2010/09/27

中国の張家口で日本語教師を担当した約1ヶ月半

約1ヵ月半の間、私はこの何もない北京からバスで5時間以上もかかる、万里の長城の主要な門でもある大境門からも近い都市張家口で日本語教師として生活しました。

この記事はとても長いので、大文字でわかりやすくカテゴリ別に分けました。

◆張家口とはどんな街?
河北にある地級市、山間の盆地に位置する街です。モンゴル語でカルガンという名前でも知られていたことからもわかるように、北には内モンゴル地区があります。

この張家口という街は、北部から中国が襲われないように北京を守るための場所でもあり、2022年北京・張家口冬季オリンピックの開催地のうちの1つでもあります。

農業、牧畜、食品製造産業などがこの街の主な産業で、路上では安い野菜がたくさん売られています。気候は東京のように湿気がなく、真夏でもエアコンが必要ありません。


張家口の山から見下ろした景色。ここは、北京まで迫っている砂漠の始まりの場所あたりです。)


◆なぜ、こんな中国ど田舎の何もない街で日本語教師になろうと思ったの?

それは、たまたま海外の日本語教師求人情報をみていたときに、いくつか応募していてすぐに返事がきたのがこの学校だったからです。(学校名は控えさせていただきます)

私自身、日本語教師養成講座420時間の修了証は2年前くらいにとっていたのですが、海外のどの地域でも日本語教師の給料は安いので、なかなか海外に出ようと思う気はありませんでした。ですが、派遣社員としてデータ入力の仕事やコールセンター、プログラミングなどの仕事をしている自分が、本来自分がしたいことではないという強い確信、そして何よりも、ちょうど今年の1月上海に移住しようとしたが失敗して日本に帰ってきたこと。そしてアメリカ移住をしようと試みたが、それを失敗してしまったこと。など色々なことが重なって、給料が安くても日本語教師として経験がつめる居場所を探していたところだったのです。
「上海に移住するが、就職できず帰国」

給料に関してはとても安く、日本円で3万5千円程度。ですが、2LDK のとても広い部屋で1人で住むことができましたし、食べ物もいつも校長と食事をしていたので、出費はほとんどありませんでした。

しかも、授業に関しても、1日2コマあるかないか・・。1コマ1時間くらいだとしても、1日2時間働くか働かないかですね。とにかく時間がゆったり過ぎていました。そして日本の生活なんてすっかり忘れて、ここで普通に暮らして、何の不満もない自分に驚くばかり。

この張家口という外国人さえも住まないレアな街での生活は、私にとってお金には決して変えられない思い出を残してくれました。


◆生徒さんたちと過ごす時間(特に山へ何度も行く)


校長が日本に出張している間、私が担当している授業の生徒さんたちがピクニックに行きたい!と言い始めて全く授業ならない日がありました。このコースは来月9月に終わってしまい、ほとんどの生徒さんは日本に留学することになっています。そのため、全員で思い出を作れる日がもう限られているため、この日を使って外で授業をするという名目でピクニックに行きました。

女性教師が担当している授業の生徒さんたちとも、また違う山に行きました。こちらは本格的で、山の奥まで行き、バーベキューをしたり、ボートに乗ったりしました。ドアのないトイレも生まれて初めて目にしました・・。山道がちょっと難しく、蜂にさされそうになったり大変でした。今回の山散歩?はちょっとレベルが高く、本当に冒険しているようでした。

生徒さんは私の写真をたくさん撮ってきて、私はなんだか女優?気分でした。思いやりのある生徒さんに感謝。

その他にも、以前、ここの生徒さんで、今は名古屋の大学に行っている男性と女性教師と山散歩しました。

山での思い出はこの3つくらいですが、私にとって張家口で生活した中でとても印象に残っていることが山です。山にいると、何が起こるかわからないという不安などから、同行している人たちの絆も強くなるし、自然に浸かることは本来の人間の姿なので・・。

他の生徒さんの思い出として、夏休み限定のコースに参加していた生徒さんたちとピザを食べたりも。15人くらいで一斉に・・。しかも、ちょっと料金が高い上、ほとんどビーガン生活をしている私にとっては、私のお金はどこに行ってしまうの・・!という感じでした。

ですが、今考えれば大切なひと時でした。この夏休みコースの初級クラスの生徒さんたちのほとんどは、中国各地の大学などに通っている方たちです。そして夏休みだから実家に帰ってきて、することがないので、授業を受けているという方が多かったです。


張家口で体験したこと
色々あるのですが、疲れ?なのかわかりませんが、何度か金縛りになりました。それを校長に相談すると、両手を下着の両脇に固定させたほうがいいとアドバイスを受けたので、そお通りにして寝てみると治りました。

いつも家から学校まで行く間に、いわゆるスラム街があってそこを通っていかなければならないのですが、そこに卵売りの少年が暮らす小さな小屋があって、彼は卵を売るとき以外は、虫が飛んでいるにも関わららず、気にせずにずっとベッドの上で寝ていました。その光景が今でも忘れられません。

