2007/10/31

目黒のおばちゃんの家を卒業。自立への第一歩

私は今まで何度も引っ越しをしてきた。もうここに住みたくないと思ったら引っ越す。ということの繰り返し。この行動はただ感情的に引き起こされているわけではない。若いうちに色々なところを転々とすることは、色々な経験を積めるから良いことだと思っていたからというのもあります。

叔母の家は目黒駅から近く、閑静な住宅街で住むにはとても便利でした。高校を卒業してすぐに上京し、中国人数人と家を借りたが、2カ月くらいで私だけその家を出ることになり、どこもいくところがなく、叔母の家にいさせてもらうことに。

そして、新宿歌舞伎町で働き、ワンルームマンションを新宿で借りてから、目黒のおばちゃんのところを離れたが、次には歌舞伎町の仕事を辞めたので、新宿には住むことができなくなり、リゾートバイトで伊豆に行くまでの間、おばちゃんのところにお世話になる。しかも、その時は上海に旅行に行ったりもしていたので、上海旅行から目黒のおばちゃんの家に戻って気管支炎になって寝込んだり…。



リゾートバイトを3カ所くらい回ったが、どれも肉体労働で続かなく、結局東京に戻ってくることになり、お金もなく住むところもないので、目黒のおばちゃんのところにまた戻る。

このように、私にはいつも甘えられる場所があったのです。誰かの助けに甘えて生きて来た私。

リゾートバイトで肉体労働が自分に向いていないと悟り、データ入力系の仕事に切り替え、そこで働きまくる。そして台湾旅行をした後に、おばちゃんの家も去り、神戸に引っ越しました。

神戸では人生初のルームシェアを体験。ルームシェアジャパンというサイトで一軒家の二階部分を貸してもらえることになったのです。この神戸の生活は、カナダのワーホリビザを取ったあとだったので、カナダに行くということを前提で、その前に慣れない土地で暮らしてみようと思い神戸を選びました。ですが神戸には私にできるような仕事があまりなく、パチンコ屋さんで働く。

またもや肉体労働。2カ月くらいしか続かず、結局東京に戻りデータ入力の仕事でワーホリ資金を貯める。最初は友達の家に居候していたのですが、やはりうまくいかず、

結局、また目黒のおばちゃんの家に戻ることに・・・。

おばちゃんはいつも私の部屋をあけておいてくれていたので、いつでも帰ることができるような状態だった。それにしても、もう戻ってこないと何度思っていても、このように甘えてしまったのです。

ニューヨーク旅行を終え、カナダに滞在し、その後バスでアメリカ横断し、ロサンゼルスから東京に戻った時、友達が大崎の高層マンションでルームシェアしていたので、そこに住むことにしました。ですが、1ヶ月くらいでトラブル発生。

結局、目黒のおばちゃんのところに戻ることに・・・。

目黒のおばちゃんのところには、旦那さんもいたので、うまくやらなければなりませんでした。

北米生活から日本に戻ってきた私は、何をしていいのかわからない時期に入りましたが、とりあえず、ずっと依存してきた目黒のおばちゃんの家に頼らず、自立することに成功。

以後、目黒のおばちゃんの家に戻ることはありません。


以下は記録として。

■私は今まで、おばちゃん(母の姉)の家に5回お世話になりました。

①横浜の生活を捨てたとき。

②新宿の生活を捨てたとき。

③リゾバから帰ってきたとき。

④神戸生活を終え、ニューヨークに行く前。

⑤ロサンゼルスから帰ってきたとき。

つまり、私が2007年達成できたこと。それはカナダへワーホリに行ったことや念願のニューヨーク旅行をしたのももちろんそうですが、目黒の家に依存しなくなったことのほうがもっと大きいものだと思います。