2011/05/10

南京で過ごしたリッチで忙しかった3ヶ月

"I reached in Nanjing." →長い旅の末、やっと着いたイメージが、"reach" にはあります。

まず、南京駅に到着。

(この湖は南京駅前の湖です。南京の街は整備されていて非常にきれいです)

まず、南京の中心部は?というところから…。とりあえず、日本語学校がある目的地は地下鉄の地図でわかったので、大きめのスーツケースもあるし、楽々でタクシーで行こうと思ったのだけれど、バイクが私の前にやってきて、格安で連れて行ってくれました。

たくさんのタクシーに声をかけられたのに、なぜか私は格安のバイクを選んだ。

でも、予想外だったのがバイクに乗っていると手が寒い…。なぜかというと、後ろに縛ってある大きめのスーツケースを抑え続けていたからです。手が冷たくて、そんな中、バイクは南京の並木通りを通り過ぎる。そして高層ビルが見えてきた。以下の写真はその大通りの写真です。シャープって日本の会社じゃん。日系企業は南京にあまり進出していませんが、堂々とシャープの宣伝がされています。(笑)


南京の駅から中心部に向かう並木通りはとても美しいです。南京駅で事前に日本語学校に電話したら、日本人?らしき男性が電話に出ました。しかし、学校で待っていたのは日本語が堪能な中国人男性。私はてっきり日本人だと思っていました…。

そして、その学校に到着。知らない人ばかりで慣れない中、その中国人男性が住んでいる寮に案内してもらうことに。もちろん一人部屋だし広かったです。でもシャワーがしづらい環境で…。試行錯誤。

南京の日本語学校は、このビルの最上階にありました。ここは市の中心部です。東京に喩えるのなら、銀座の三越がある交差点あたりにとても近い立地です。

地下鉄駅が縦と横に交差している駅の近くにあるのですから、本当に中心部です。

この日本語学校は南京でもかなり高額で有名でした。

そして、日本人の先生が二人しかいない状態で、100人以上いる生徒に対応していたため、1日があっという間に過ぎていく、そんな毎日でした。生徒さんたちは、中学生から65歳のお年寄りまで、弁護士や、教師、といったさまざまな職業の人たちでいっぱいでした。

私はそんな彼らから頼られ、そして自分自身も仕事に来ているというより、この学校を経営しているというような気持ちで働くことができたため、とても楽しく充実した日々を送ることができました。

仕事はこのビルの高層階↓結構立派なビルでしょう?(笑)


この学校での私の役割、それは初級レベルで中国人の日本語教師が文法や基礎を教えるのですが、それを通り抜けた生徒たちに日本語を教えることです。ただ会話をすればよいというものではなく、この学校独自に開発された教科書を使い授業のタイムスケジュールを作成し、それに沿って教えるという形です。

生徒数は、100人以上、おそらく200人くらいいたかもしれません。見たことない人も結構いたので・・・。みなが毎日学校に通うということではないのですが、学校には多数のコンピュータが設置されており、授業を受けない生徒たちも、コンピュータで日本語の問題などを解きに来たりしていました。また日本文化を発信するということで、日本料理を作ったり、そういう関連の行事も何度もありました。

私ともう一人の日本人女性が2人、常勤講師として働いていて、その他に非常勤の日本語教師が二人。1人は大学院生、もう1人は中国人の妻。

この学校に到着してすぐ、春節が始まったので、私は最初に案内されたシャワーがちょっとおかしいドミトリー(寮)で孤独な1週間を過ごしたのはいまでも忘れません。

これがイラク戦争?戦争のような春節(旧正月)、どこにも行くところがなく・・・2011/02/03

私の新年はこの派手なお正月とともに始まるのだろうか。孤独なこの何もない広い屋で一人でおびえていました…。戦争という言葉を簡単に使うことは現地の方々にはとても失礼かもしれませんが、イラク戦争とはこういう感じだったのかと、頭の中でずっと考える数日間…。

町中の空気が汚染され、夜中にもかかわらず鳴り響く爆竹の音。一体、いつになったら終るの?と苛立つ私…。どこにも行く場所がありません。スーパーはやっていない、デパートも、何もかもやっていない。人はどこにいるの?と言いたいくらい。

そして、南京に来たばかりなので地理がわからない。ここはどこ?中国人の先生も寮にはいません。なぜなら、彼は実家に帰ったからです。

ついこの間、彼が私に、”スーパーで1万円くらいする暖かいジャンパーをお父さんにプレゼントしたいんだけれど、これどうかな?”と微笑んで聞いてきたことを思い出した。日本の男性とはこんなシチュエーションになったことがない。中国は本当に家族主義…。

