2009/04/21

旧満州地区、中国東北3省への旅

このページでは、約1週間休暇をとって回った中国東北旅行(満州地区)について長々と書いています。私はこの地に特別な思いがあります。なぜでしょう?それは説明できません。北海道出身の私のとって、似たような気候を持つこの旧満州地区は憧れの地です。

将来、北海道の小樽港あたりからフェリーで気軽に移動できるようになればいいな・・・。と願ってやみません。

とても長い記事なので、わかりやすいように太文字で、場所ごとにタイトルを分けています。

◆この旅の目的は以下にまとめられます。
・来年入学する大学を回ること。
・上海以外のエリアを見て回ること。
・この旅をきっかけにこの1年中国語を頑張ること。


(写真は北京のオフィス街、国貿)

◆はじめての北京でノスタルジアを感じる

4月13日(月) 成田国際空港 → 北京首都国際空港
北京首都国際空港に到着。リムジンバスで北京市内に向かう。私はなぜだか、バスの窓から外を眺めながら涙を流していた。おそらくデータ入力の仕事を毎日12時間、しかも夜勤でやりながら、週6日勤務だったのが原因でしょう。同時に私は北京にやっと来れたことをうれしく思いました。

今まで中国大陸では上海地区と青島しか訪れたことがなかったので。私の祖父が他界する約一年前、もし外国へ行けるならどこに行きたい?と訊いたことがあります。祖父は、北京に行ってみたい。と言いました。あれだけ中国や朝鮮の悪口を言っていたのにもかかわらず、祖父が行ってみたいと言っていたのは北京でした。

なぜだかバスから見える景色はノスタルジアを感じさせました。それは上海に初めて訪れたときの感覚に似ています。おそらく、独特な中国大陸の空気の匂いでしょうか?タイヤの匂いのような、排気ガスのような、なんとも言えない昔を思い起こさせる匂いが中国にはあるんです。

そして、リムジンバスが到着した駅からタクシーで積水潭駅という地下鉄駅に移動。私はとにかく北京で健康ランドのようなスパに泊まろうと思っていて、日本で住所を控えていたのですが、2時間くらい歩いても、地図に載っているスパは見つからず。どうやら廃業したらしいです。そのことを悟ったのも2時間後でした。(笑) 時間は深夜2時くらい。それでもこんな住宅街でウロウロ歩いている若者がいるのにもびっくりですが・・。

中国ではお店が開業しても、すぐに廃業してしまうので、こんなことは日常茶飯事。そして、なんとか近くのインターネットカフェを見つけ、すぐにネット検索で見つけ出した違うスパに移動。到着後、スパではぐっすり寝てしまう…。(いつも夜勤で夜は起きていますが...)

◆天津の浜海新区を視察後、タクシーの運転手と口論

4月14日(火) 天津浜海国際空港 → 大連周水子国際空港
次の日、スパで友達ができました…。同い年くらいの人。私が日本人だということを知ると興味津々に話しかけてきました。彼は彼女と一緒にこのスパに泊まりに来ていたみたいで朝食のバイキング時に中国語で会話をしました。

スパを出た後、日本にいる中国人の友達が中国にいる友達に、天津から大連までの航空券と、ハルビンから北京までの航空券を楽しんでくれたので、その彼に会うために北京国際飯店のロビーのラウンジへ。そして現金と航空券を交換。お茶もせず、あっさりお別れ。(笑)

その後、天安門広場を少しだけ通り過ぎて、北京南駅から天津駅まで高速鉄道で移動。

北京南駅から天津駅に到着。天津駅前は治安が悪く感じられ、北京にいるような安心感はありませんでした。とにかく街並みが整然としていなく、浮浪者もたくさんいました。おそらく、北京があまりにも良すぎたのかもしれません。天津駅から少し歩いた場所は観光地になっていて、街並みがきれいでした。でも、大気汚染がひどく、この街自体、私はあまり好きではないかもという印象。

私がこの天津に来たかった理由はただひとつ。

この天津市街から東にずっと行くと、渤海(ぼっかい)がありますが、ちなみに渤海は、黄海(こうかい)の中にあります。私はこの二つの海を同じものだと捉えていましたが…。

その渤海沿いに、上海の浦東新区と同じ規模の CBD (Central Business District) つまり東京でいえば丸の内のようなビジネス街が開発中だという事で、私は是非この目でみてみたいと思い、日本にいるときから事前にこの地区の情報をインターネット調べていました。