張家口の講演では夜になると、特に老人が集まって踊り始めます。太極拳とはまた違い、音楽を流しながら、踊ったりするのです。私はもう一人の女性教師とよく夜公園に行きました。とても楽しいヒトトキ。日本では老人が仲良く公園で踊るという事がないので、この文化は素晴らしいと思います。


◆まったく理解できていなかった中国文化
私は以前にも中国と台湾を合わせて合計5回訪れていますが、中国にはマナーというものは存在しない。と思い込んでいて、

校長と生徒さんの両親と一緒に食事した際に、お名前は何ですか?というフレーズの敬語が咄嗟に出てこないことがありました。それで第一印象を悪くしてしまったことや、中国ではなんでも正直に言えばいいと思い込んで、なんでもストレートに感情的になっていた部分もありました。

食事のあと、校長と生徒さんのお母さんは、お会計のときに、私が払う!!って伝票の取り合いをしていました。こんなの日本では見ない光景。つまり、払った方が見栄を張ることができるということなのでしょうか?それにしても、こういう中国の文化が私は好きなのです。



◆終戦記念日に、中国人と戦争ごっこを体験 (2010/8/15)
私が授業を担当しているクラスの生徒さんの知り合いが、格安で張北という張家口の北部に位置する場所に連れていってくれることになりました。そこは張北草原という美しい自然が広がっている地域です。


(張北とはとても空気がきれいな高原です)

生徒さんは、女性と男性。

そして、張北に格安でワゴン車を手配してくれて運転してくれた業者は二人の男性。(彼らは女性の生徒さんの知り合いです)

そして、私ともう一人の日本人女性の先生。

計6人で出発。

張北に向かう間ワゴン車の中で何か不自然に感じることが1つありました。それは、生徒さんが私たち日本人教師2人のことを、韓国人だと言っていたことです。

え?私韓国人にされちゃってるの?そんなの絶対に嫌!と心の中で思っていましたが、考えてみれば今日は日本でいう終戦記念日。そんな状況も把握できなかった私…。

今まで何度も空気が読めないといつも言われ続けてきた私でしたが、ここでもきちんと中国の事情を知ろうともしていなかった自分を恥ずかしく思います。


ちなみに8月15日の日本での正式名称は、終戦記念日ですが、(日本でも呼称に関しては議論があります)
中国での正式名称は、対日戦勝記念日です。このページでは終戦記念日を使用させていただきます。

張北に着くと、苏蒙联军烈士陵园 (Reference) という日本語に直せない(中国語のインターネット上にしか存在しない為)場所に降りることに。

私は張北で何をするのか全然知らされていなく、あまり興味もなかったのでただ車に乗って景色を見ていただけなのですが、こんな抗日の記念館のような場所に来るとは想像もしておらず・・。

ここでは先生2人対生徒さん2人で戦争ごっこをしました。長い銃を携え、迷彩服を着て、銃を撃つフリをしたりして、実際にどんな戦争だったか、その草原の中を歩き回れるのです。そういう体験がここの観光の売りと言ってもいいでしょう。生徒さんたちは写真を撮りまくっていました。(笑)

その後、防空壕みたいな場所にも入りました。

(張北の風車。こういう開放的な場所は憧れます)

その後、風車がたくさんある風の強い丘にのぼりました。中国には何回も来ていますが、張北に来て思ったのは、中国にもこんな空気のきれいな場所ってあったの?ということです。北海道を思わせました。気候も乾燥していて過ごしやすいです。


◆最後に

私には反省しなければならない点がいくつかあります。

まず、張家口に滞在していたときの私は、ただ日本語教師として経験が積めればいいとか、英語の勉強ができればいいとか、そんなことしか頭にありませんでした。

中国文化の理解についてもおろそかにし、そこで人間関係の亀裂が生じました。結果、私はこの学校を去ることになりますが、私の日本語教師としての第一ステップが張家口であったこと。これは決して忘れることができません。ここで過ごした時間、人たち、環境。

今回私が強く気づいたこと。それは私なんかでも教壇に立つことができるんだ。ということです。

英語でいうと、 I am cut out for [to be] Japanese teacher

自分だけ切り取られる→群を抜く→日本語教師に向いている

となりますが、まさに私は天職をここで発見できたわけです。

実際に日本語教師になるための学校に通ったわけではなく、通信教育で日本語教師養成講座420時間の修了証を取得したので、もちろん教壇に立つのは初めてで、先生になるには早かったのかもしれません。しかし、ここで学んだことは絶対に次につながると信じています。

張家口を離れる際、最後は校長と軽いハグでお別れ。そのとき、私は校長が親のように感じました。強い女性。そしてこの1ヶ月半の間、私の面倒を見てくださった器の広い校長に感謝しています。

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