2015/03/17

実は北海道という、多様性の中で育っていた私

私は今まで気づいていませんでしたが、自分の人生(特に幼児期)を振り返ってみると、多様性の中で育っていたということに気づきました。小さい頃から私が好む人は、ちょっと違った人です。ちょっと違ったという意味は、つまり、少数派の人々です。その少数派とは英語では、みなさんがご存知の通り、マイノリティと言います。私も、マイノリティでしょう。いろんな意味で…。
十人十色。いろんな色があっていい。いろんな色があるから美しいの。so many men so many minds

私は、ダイバーシティという言葉がとても好きです。このカラーペンシルのように、さまざまな色があって、この世の中は成り立っていると思うからです。だから、私はアメリカ滞在のロサンゼルスから東京に帰ってきたとき、とても衝撃を受けました。それは、東京に着くと、黒いスーツを着た男性ばかり…。ロサンゼルスでは、色々な人種、ライフスタイルが目に見えるように楽しめたのに…。つまり、私は人生で初めての逆カルチャーショックを受けたのです。ロサンゼルスはいろいろな意味で、多様化していました。そして、私も、私らしく過ごすことができ、ロサンゼルスに長く住んでいる日本人女性にもいろいろと、考えさせられました。「アートヴィレッジ大崎ビュータワーでルームシェア
ちなみに、こちらがお台場にある ダイバーシティ東京です…。これでなんとなく、多様性っていう単語も覚えられそうですね…。

よく、diversity っていう単語は、 diver + city で、ダイバーの都市じゃないの?と聞かれるのですが、diversity の赤字の部分は、diver ではなく、divert が語源だったのです。divert とは方向を変えるという意味ですから、何かを変えるという意味で、多様性にも繋がりますね。

さて、私が幼いころ北海道で仲良しだった人たちは、いわゆるアイヌのひとたち。近所にはたくさんのアイヌが住んでいました。でも、そのころは、何も知らなくて。私はこの記事で、大和民族だとかアイヌ民族だとか区別するつもりはありません。北海道にもともと住んでいた人たちのことを指しています。私はアイヌ文化にとても興味があり、少しずつ言葉を学んだりしています。よく、父方の祖母が、いつもアイヌに助けられてきたと教えてくれました。はっきりした証拠はありませんが、もしかしたら父方の祖母もアイヌだったかもしれません。イリテレイト(読み書きがあまりできない)祖母は、私が小さいとき、おもしろがって、私にアイヌ語で話しかけていました。

中国東北部(いわゆる満州)から移住してきた中国人、少しハンディキャップを持った子など、私の友達にはいわゆる少数派が多かったのです。その中でも、私が小学校1年生になるころまで、ずっと仲が良かったお友達がいるのですが、その男の子も満州からきた中国人でした。ですが、もちろん中国語はあまりわかりません。両親は中国語で会話しているのですが、おそらく、両親が中国語の教育は必要がないと判断したのでしょう。もしかしたら、私に隠していただけで、中国語がペラペラだったかもしれませんけどね…。

そのためか、私は大人になった今でもその少数派に興味があるという面ではなにも変わっていません。
(現在のアイヌ民族のイメージです)

なので、当然、上京後も、東京では外国人の友達を作るようにしていました。その中でも、よく関わった国のひとたちは、
イギリス人
フランス人
ドイツ人
中国人
韓国人
アメリカ人
ポルトガル人
台湾人
ロシア人
ガーナ人
アゼルバイジャン人
カザフスタン人
でした。

逆に関わったことのない国の人たちは、
イタリア人
スペイン人
イスラエル人
メキシコ人
などです。

そして、私は常にそういう多様性のある場所を求めています。多様性とは英語で、ダイバーシティと言います。アルファべットで書くよりも、カタカナで書いた方が覚えやすいため英単語は書きません。お台場でも、ダイバーシティという言葉を使っていますが、まさにお台場にはピッタリな言葉ですね!どこへ行っても、どんな人でも受け入れられる大きな器が欲しい。そして、そんな気持ちを大事にして、これからも、たくさんのものを受け入れていきたいです。

北海道という場所が、どんな人でも受け入れる土地柄だというのは変わらないでほしいと思います。日本国、そして北海道を愛するものなら...。ハンディキャップをお持ちの方、動物、ご高齢の方にやさしい社会を作っていってほしいです。