将来、北京と天津の都市圏がもっと一体化するでしょうし、韓国の仁川には現在建設中の新都市ソンド(松島)などもあるので、将来性の高いエリア、また私が好きなエリアでもあります。しかもこの天津港は内陸国であるモンゴルにとっては重要な港であるそうです。

(浜海新区の于家堡にある响螺湾商务区)

このように、日々摩天楼は成長していっています。実際に、将来ここが本当に発展していくかは私にはわかりませんが、中国の首都である北京の主要港がこの天津の浜海新区なので、おそらく上海の浦東のようにかなり発展すると思われます。

浜海新区の東海路駅までずっと地下鉄に乗って、浜海新区の景色を楽しみました。(この浜海新区エリアでは地下鉄が地上に出ます。)やっぱり、新しい都市に出会うと、楽しくなります。また私にも仕事ができるチャンスのあるエリアが増えたような気になっているのかもしれません。特に東京のようなクネクネ曲がって歩行者にとっては歩きづらい街よりも、整備された道路がある街が好きです。

東海路駅から新立駅に戻り、タクシーを拾い、本来尊敬しなければならないはずのタクシードライバーと口論。というのも、中国ではタクシーの運転手のことを呼ぶとき、尊敬の意味を込めて、师傅 (shīfu) と言わなければならないらしいのです…。この言葉の本来の意味は、熟練技術を持つ人に対する敬称です。その方がタクシードライバーも気持ちよく運転してくれるという事からでしょう。

なぜ口論になったのか?

明らかに、降りた駅である新立駅からまっすぐ北に行けば天津空港に到着するのに、遠回りをされてしまったのです。おそらくタクシードライバーの無知さが原因だったと思いますが…。そしてタクシーを降りる前に、中国の助手席にはタクシードライバーの身分証があるので、それをパシャリと撮影しました。今までも何度かやっていたことです。今まではタクシーに乗る前に写真を撮っていました。そうすることで、きちんと運転してくれるからです。

そして、そのタクシードライバーはぶっちぎれる。私もぶっちぎれましたが、最終的には”ここで口論しても仕方が無い”と思い、口論させてくれた授業料3元のチップを支払い、サヨウナラ。

(天津浜海国際空港)

天津浜海国際空港は、思っていたより近代的でした。まずは空港内でお食事。とてもまずくて、しかも高い。隣の席には日本人と中国人のビジネスマンが会話していました。

夜遅くに天津浜海国際空港に到着しました。空港では親切なスタッフが格安のホテルを手配してくれました。明らかに北京や天津よりも雰囲気が日本に近いということにビックリ。それは人の雰囲気が北京や天津の感じとは違ったということを私は強く感じたのです。

特に女性の雰囲気はもうちょっと柔らかかったような気がします。そしてやはり中国の北方人は全体的に背が高く、特に上海にいる中国人とは容姿がかなり違う。

空港の人が手配してくれた4000円くらいするビジネスホテルに夜遅く到着。とにかく大連の中心部を徘徊。中心部では日本語がたまに聞こえました。都市自体は北京や上海に比べて大きいとは言えず、一カ所にドカーンと人の集まるエリアがあるというようなイメージでしょうか。ですが、洗練されていて、さすが第二の香港と言われるくらいある大連だなと思いました。

大連には日系企業や韓国系企業、他の欧米系企業がアウトソーシングしたりする拠点となっています。それで外国人にとても開けた文化を持っている都市で、日本語教育もさかんな場所です。


(大連は大きすぎもせずちょうどよいサイズの都市です)


北朝鮮に連行!?ビクビクしながら乗った怪しいワゴン車
  
4月15日(水) 大連から北朝鮮の国境都市丹東へワゴン車で移動する
この日は大雪。早朝に大連のホテルをチェックアウトし、丹東行きのバスを探す。バス、どこにあるの?バスターミナルには、丹東行きと思われるバスは見当たらない…。そして、私の両親が幼児期に使用していたトヨタのエスティマがあった…。

そのワゴン車の中には数名の中国人が乗っていました。ニセモノのブランドを着た青年、不安そうな顔をしたおばさん。え?私がここに乗るの…?と思いながらも、とりあえず大雪なので乗ってしまうことに…。私が1番に心配したのが、このバスが本当に北朝鮮の国境に接する都市である丹東行きなのかということでした。変な田舎で止まって帰れなくなったらどうしよう?という不安。しかも、車の中では運転手のおじさんはペチャクチャうるさく、外は大雪で視界があまり見えないので景色を楽しむことすらできない状態。

