2010/01/14

上海に移住を試みるが、就職できず帰国。その後、神戸に滞在

2009/11/16 →大阪からフェリーで上海へ。(上海移住)

今後、アジアの中心になると言われている中国で生活するのは私の夢でした。東京からずっと離れたくて一生懸命働いた2009年。

家族で関西を旅行した後、私は船でここ上海にやってきます。

この記事は、2009年11月16日から、2010年1月14日までの約2ヶ月間、私が上海で過ごしたことを綴っています。


◆大阪港からフェリーで上海港へ。その後すぐに瀋陽へ飛ぶ。
◆上海での就職活動。
◆中国語のお勉強は、メル友と会ったり、教会に通ったり。
◆私が上海でよく通った場所。
◆自分の外国語力のなさを悟り、帰国してニューヨークを目指す。


◆大阪港からフェリーで上海港へ。その後すぐに瀋陽へ飛ぶ。

まず、上海移住というのは以前からの私の夢でした。実際は上海移住というよりも、日本脱出や中国移住といったほうが正しいかもしれません。

上海へ向かうフェリーの中では、なんだかよくわからない集団とお話をすることに…。フェリーの乗客のほとんどは中国人で、日本人はほんの少しだけ。

障害年金を受給しながら、カンボジアや東南アジアを旅行しまくっていると自慢げに話す日本人男性と、韓国語が話せる独特な日本人男性と会話をする羽目に…。私はあまり関わりたくないので避けていましたが、船の中で同じ国の言葉が話せる人がいると、必然と話さなければならない空気に…。世の中にはいろんな人がいるのだとと思うばかり。そんな狭苦しいフェリーの旅も終え、上海に到着。

11月18日に上海に到着しました。

私が上海に来た目的は、数カ月前に日本大学の通信学科に入学したので、上海で社会人経験を積みながら、通信のお勉強もするということです。それまで、深夜のデータ入力で多くの時間を犠牲にしてきて、この上海移住の為にせっせと頑張ってきました。正直にいうと、上海移住することを目標にお金を貯めたわけではありませんが、ちょうど日本人の親友が上海で働いていて、誘われた感じです。私はもともと大学に入学するために多くの時間を犠牲にして今年はたらきまくっていました。当初、中国東北部の大学で漢語本科生として中国語を学びながら、大学の卒業証明書をもらいたかったのですが、金銭的にも将来的にも日本にある通信教育生として学業もしながら海外で社会人経験を積んでいったほうが、自分のためになると考え、上海にやってきたわけです。

上海に到着後、私はすぐに瀋陽へ向かいます。以前旅行をして一番気に入った都市であったため、また来てしまったのです。

「満州最大の都市、瀋陽で約二週間滞在」

12月3日、瀋陽から上海へ戻る。

瀋陽の寒さや、体調にあまり気を付けなかったせいか、風邪をひいてしまい、上海では熱で数日間寝込む。私を含め3人でハウスシェアしていたのですが、その同居しているうちの一人が東京の浅草で飲食店を営んでいた中年のおじさまで、毎日おいしいご飯を作ってくれて看病してくれました。

It was kind of him to cook meals. 

私は彼においしい米の炊き方を学びます。米を炊くとき、最初につかった水が米を吸い取るので、ミネラルウォーターの水を少しコメに漬かせて、その後の水は中国の水道水でも大丈夫という話でした。

彼は50代過ぎですが、浅草のお店を畳んで、上海で新しく人生をやり直したいといい来たようです。50歳過ぎなのに、とてもバイタリティのある元気な方です。

しかし、上海移住でまさか知らない人と一緒に住んでいるとは思ってもみませんでした…。彼は私の親友が上海の掲示板かどこかで見つけて、仕事が見つかる間、住ませてあげているような感じです。


◆上海での就職活動。

仕事が見つからなければ話にならない。そう思いながらも、結構ダラダラしていたような気がします。私が面接まで行ったのは以下です。

パソナ上海
一緒に住んでいる親友から紹介してもらいました。ここのコーディネーターは30代過ぎの女性で中国人男性と結婚しているそうです。その方から、敬語・謙譲語・丁寧語など、私の弱みなどを指摘され、真摯に私の足りないところを突いてくれました。こういう方は、本当に大切しなくてはですね。

日系のロジスティック系の工場に面接に行ったのですが、不採用。

◆中国系の人材紹介会社
浦東地区にありました。中国人の友達が私にオススメしてくれました。とにかく、行かないより行ってみるほうがいいよ。と、落ち込んでいた私を押してくれた形で・・。その友達も就職活動を頑張っていたので、私のことを相当気遣ってくれたみたい・・。コーディネーターの男性は、日本人が着るような細いスーツを着ていて、雰囲気とかも日本人ビジネスマンの雰囲気があったのでやけに緊張してしまいました。日本語もとても上手で、こういう人に会うと、私がどれだけ努力してこなかったのかを考えさせられます。結果、大学卒業ではないので、紹介はしてもらえず・・。その人にはちゃんと大学に行ったほうがいいよと言われてしまう…。

