2015/04/16

お前はマジメすぎる!!丸の内の外資系に勤務して学んだこと

今考えると、丸の内に勤務したこの50日間は、必然的だったのかもしれない。と思い始めています。あのとき冷静に考えることのできなかったこの期間を一年後振り返ってみたいと思います。

なぜなら、時がたつと確信できるようなことっていくつもありますし…。

そもそもなぜ、丸の内に?

とても不規則な夜勤をしていた1月と2月の数十日間、私はずっと夜勤の英語対応に疲れ切っていました。ストレスがたまる一方。不規則な生活を続けていると、心に余裕がなくなってしまうのですね?また夜勤で働いている人たちも、夜は愚痴を言ったり、自慢を言ったり、とてもじゃないけれど、よい環境とは言えませんでした。そのため、親友と会った時に、顔色が前と全然違うね。と言われることも…。

私って、そもそもこんなところで働くはずじゃなかったのに…。と、派遣会社にいろいろと不満をぶつけたところ、渋谷での夜勤を早めに切り上げて、丸の内の違う職場に移動するのは?というオファーをいただくことができました。

丸の内?丸の内といえば、三菱系の本社が集まっているエリア、または東京駅という好立地。私が週末に遊びに行くエリア。という、私にとってはとても心が躍るようなエリア。

この丸の内で働く前に、銀行系の仕事も短期間でやったのですが、そこで働いていた仲良くなった女性の旦那さんも私がこれから働くであろう、あるビルの中で働いていたという偶然!( ´艸`)

どんな業界で働いたの?
ざっくりいうと、医薬品業界です。厳密にいうと医薬品の会社ではありませんが…。丸の内と言っても狭いので、あまり名前を出してしまうと…。という気持ちで書かないことにしています。

ちなみに外資系の会社で日本では知っている人はほとんどいないと思いますが、アメリカのナスダックにも上場しているアメリカの会社です。


(ニューヨークに本社がありましたが、東京支社のデスクなどもニューヨークの社員と全く同じもので広くて快適でした)

50日間、あなたは一体何を学びましたか?

この会社で学んだこと。それは製薬業界や医薬品の基礎知識もそうなのですが、コミュニケーションをとることの重要性かもしれません。また、それがネックとなり断念したという風にも取れるのですが、私のやりたい仕事が、翻訳なのだと確信させてくれたのもこの会社でした。

私は今まで人と会話しない仕事を選んできました。例えば、英語のメール対応とか、翻訳とか、電話に出ないような仕事をやってきました。それが自分の適性に合っているということも自覚していました。ですが、電話応対の仕事や、コミュニケーションをとる仕事もチャレンジしてみたかったのです。チャレンジせずに、どう諦めることができる?という風に思っていました。

実は最初、この会社から派遣社員として採用していただいたとき、私は一度そのオファーを断ったんです。最初この会社に面接に行ったとき、グーグルのような斬新的な社風?空気?に圧倒されながら、採用担当の方とお話ししたときは、声が震えてしまうくらい、私が一体こんな会社で働くことができるのだろうか?と思いながら、正直どうでもよい感じで面接を受けたのを覚えている。

入社初日、定例ミーティングで、英語で自己紹介することに!?

私は派遣社員だし、まさか入ってすぐに、しかも社長の目の前で、しかもアジアの支社とつながっている電話ミーティングでするとは想定すらしていませんでした。私と同時期に入社した人は私を含め4人。無論、その3人は台湾人、韓国人、もう一人はもう50歳くらいになるほかの大手製薬会社の役職者から引き抜かれた副社長だった。え?副社長が英語で自己紹介をし始め、その後、台湾人の英語堪能者が英語で自己紹介しはじめ、次に私の出番!?という感じだった。

私以外の人たちは社員。しかもその人たちは一週間後にニューヨークの本社に行くらしい。うらやましい・・・。なんて思いながらも、その1日は切り抜けた。

運よく、その3人の社員と同時期に入社したせいか、派遣社員の私でさえ、社長とほかの新しく入った社員と、あと私の部長とみんなで中華料理を食べることに!