時間が経つにつれ、晴れ上がってきた。ワゴン車の中は、私を合わせて9人。数時間後、どこかに連行されることもなく丹東駅付近に到着したのですが、そのワゴン車は町中をぐるぐる回っています。どうやら降りる人は場所を指定しているので全員、指定した場所に降ろしているようでした。そして、最後に私の出番でした。

なぜかわかりませんが降りるときに、追加代金、日本円でおおよそ2000円くらいを請求されたので、クレジットカードしかないって大きな声で怒鳴ったら、払わなくてよいことに・・・。中国では怒鳴れば勝ちです。何回目の中国旅行だと思っているの?それくらい知っている私は心の中で、よし勝った。と思うのでした。私は実際この中国人の適当さが好きです。




すぐに北朝鮮の国境がある鴨緑江まで歩きました。川岸には北朝鮮の修学旅行生?らしき集団と、その1番後ろに細長い銃を持った女性が立っていました。鴨緑江(おうりょくこう)とは、北朝鮮と中国の間にある河のことです。私はこの記事を書くまではっきり名称まで知りませんでした。この写真にある向こう岸が北朝鮮です。何もない農村のような地区だと思われます。

一方、中国側の丹東は栄えているので、鴨緑江沿いはこんな町並みです。

鴨緑江を観光した後、中国元がなくなってきたので、両替しようと思い中国銀行に行きました。中国銀行の前に立っていたおじさんが両替をしてくれると言ってきてたのですが、信用できなかったので、もちろん両替はしてもらいませんでした。それにしても、中国では国有企業の前でさえ、どうどうと個人経営の両替屋さんが立っています。どういうことなのでしょう。

◆丹東から瀋陽までバスで移動
瀋陽行きのバスの中から見える農村の風景はとても複雑な気持ちにさせました。そして悲しくなりました。なぜでしょう?そこは、私が知っているような大都市の中国の姿とは違い、何もなかったからです。教育さえもないのでしょう。こんなところに人が住んでいるの?というような道路さえもあまりない場所。つまり100年前に存在していたかのような集落がそこにはたくさん広がっていました。

私は、中国人にこの話をしたらいやな顔をされましたが、バスが通っている高速道路の下に広がる農村。その時私はバスの窓を開けました。すると、とても変な匂いがしたのです。よく説明できませんが、それはちょっと掃除をしていないようなトイレのニオイのようでした。原因はわかりません。できれば、農村に降り立って中国の農村の現状を知りたかったのですが、それをするにはかなりの勇気が必要。実際に私は中国の大都市にしか行ったことがなく、農村に住んでいる人が多数を占める中国を本当に知っているとは言えないのが現状ですね。

(イメージになってしまいますが、このような荒れ果てた街を高速道路から見下ろしました)

ところで丹東からの瀋陽行きのバスの中では面白い体験をしました。それは坊主でふくよかな40代くらい男性が私が日本人だとわかると、中国語で色々質問してきたことです。私もその男性に尋ねました。

日本の印象はどうですか?彼は言いました。

北海道が素晴らしいという印象があるねあとテクノロジーとか進んでいる印象がある。

私が北海道から来たというと、彼は微笑ましく喜んでくれました。私たちが日本の技術やアニメのお話に花を咲かせた後、私は、思い切って歴史について尋ねてみた。あまり嫌な顔もせず、過ぎ去ったことのことを気にしている人は実際、あまりいないよ。と教えてくれました。外国に憧れている若者が多いってことなんでしょうか?しかも、バスの中ではまさに中国人を虜にした北海道で撮影された映画を流していました。この映画は中国でもっとも有名な映画で、しかも撮影地が北海道。これよりも北海道ブームが起きているくらいです。その映画の名前は、狙った恋の落とし方。

瀋陽に着いたのは深夜でした。そして、派手で色鮮やかな高層ビルのネオンを見て、つい先ほど丹東という北朝鮮の河岸にある比較的中国では小さな街からバスでやってきた私にはこの瀋陽という街がラスベガスのように見えました。

瀋陽は、意外なくらいの大都会でした。北京でも上海でもない新しい中国の大都市に来たような気分でした。大連は東北3省の中の最先端都市ですが、人口やダイナミックさとなるとやはり瀋陽が東北3省の中で一番の大都市で、そして心臓です。


