2013/03/03

足立区でホームレスと生活した約半年間

韓国の大学に留学する前と、韓国の大学の冬休みに日本に帰ってきた際、私は足立区でホームレスと生活をしていた。とはいっても、私が直接ホームレスたちとかかわることはなかったのですが…。

(こういう人たちがたくさん住んでいる場所で生活しました)

事の始まりは私が韓国から約半年間ほどの語学留学を終え、日本に一時帰国したときのことでした。6月あたりに帰国し、9月には韓国の国立大学に入学する予定だったので、約3ヶ月間、どこでもいいから安いところに住もうと思ってインターネットで格安で住める場所を探していたのです。

ルームシェアジャパンをはじめとするサイトを探しまくり、横浜の関内に1万2千円で暮らせるところを発見。ここはある町内会館の二階に複数の二段ベッドがあり、そこのベッドが部屋になるというわけです。お風呂はなかったので、ジムの会員になり、お風呂だけ利用していました。
ルームシェアジャパン - ルームメイト募集掲示板

横浜でとにかく何でもいいからアルバイトをしなくてはと思いランドマークタワーで配膳の仕事をするのですが、体力が続かず辞め、国勢調査のデータ入力をすることになりました。仕事中はとにかく眠く、職場も江東区という1時間以上かかる場所。仕事中に眠ってしまいそうになり、これじゃやばいと思い、またもやインターネットで格安で住めるような場所を探していたら、足立区に2万4千円で、シングルベッド一つ分くらいの広さの部屋がきちんと壁で仕切られていて、しかもシャワーボックスまでついているところを見つけました。

すぐにそこへ下見に行き、引っ越し。1階、2階、3階まであり、私は3階に行くことへ。幸い3階には数人しか住んでいないので、隣の部屋にも誰もいなく、プライベートがかなり確保されている状態だった。ちなみに、3階に上がるには、1階を当然通らなくてはならず、1階は3階とは全然違い、高齢者がたくさん住んでいました。ほとんどは、シングルベッド1つくらいの部屋に閉じこもったままでテレビを見てるのですが、なぜ、こんなに高齢者が多いのか?そして、なぜこんなに異臭がするのか?ということに関して当時の私は考えている暇もありませんでした。

意識は常に韓国に戻ること、友達ともほとんど会わず、英語で物事を考えていた時期でしたので…。

そして、ちゃんと睡眠がとれるようになったので、江東区のデータ入力の仕事も、無事に期間満了で終了することができた。

韓国に戻り、正規留学生として大田の国立大学の英語英文科に入学。

そして、冬休みになったので、12月中旬にまたこの部屋に戻ることになる。

19日にヒューマントラストやネオキャリアという派遣会社に登録し、とにかく電話の仕事をする。5万円で買ったデルのパソコンの調子が悪いので、パソコンを修理に出して、ドン・キホーテで暖房を買ったり、色々忙しくしていました。

調子が悪い = Computer starts to act up
修理に出した = Send my PC for repair

12月21日ごろ、ノロウィルスをうつされる。とにかくいてもたってもいられないような寒気に襲われ、とにかくお風呂に入りたいという気分。吐き気がすさまじく、吐き気はするのだけれど吐くものは何もない状態…。 I feel queasy. 鳥肌が凄く立ち、しかも寝ているときにうなされている。うならないと、つらいってこういうことなのかということを知る。

電話のお仕事がしたくなくて、仮病を使って休もうと思ったら本当にノロウィルスにかかってしまったのでもうあの会社には行かないことになりました。

次の日、ディズニーリゾート付近にあるユーラシアという温泉で一日中過ごした。少しでも熱をさげるために、一日中入っていた。薬を飲んだらよくなっていきました。ここは天国のようです。特にリラックスできるラベンダー?ハーブの香りがこのユーラシア全体に広がっていて、癒されます。


23日(日)にテレマーケティングの仕事を辞め、職業訓練で知り合った女性の友達と再会し、私は投資家になる!!なんて宣言していました。

ロバートキヨサキのベストセラーである、金持ち父さん、貧乏父さんを英語版で読みふけってしまう。以前は、司法書士になりたいなんていう一時的な夢もあったんですよ?英語の高級単語を勉強すると、色々な語彙に目を通すので、おのずと色々なことに関心がいってしまうようです。

Ideal wasn't 司法書士, but investor.