◆アメリカ系の医薬品会社 around 2010/01/04!?
とにかく海外で英語を使用した経歴が欲しく、この会社の面接に参加しました。

募集内容はこんな感じでした。(意外と簡単なポジションだったのです)
・日本国籍の日本人
・日本にある製薬会社と連絡取れる日本人
・日常英会話程度ができる

これなら、面接に受けてみるだけの価値はある!と思いながら、電話で面接の予約をしました。そして、面接当日、正直かなり緊張していたのと、意識不足であまり覚えていないのが現状です。

意識不足?あまり細かく意識しながら面接に望まなかったためです。英語は感覚でしか話せないし、自分の言いたいことすら何も言えなかった状態でした。

でも、地理的な場所は覚えています。浦東地区でした。面接担当者はインド人でした。おそらく部長でしょう。それに二人の中国人もいました。私と同い年齢くらいの男性と女性。私は日本のスタイルでとても畏まっていました。つまり、背筋を伸ばし、緊張した状態で面接が始まるのを待っていたのです。そしたら、もっと、リラックスして。ここは日本じゃないのよ?と中国人女性が言ってくれました。私はとても怯えるように待っていたので…。

そして、そのインド人の部長らしき人との面接が始まった。私は経歴のことをいろいろ聞かれるのではないかと思って心配していたのですが、その人は私に今後何がしたいのかとか、家族構成とか、個人的な質問が多かったです。


私はもちろん採用されませんでしたが、ここに面接にこれたことは有意義でした。初めてマルチカルチュラルな職場を自分の目でみることができたし、日本に帰って、英語や、人生のいろいろなことをやり直す決心もつきました。職場見学で終わってしまった今回の職場ですが、面接に行けただけでもよかったと思っています。


◆中国語のお勉強は、メル友と会ったり、教会に通ったり。

QQというチャットを使い30人くらいの中国人のメル友と会う
私は何年も前からQQをしていて、メル友がたくさんいました。そんな人たちとお茶したり、散歩したりして、中国語で交流。近所にある洒落た豪華な上海の図書館で中国語を勉強したり、中国映画を観に映画館に行ったり、カラオケに行ってみたり。

メル友との出会い。これはこの上海生活でもっとも私が印象に残っていることかもしれません。何カ月もやり取りをしていた人と会って話す時間は本当に楽しかったです。
"QQ International" を使って中華圏の友人を増やす」

◆上海の教会行事で多国籍の人たちと接する
同居している親友の紹介で知り合った同年代くらいのマイさんと台湾系アメリカ人(マイの友達)、マイの幼馴染でふくよかな男性と教会の集まりに行きました。

マイは日本人と中国人のハーフ。そしてその友達のふくよかな男性は中国人。彼はその教会の集まりでは、香港人のふりをしていました。なぜなら、外国人だけが入れる教会の集まりで、基本的に中国人はその集まりに参加することができないからです。

高層マンションの一室で行われたこの集まりでは、様々な国の人たちが集まっていました。その中でも、インド人の女性が一番印象的でした。なぜなら、彼女は英語が話せるインド人であるにもかかわらず、英語に関しても謙虚に、「あまりできません」と言っていたし、動作が上品に感じたからです。
ヒンズー教の国から来ているのに、上海でこの教会の集まりに参加しているというのにも驚きましたが…。(笑) みんなで、キリスト系のビデオをみましたが、眠くて…。私は後半ほとんど目を瞑っていました・・。

外国人と接することができた凄く刺激のある時間でした。あと、よく日本にいそうな感じの色白の女性がマレーシア人だったのに驚きでした。私はずっと日本人女性だと思っていて、しかも彼女の英語がとても流暢なので、ライバル心を持っていましたが、それもマレーシア人だと聞いてすぐに消えてしまう…。(笑)


(写真はイメージとしてマンダリン・オリエンタルホテル・シンガポールです)

その後も、マイと会うたびに、東華大学で行われたキリスト教系の講演を英語で聞きに行ったりとか、マイの誕生日に参加したりとか、マイと出会って本当に色々なところに連れて行ってもらいました。

その中でも、とても私にとって衝撃だったのが、マイの誕生日パーティーの自己紹介の時、私だけ英語がうまく話せなかったこと。

マイは、日本育ちで上海に住んでいる中国人の女の子で、英語も話せるので、3カ国語を流暢に話せます。彼女の誕生日パーティーには、全部で15人くらい集まって、半分以上は、その女の子のキリスト教徒つながりでした。そのため英語を使わなければならない状況に置かれたのです。

そして、自己紹介タイムがあったのです。これは忘れることができない苦い経験になりました。

◆まず、そこにいた人種構成
・私ともう1人沖縄人含めて日本人2人。
・中華系ブラジル人
・国籍不明の黒人
・中国人4人・マレーシア人1人

ちなみに、その誕生日パーティーは彼女が住んでいる徐家汇にある高層マンションの一室で行なわれて、(ちなみに陶喆という台湾の実力は歌手の祖父母が同じマンションに住んでいるらしいです…。)