◆ラスベガスのように見えた東北最大の都市、瀋陽


(瀋陽で朝鮮族が集まる街、コリアンタウンの西塔地区)


◆瀋陽で出会った70歳くらいのコンビニ経営の親日家
私はまず西塔地区にある健康ランドのような場所に宿泊。デポジットを預けて、外出許可をもらったので、外をブラブラ徘徊しました。

そして健康ランドの近くのコンビニに買い物。すると、個人経営のコンビニエンスストアの69歳のおじいさんと話すことに。

彼は”多くの中国人は日本人が好きです”と言いました。私には彼が朝鮮族なのか漢族なのかわかりませんでしたが、彼の日本語はかなり流暢でした。本当に久しぶりに使ったという感じではありましたが…。”過去のことは、もう過ぎたこと。それよりも若者は日本の技術やモダンなものに憧れているとそのおじいさんは言っていました。

4月16日(木) 友達の実家に泊まる。両親がタクシーで瀋陽を案内
そして、翌朝に日本にいる中国人の友達のお父さんとお母さんが健康ランドまで迎えに来てくれました。瀋陽では最初からその友達の実家で過ごすと決めていました。

彼の両親はタクシーで色々連れて行ってくれました。まず、私はずっと行ってみたかった東北大学に。ここで大学生活が送れたらなと思いながら期待と夢を膨らませて。友達のお父さんがタクシーの運転手なので、そのタクシーに乗って行きました。残念ながら瀋陽の中心部には行かず、家に行くことに。家の中はとても暇。しかも、瀋陽は今日一日しかいられないのでじっとしていられない。なので、友達のお母さんに瀋陽の中心部に行きたいとお願いした。そして二人でバスに乗って瀋陽北駅まで明日出発の長春駅行きの切符を買いに行くことに。



とにかく想像を絶するほどの排気ガス、騒音にひどく悩まされ、友達のお母さんに八つ当たりしてしまう…。旅の疲れもあったのでしょう。それほど、この瀋陽という街には悩まされました。でも、それが好きだということにも気づきました。友達の実家にはまだ友達の部屋が残っていて、そこでグッスリ寝てしまいました。

4月17日(金) 瀋陽から長春に鉄道で北上
次の日、昨日切符を買いに来た瀋陽北駅まで友達の両親が送ってくれました。そして電車が出発する時、疲れ?悔しさ?色々な気持ちがこみ上げて泣いてしまう。

きっと、相当疲れていたのでしょうか?そして、中国語が全く伝わらなかったのと、友達の両親が私のワガママに親切に付き合ってくれたこと。言葉は通じなかったけれども、一緒に夜ご飯を食べたりしたとき、まるで私の両親のようでした。そして色々な気持ちが混ざって、またこの瀋陽という街に来てやる。と強く思う。

ちなみにこちらの写真は瀋陽の南部にある開発地区です。瀋陽はソウルのように都市部の真ん中に川が流れているので、瀋陽の江南地区のような感じになりそうです。



長春の吉林大学で教授夫婦にお世話になる

汽車の中で泣いていた私の右には窓。左には若い男性。目の前には向かい合うように二人の女性が座っていました。恥ずかしさなど何もなく、ただ泣いてしまいました…。

私が泣き止んで数時間後、ちょうど鉄嶺駅を過ぎたあたりかな?目の前に座っている同年代くらいの中国人女性と汽車の中で仲良くなりました。

そして四平駅を過ぎ長春駅に到着するとその同年代くらいの中国人女性が私のために身分証明書を貸してくれたのです。その女性は彼氏と長春駅で久しぶりの再会だったのにもかかわらず・・。

なぜかというと、中国の大部分では外国人の宿は指定されていて、安い宿に泊まることができないので、彼女が私の変わりに身分証明書を提出してくれたのでした。もちろん宿の人もそれを目の前で見ていましたが何も言ってきません。私は当初、長春に到着してから宿を探そうと思っていましたが、私はすっかり彼女に助けられました。

私がこの長春という街に寄った理由は大きく分けて3つ
1.中国東北地区最大の大学である吉林大学を訪問すること。
2.満州時代に日本人が建設した第二の東京を実際に見ること。


