自分次第。それをこれからもお互いにやっていけたらいいですね♪😊


篠原さん 30年前、初めて出張で中国に来た時にりょこさんの様な行動力があれば自分の人生は変わっていたと改めて今、上海でこれを読んで思う。

2016年09月22日更新