そのとき、私だけがうまく自己紹介できなくて、声が震えて、とても恥ずかしい思いをしました。

唯一、初めて会って、まだ知り合いにもなっていない沖縄人が私の自己紹介を頷いて聞いてくれました。(やっぱり日本人って優しいね。)

そのとき、今までずっと、英語ができるものだと思い込んでいた私にやる気を奮い立たせました。私がなぜ自信を持って英語を話せなかったというと、

・品詞すらわからないレベルで、使えるフレーズを繋げて話していた。
・発音の基礎に自信がなく、間違ってたらどうしようと思って声が震えた。

つまり、文法も発音もしっかりやってこなかったのです。やってきたことといえば、単語の勉強とフレーズを友達と話したりして、自分は英語ができるのだ。と勘違いしていたことです。

これはインド人との面接でも思い知らされましたが・・・。


(上海でも数えるほどの巨大なモール正大広場)

◆日本から中国人の親友が上海に遊びに来る
とても長く続いている友達で、一緒にホテルに泊まりました。彼と会ったとき、彼が中国人なのに日本のファッションで、言動も日本人っぽいのでとても安心する。

そして翌日、正大広場という上海でも数えるほどの巨大なモールに行く。

ここは上海の若者が集まるスポットのうちの1つでもあります。上海で若者に人気の街と言えば、外国人観光客があまりやってこない徐家匯という東京で言えば渋谷のような街、そして中山公園という駅に隣接された大型ショッピングセンターなどもありますが、私はオリエンタルタワーの近くにある近代的なこの浦東地区にある正大広場が気に入っています。

そこで、彼の中国人友達何人かと会い、ご飯を食べたり、会話を楽しみました。正大広場には今まで何度も足を運んでいます。

私の住んでいる威寧路駅から正大広場までは1時間くらいかかりますが、

冬だし、上海の外は空気が汚いので、こういう大型ショッピングモールでブラブラ歩くのは私の日課でした。この距離がちょうど散歩に良くて…。


正大広場では、彼の友達(みんな中国人)たちと、アイスを食べたりしていました。そして私は中国語があまり話せないので、そのほかの友達とは英語とか日本語を交えて会話。ですが、英語で問題が発生・・・。私は、アイス屋さん流れていた音楽のことについて、さっきの曲もう一回聞きたい。という、さっきの。という英語すら知らなかったのです。 "The song played earlier" という普通の日常会話が出てこなく、その中国人にも、はっきり本当にあんた英語できるの?と言われてしまいました・・・。

私はこの数カ月ずっとこの上海に住んでいる中国人たちと中国語だけで頑張ろうと思って、勉強しまくりました。そしてなんだか疲れてしまって・・・。英語も中国語も中途半端な状態。残っているものといえば、数十万の貯金だけ。

そして、私は日本に帰って、今まで興味も示さなかった英語の資格を取ることや、文法をやり直す決意をしました。中国語の前に英語を完成させようと強く心に思ったのです。


(いつになったら、ストップするの?と思えるくらい次々に超高層ビルが建てられていく上海)


◆自分の外国語力のなさを悟り、帰国してニューヨークを目指す。

上海で思い知ったのは、大学の卒業証明書がないと、働けないということ。そして、自分の英語力のなさに改めて気づいた期間でもありました。上海移住を諦めて神戸に戻ることは当初も想定していたことですが、実際に以前住んだことのある神戸に住むことに。

上海で一緒に住んでいた親友は、昔一緒に韓国や豪州、グアムへも旅行に行ったことのある仲で、今回一緒に生活できたことをうれしく思っています。

何度も旅行に来た上海。クラブで遊びまくったり、ボロ宿に泊まってパソコンとケータイが盗まれてしまったり、この街は私にいろんなことを教えてくれました。

そして、上海の高層ビルが高くなっていくのと同時に、私もどんどん年を取っていき、この高層ビルみたいに成長するのでしょうね。

上海移住には、失敗してしまいましたが、これらの失敗が私をより成長させるのは間違いないでしょう。

その後、数カ月神戸に滞在しました。


私は、よき友人に恵まれていることをとても感謝しております。そして、今年こそ、もっと独立し、強くならなくてはならない。と思っています。


I am grateful for them. そして、この日本という国で生まれたことに感謝している。

職業訓練校で毎月10万円を保証してもらいながら、神戸にある学校で無料でお勉強しようと思ったのですが、関東に引っ越すことにしたため断念。神戸滞在中に、関西国際空港、鶴橋(コリアンタウン)散策など散策。また、以前お世話になっていた神戸下垂水区のお部屋にお世話になりました。まだ、以前使っていた自転車もあって、不思議な気持ちでした。

[2010/01/14-03/01]

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