しかも私がベジタリアンだということを言い忘れていて、注文した料理を取り換えることになったのですが、その間も社長が冷静に笑顔で、待ってくれた。その時の真摯な対応に脱帽。私は箸を震わせながら、後でテーブルに届いたその中華料理を食べたのでした…。

上司が私にアドバイスしたこと
ここの上司はとても変わっている人でした。私が大企業とか外資系企業の人たちの特徴を知らないからかもしれませんが、その部長が私に行ったこと。それは、君は恐れている。だから目を見て挨拶しないし、目を見て話そうとしない。

また、お前はマジメすぎる!!のようなことまで。

私は性格上、どこかに入社してもここで続けていける!とか、仕事内容を覚えていける自信がある!とかしない限り、あまり人と目を合わせようとはしないタイプだった。また入社後まじめすぎたのは、知らない業界で何も覚えていないのに自信なんか持てるはずがない!と思っていたから。

ですが、この部長の言葉に私は自分自身を変えてみようと決意。私はある意味、クビになってもいいという気持ちでこの50日間を過ごしました。

オフィスカジュアルでもないこの会社はどんな服を着てもOKでした。私は服の色をもっとカラフルに変えたり、この会社の社員の名前を覚えようとしたり、業務とは関係のない会社の体質や投資家からみたこの会社など、いろいろな面で自分なりに見ようとした。

約3割が外国人のこの会社ですが、私の仕事内容は英語を必要としないチームでしたが、毎週月曜日にある英語ミーティングに参加するのは自由だったり、アジア各地の支社やニューヨークの本社の一部の人も同席する1年に一度のフォーラムのようなものにも、派遣社員でありながら参加させていただいた。その時に、100名以上の前でスピーチをすることができたこと。

またそのスピーチをしよう!と自ら進んでその場で手を挙げた私はまさに自分自身が変わっている瞬間を実感した。



(私が毎日通った東京駅。朝に東京駅に降りるというのは、とても気持ちがよかった)


私が本当にしたかった職業ではなかった

この50日間、私は製薬業界の構図や、医薬品の基礎知識を吸収した。私がこの会社に来る前、

外務員資格試験(証券会社で働くための資格)や、IT業界での経験があったので、金融とITについてはかじったことがあると言える程度だったのですが、医薬品業界というのは初めての世界。

そこがまさにこの会社に引かれた一番の理由でもあったのですが…。

ですが、この会社で約半分くらいの人たちは英語を使う仕事。でも私の仕事は日本国内のお医者様や一部の医薬品関係者の方々とお電話でお話しする仕事。

私にとって、決められたマニュアルに沿って受け答えするような仕事は合わないと自覚した。

上司と話し合った結果

部長と辞める時に話したこと。部長は偶然にも横浜の私の住んでいた駅の近くに住んでいて、それは職場が東京駅ということを考えれば、あまりにも偶然すぎました。40歳にもなっていない比較的若い男性。

そんな親近感もあってか、また彼の人柄の良さもあってか、私は部長のことを尊敬していたし、採用してくれたことにも感謝していた。ということもあって、その話を切り出すのはあまりにもつらかったのです。個室でお話したのですが、私が思っていることと、彼が思っていることはなぜか共通していることが多いと感じました。このとき私は以心伝心という言葉を強く意識したのです。彼が人の心を読むのがうまかったのか?それとも、以心伝心だったのかはわかりませんが、沈黙という時間、言葉に出さなくてもお互いに意思疎通するような変な瞬間がありました。

彼が面接後に、何回か相談したときに私に言ったこと。なぜこの業界について何も知らない私を採用したのか?今のチームの状況を変えてくれると思ったから。これはおそらく採用する人すべてに言っていると私は思いました。でも、ひとつだけ私が本当だと思ったこと。そして、彼がこの辞めると言ったとき、個室で話してくれたこと。それが、彼が以前働いていた時に私のような人がいたらしく、そしてその人が普段は頼りなかったんだけれども、本当にやばいような状況に強く力を発揮してくれて、とても助かったんだということでした。私が語学ができるからとかではなく、そういう風にインスピレーションを感じてくれたのだと思う。

この件もあって私は真剣に翻訳の仕事を重視する方向に向かうことになっています。

ちなみに、私がもしこの会社に翻訳者として入っていたら?と思うことがよくあります…。

2016年7月9日更新

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