家族を本当に愛していて、それを人前で言うことに抵抗がない。日本の場合、もちろん多くの家庭では自分の家族を大切にしたり愛している気持ちはあるけれど、それを絶対に口にはしない。私はこのような中国人の国民性が好きです。

(この状況お分かりいただけますでしょうか?私は戦地にいたような感覚でした。まさに戦争状態…)

私はたくさんの疑問と不安でいっぱいでした。なぜ、中国人は環境を汚してまでこんな風習を続けているのだろうか・・・。そして、これは春節が終わるまで、我慢するしかないのだろうか?現在、私の財布の中身は空っぽに近いので旅行すらできない状態…。ただ近くのスーパーでこの間買ったカップラーメンを啜る(すする)だけ。

そんなとき、無錫に住んでいる日本人の友達のところに遊びに行くことになり、やっと開放された気分にれました。そのお友達とは一緒に豪州(オーストラリア)にも行ったことがあり、お互い気を遣わなくてもよい間柄です。彼とは似ている部分もあり、結局彼は中国で働いている。そして私もなぜか中国に来ている。まさに、同じような人がまためぐり合うですね。

ところで、私はペスクタリアンなので、食べ物にも当初困りました。食べたくもないインスタントラーメンを啜るのはもう嫌…。ということで、春節が終わって、学校で先生を始めてから、学校から近いコンドミニアムを契約したんです。3ヶ月契約なので、3ヶ月分一気に支払いました。

新しいコンドミニアムはホテルのようなお部屋で、家具も揃っていたし、エアコンがガンガン聞くようなお部屋だったので、自炊もできました。

特に、山芋や大根を買ってきて料理したり、デパートにある日本食コーナーでポン酢を買ってきたりして、日本料理を楽しんでいました。また、韓国のコチュジャンも…。

やっぱり、外国にいると日本の味噌には恋しくなりますね…。


(家はコンドミニアムの高層階…といった日本に住んでいたら私の経済力では到底できないことが、ここ南京では実現していました…)

この写真は私が実際に住んでいたコンドミニアムから撮影したものです。方角的には南向きの窓だったのですが、実際に住んでいた時はこちら側が北側だと勘違いしていました。なにせ、南京なんて来るとも思っていなかったものですから・・・。

南京は、このように道路の両脇に並木があり、都市の景観は中国でも有数といえるほど、きれいだと思っています。とにかく中心部は碁盤の目のように設計されているので、迷うこともあまりありません。また上海に対抗心を持っています。

南京は日本人がほとんどいなく、外国人も少ないため、しかも上海に行かなくてもなんでも揃っているので、隠居生活気分を味わうことができました。


普段、そっけなかった生徒さんからこんな手紙を。彼女は南京では珍しい朝鮮族。この学校に来るとき、日本人の先生はどんな人?ということで対面したのが彼女と出会った最初の場面でした。他の中国人学生よりも私にとっては親近感を持っていた部分があります。なぜ?朝鮮族だから?日本にもよくそうな顔立ちだから?よくわかりませんが、それは内面からでてくるものだったのかもしれません。南京にいると、やはり日本人やまた日本人に近い韓国人が恋しくなるものです。またそれも不思議ですね。


学校を辞めた後、

数日間家に籠っていました。せっかく借りたんだから・・・といういじでしょうか?(笑)これは、南京の記念館や合肥へ行く前のことですが・・。だいたい合肥に行くまで1週間くらいは家に籠っていたような気がします。


"I was cooped up in the room all day!"


■私がこの南京滞在期間に足りないと感じたこと。または思ったこと
◆学術的に後れをとっており、論理的思考に欠けている→母国語強化の上、論理的に話せるようになりたい

■南京で達成したこと
◆ずっとアヤフヤだった敬語(尊敬語・謙譲語・丁寧語)をみっちり学習。または説明ができるレベルになった

■今後達成したいこと
◆OXFORD3000単語を覚えること。

また、私は冒険家だったとツクヅク思います。お金がない中、中国と韓国を綱渡りのように移動し、生き続けた…。


まさにこんな感じ…。

I was adventurous

ちなみに家を出るとき、豆乳のマシーンとか色々、お手伝いさん!?(お部屋を毎日掃除してくれているおばちゃん)にあげたら喜んでくれました…。

こんな記事もオススメです。
「複数言語を操るマルチリンガルになるためには?」

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