この公園の形、碁盤の目に整えられた道路。これは満州時代に日本人の計画の下、設計された都市です。今の日本にこんなに計画的に作られた美しい都市はありますか?聞くところによると、当時、日本列島にもなかった水洗トイレは、ここ長春にあったそうです。それは、当時の日本人がパリを超える大都市を作ろうとしたからだそうです。(インターネット上で読んだものなので確かな情報ではありませんが)まさに私が泊まった宿は満州時代に建てられたものであり、水洗トイレも上から水が流れてくるパターンでした。その建物をいまだに使っているのが凄いですよね。

こちらのソースをご覧ください。(在瀋陽日本国総領事館の公式ページからの抜粋です)
1906年に長春駅が新設され,交通の要衝としての価値が高まった長春は,1931年の柳条湖事件により関東軍の支配下に置かれ,満州国が建国されると満州の首都として「新京」に改称された。満州国時代は日本人技師による積極的な都市計画が実施され,現在の市街地が形成された。なお,「長春市」という名称は1932年に中華民国政府により用いられたが,その後満州国時代(新京)を経て,1945年に改めて長春市に改称された。(Reference)


こんな並木通りが突き抜ける大都市も日本にあったらいいですよね。特に緑との調和が素晴らしいです。大阪の御堂筋ですら、長春のように完全な直線の並木通りではないのです。

ですが、この長春の並木通りは直線で、しかも横幅が広いです。そして、今もなお、受け継がれているという事実。実際に日本の建築物はたくさん残されています。これを当時、日本列島に住んでいる人たちの税金を使って建設したらしいです。

話は戻って、私は吉林大学を見学し、日本語学科の教授と話すことができました。教授の奥様も教授のお部屋にいらっしゃって、三人でお話をしました。お二人とも大阪大学とトロントの大学に通っていたようです。そして、”教授として、ここで暮らす生活は本当にのんびりしている”

とおっしゃっていました。私もそんな風に言ってみたいものです。そして奥様が延吉にあるホテルを予約してくださりました。

長春駅に戻って、バス乗り場を駅員の若い女性に聞いたのですが、その女性もまた親切で、歩いてバス停までわざわざ連れて行ってくれました。私の中国旅行は、多くの中国人に助けて成り立っています。

本当に素敵な街です。私はこの中国の東北部は初めてなので、こんなに色んな人に助けられて、驚きと戸惑いでいっぱいでした。


◆延辺朝鮮族自治州最大の都市、延吉での不思議な体験


4月18日(土) 長春から延吉へ移動

長春からバスで移動。昨日は長春で色々な方々に助けられました。

バスの中では気分が悪かったです。なぜなら瀋陽の友達の家にお世話になって以来、ずっとシャワーを浴びていないので…。もうこの農村の景色にも慣れてしまう…。高速道路を走っていたバスは、サービスエリアで休憩となりましたが、トイレには石鹸がなく、ずっと洗っていない私の手は汚いまま…。これから、延吉で泊まるホテルは長春で泊まった宿よりもマシなことを願う…。

そして、バスは延吉の步行街という場所に到着。居心地の良いホテルでリラックスした後、バスターミナルで明日出発の牡丹江行きのバスチケットを購入。北朝鮮に最も近い都市である図們市にも行く予定でしたが、時間もなく、断念。本当に行きたかったですが…。なぜなら図們市という街はロシアとも国境を接しており、中国・北朝鮮・ロシアがトリプルになっているとても興味深い地区だからです。ここ延辺朝鮮族自治州(えんぺんちょうせんぞくじちしゅう)は中華人民共和国に属しますが、その中でもどこの地域にもない独特な場所です。

(街はこのように、朝鮮語の宣伝看板で溢れ返っています。)

私は延辺大学を見学しました。ここの大学の学費は少し高いようです。では、なぜ北京や上海から離れた、しかも北朝鮮の真上に位置する都市の、こんな田舎の大学の学費が高いのでしょうか?それは、この大学に入学すれば、中国語と朝鮮語を同時に学ぶことができるからです。その為、中国からも、外国からも人気のある大学なのだそうです。

しかも、多くの学生が日本語を話せるのに驚き…。聞くところによると、朝鮮語環境で育ったこの地区の人たちは日本語を学ぶのが容易で、第二外国語として日本語を専攻する人が多いそうです。そして、それに憧れた中国の各地の人がこの都市に朝鮮語や日本語を勉強しに来るのだそうです。

(街はこのように、朝鮮語の宣伝看板で溢れ返っています。)

