2009/11/17

北米(アメリカ・カナダ)~上海滞在までの約2年半

この記事では、カナダのワーホリから帰ってきてから上海に滞在するまでの約2年半の出来事を振り返ります。

この2年半を簡単に振り返ると、以下のようになる。

①2年間も頼っていた目黒のおばちゃんから独立することができた。
②2人の彼氏ができ、少女から女性に変わった。
③日本語教師養成講座を受講。
④ヨーロッパ旅行(ロンドン・パリ)を達成。
⑤日本大学を通信で入学。(中国満州の大学を見学したりもした)
⑤100万円貯金し上海就職のために中国語の基礎を固めた。

こうやって改めて振り返ってみると、無駄な2年半だったと思っていたけれども、結構もがいていたんだな。って今感じることができます。


カナダで暮らす!と張り切っていた私もカナダでは日本食レストランくらいしか働き口がないことを悟り、日本に帰国してデータ入力のような仕事をしながら英語の勉強をやり直そうと決意。カナダの空港からではなく、長距離バス(グレイハウンド)で3日間ほどかけて、ロサンゼルス滞在後、日本に帰国した。

「長距離バスでアメリカ大陸横断後、ロサンゼルスに滞在」

そんな私は20歳だった。そして、20歳にもかかわらず自分と同い年の人たちや、年上の人たちにも少し態度が出かかったと思います。態度がでかいというよりも、アメリカやカナダに行った後、なぜか日本人がちっぽけに見えたのです。アメリカやカナダ、つまり北米ではたくさんの人種がいて、コミュニティが分かれていて、インフラ以外は日本の先を行っているイメージ。

日本に帰ってきて、とりあえず大崎のタワマンでルームシェア。北海道の同級生がそこに住んでいたので行先のなかった私はそこに住むことになる。

すると、私はまたすぐに目黒のおばちゃんのところに住むことになる。


ここにも書いているのですが、東京の目黒区に私の母の姉が住んでいて、私には困ったらそこに住むという悪い癖がありました。結局今回で、目黒のおばちゃんの家に住むのも、卒業することができたのですが…。

その後、リゾバで一緒に働いていたお友達の会社で雑務をしたり、データ入力のような仕事をし、中野区に引っ越して、また恋愛をして・・。というような、特に夢もない日々を送りました。

ワーホリに行ったけれども、英語は中途半端。英語関連の仕事をしようという気持ちすら起きないレベル。もちろん英語関連の求人など見たりすらしませんでした。ただ洋楽を聴いたり、歌ったりして自己満足レベルの英語力。

今までワーホリだけを追い求めていた私も、何か手に職をつけなければと思い、日本語教師の資格を取るために、通信で講座を受講。彼氏と過ごしてる間も宿題などしていたくらい…。

2008年には、彼氏とも別れ、西新宿の近くにある中野坂上で生活する。(2008/04/01~11/30
私はこの時点で、ロマンスを追い求めることはやめてしまった。


そして、仕事は変えるが、やはり仕事内容はデータ入力のまま。また、ロンドンやパリ旅行に行き、韓国にも3回ほど行った…。あとはアルバイトの日々…。



2009年には、中国語を本格的に勉強しようと思い単語を吸収しまくった。満州旅行に行ったのも、2009年でした。私がなぜ満州に行ったかというと、中国の安い大学を探していたからです。


2009年、私の課題は学歴をどうにかするということでした。つまり大学を卒業したい。ということがずっと頭の中にあったのです。そのため、いろいろな大学の第二学部(夜間)を調べたりしていました。青山学院大学、横浜国立大学などを回ったりしていました。

2009年はとにかく夜、静かにコツコツと働いていました。そして上海に住んでいる友達から、一緒に住まないか?ということで、上海に行ってしまう私。(笑)

満州などの大学も見て回ってきましたが、中国の大学に行くには、たとえ格安の学費だとしても4年以上の生活費と学費を貯金するのには、あと何年もかかる。つまり貯金が足りなかったので上海で就職しながら通信の大学に通おうと思って、10万円という格安の料金で日本大学に入学。(2009/09/01~)教材を上海に持って行って上海で就職しながら、仕事をしようと計画。



上海で就職し、社会人経験を積みながら通信教育を受けて大学の単位をとる。こんなに賢い方法はない!そのように当時思っていました。

ちなみに、英語で、通信教育とは何て言うのでしょうか?
"Distance learning" と言うそうです。

通信教育課程[講座]は、このように言うそうです。
"Correspondence course"

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