ちなみに、2012年12月26日は、第2次安倍内閣誕生したときです。

2013年01月始め、渋谷のデータ入力を夜勤で一日だけやった。もうやらないと思っていたデータ入力ですが、冬休みに日本でお金を貯めないと、学校に行けなくなってしまうので必死でした。ですが、やはりここは私がいるべき場所ではないと確信し、1日で辞めるというより、なかったことにする。もうこれ以上、やりたくない仕事はしたくない。

2013年1月16日(水)に、はじめて家庭教師 (Private teacher) として自分の生徒を持つことに。北千住駅から上に少し行ったところにある五反野駅の中学3年生の家に行く。高校受験のための英語対策。

この時、私は確実に英語で食べていく第一歩を踏み出しました。中学校レベルの文法を教えながら私自身も復習し、そして、声に出して読ませる (I let him read a loud in English) 

ことを何度もしました。

読ませる。私はあまりこの言い方はすきではないのですが、なぜなら命令っぽい感じがするため。日本語では先生と生徒は対等ではないので、このような表現になるようです。話し言葉の時は、読んでもらうと言っています。

そして、国立国会図書館のための、インターネットで閲覧できる新聞などをスキャンするための作業を1ヶ月ほど短期でしていました。1月~2月までだったので、3月あたりから始まる春の学期まで、およそ1ヶ月ほど時間が余っていたので、昼間は英語のアクセントや発音を徹底的に検証し、夜は家庭教師で3人の生徒さんに英語を教えるということをしていました。

私は最初の学期で、英語をうまく話せなく、なぜネイティブでもない中学校の先生の韓国人やタイ人がきれいな発音をできるのか?と疑問に思っていて、それは発音記号を覚えることにあると確信し、OXFORD3000単語の発音記号をすべてこの期間に覚える決意をしたのです。

シングルベッド1つくらいの狭さの木で囲まれた部屋の中にパソコンを置いて、ひたすらアクセントと発音を勉強していました。

最後に、ここを出る数日前、2013年2月4日(月)に結核になった人がここのシェアハウスにでて、保健所から皆検査するようにという命令がでました。そうです。注射されてしまったのです。(笑)

結核 = tuberculosis [tʊˌbərkyəˈloʊsəs]

もちろん何もありませんでしたが、あのときは本当に恐怖でした。家中に保健所に来なければならないという通知の紙がばらまかれていて、一瞬、これって人生の終わり?と思ったり。

大田にバスが到着したとき、自分の国だと錯覚してしまった。

I confuse here with my own country.

My experiences shaped myself today. I don't need to afraid any more. It shaped completely, amazingly. They gave me a chance to turn over a new leaf and time to think my past over. 

I am extremely grateful to my parents.You know? For ages I didn't allow myself to write diary. 

過去の経験が今の自分を形成している。私は何も恐れる必要はない。なぜなら、時間が経つにつれて、それは驚くほどに形成されていく。そして、ゆっくりだったものが高速に変化していく。

私は両親に感謝しています。高校卒業後に、大学の費用などは払わないといわれ、私を独立させたこと。

こういう出来事を人間は忘れていきます。忘れなくても、思い出さない期間が多くなり、自分が何を頑張って、どういう苦境にいたのか、豊かになってしまうと忘れるものです。私はこの記事をいつでも読めるように、ここに書きました。

確実に私は英語を頑張り続けていた。というのを、またこうやって思い出すことができるのです。

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2015年12月20日更新