延吉市内ではこの写真のように、ほとんどの施設には中国語と朝鮮語で表記されていました。

そして、私が気づいたことは、やはりこの延吉という街ではファッションを参考にするものが全て韓流だったということです。私は髪の毛をすいてもらいに美容院に行ってみましたが、ヘアーアイロンで私の髪の毛をまっすぐにする朝鮮族の腕は、私が今まで見てきた日本人の美容師よりも上手でした。それには本当に驚きでした。500円もしない美容院でしたが、その質は高かったのです。延吉には、また何度も来たいです。

そして、何よりも北海道人の私にとって地理的に近いこの延吉という都市には親近感を覚えざるを得ません。日本人があまり訪れないこの地区には、もっと直行便が飛んで欲しいです。


◆ぼったくりと、駅のおばあちゃんに助けられた牡丹江

4月19日(日) 延吉から牡丹江へバスで移動
牡丹江に向かうとき、バスは途中、農村で停まりました。私は人生で初めて中国の農村の地を踏む。ですがやはり空気に対しては心配していました。そして牡丹江ホテルに到着。駅前にあるこのホテル。本当に名前が牡丹江ホテルです。

その後、午後3時~5時くらいまで昼寝?夕寝?してしまいました。
起きてから少し中国語の学習。そして、顔を洗おうとシャワーの蛇口を捻るが、お湯がでません…。しかも、エアコンが偽物でした。つまり動かない。

牡丹江という街はとてもつまらない街でした。私は中心部しか歩きませんでしたが、地下街など歩いていたような記憶しかありません。やはり若者はみな瀋陽や長春などの都会に出て行ってしまうのでしょう。延吉と都市的な規模があまり変わらないはずなのですが、なんか本当に田舎という印象でした。

4月20日(月) 牡丹江からハルビンまで移動。
昨日は朝8時のバスチケットを購入したのですが、やっぱり7時のバスに乗りたかったので、朝早めに駅に向かいました。そしてホテルを出る際の受付の清算時に受付の女性は私をぼったくろうとしました。私は200人民元をデポジットしていていたのに、まるで私のデポジットは存在しないかのような態度で、更に200人民元を要求してきました。

私はキレて、取り返しましたが…。彼女の表情には、当然でしょう?という悪意の顔が・・(笑)それくらいしないと中国ではやっていけないのでしょう。


(再現写真。正直、受付まではよく覚えていません。私の日記によると牡丹江飯店と書かれてあったので、ここしかありません。)

その後、ホテルから牡丹江駅までの距離を2分くらい走って、牡丹江駅の切符販売員と交渉して、昨日購入した朝の8時のチケットを7時のチケットに変えてくださいとお願いした。

でも、切符販売員はダメと言いました。でも、その近くにあったキオスクのような駅にあるコンビニで働いているおばあちゃんが私のところに歩いてきて、そして販売員に言いました。

”この人は、日本人よ!”

すると販売員はすぐに7時のチケットに切り替えてくれました。私が日本人だからなのか、それともキオスクのおばあちゃんにパワーがあったからかはわからないですが、この場面はとても感動でした。しかも急いでパニくっている状態だったので余計に・・・。

それは、日本人(外国人)というだけで、守られているような感覚。ちなみに、そのおばあちゃんとは昨日少し話したのです。なのでおばあちゃんは当然私のことを覚えています。

ハルビン到着、そして北京で中国人の優しさを感じる  

ハルビン駅に到着したが、すぐにハルビン太平国際空港に向かい北京に戻る
ハルビンを観光しましたが、何か特別なものは発見できませんでした。(牡丹江もそうでしたが。)なのでハルビン駅に着いてからすぐにハルビン太平国際空港に向かいました。スーツケースを持ちながら移動することにかなり疲れ果てていました…。ハルビン空港では、なぜかお土産屋さんの人と仲良くなり、QQを交換…。そして、北京行きの飛行機が探せなくて、慌てまくる…。

ハルビン観光を終えた私は、ハルビン太平国際空港から北京首都国際空港へ戻りました。
明日、空港から日本に戻りますが、もう北京に来ることもないと思い空港から北京市内に戻る。そして北京の中心部、王府井に行きました。ここは東京でいえば、新宿のような場所です。

歩いていた若者の集団に中国語でインターネットカフェの場所を尋ねると、親切にもそのうちの1人が私を20分くらいかけて、そのインターネットカフェまで連れていってくれました。彼は友達と一緒に遊んでいたのに、私のために、わざわざ案内してくれたのです。感動でした。その後、150元くらいの安い宿を発見。

(夜の王府井はライトアップされていてとても雰囲気が良いです)

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