2015/04/17

ニューヨークやロンドンに行けば、自分を変えられると信じていたあの頃


(いつも憧れの対象だったニューヨーク)


私は高校を卒業後、目指したものは、どこかに行くことでした。とにかく何も知らなかった。

実際に、このように移動しています。

2006年 上海
2007年 ニューヨーク
2008年 ロンドン・パリ

どこかに行けば、誰かに出会えるとか、誰かが助けてくれる?とか、何かの刺激になるとか、とにかく私にはやりたいことが明確ではなく、外国に行けば何とかなるという風に考えていたのです。

確かにどこか違う文化圏に行くことで、様々な繋がりができたり、様々な考え方を身につけたりすることが可能だと思います。私はどこかの国というよりも、先進的な大都市を回ることを重視していました。

(パリのオフィス街、ラ・ディファンス)

その中でも、

世界の4大都市である、

ニューヨーク・ロンドン・パリ・東京

のうち、この3つの外国の都市は私にとっては魅力的でした。そして、それが動機となって、あまりしたくない仕事も頑張って、1日中働いていたのです。あまりしたくない仕事?ま、データ入力系のつまらない仕事ですが…。(笑)

ニューヨークには2回以上、上海には5回以上行って、いかに東京と違うか?ということは肌で感じました。特に私にとってニューヨークやロサンゼルスのようなアメリカの中でも様々なバックグラウンドの人たちが集まる場所は刺激的で、また自分の現在の考え方にも影響しています。

その後、2008年にロンドンとパリへ旅行に行って以来、私の目的は何なのか分からなくなってしまいました。というのも大都市を制覇した!という感じになったからです。

日本に帰ってきても、楽しくない。そんな風に思いながら、過ぎていく毎日…。この2008年というのは、日本人の友達と距離を置いて、外国人とばかり付き合っていた年でもあります。とにかく、やりたいことが見つからないという、どこかにさまよってしまったかのような年でした。無理をせずに、英単語をスキャンするだけの勉強法とか、あまり覚えてはいないけど、日本語教師養成講座420時間の通信を受けてみるとか。

また、今までしようとしなかった恋愛に走ってみたり。(笑)

でも、それが何かの反動になり、また中国に行ってみよう。というきっかけになったのか?それとも私自身が潜在意識の中でそのように働きかけていたのか。


(私が上海に通い始めたころの風景)

2008年のこの時点で私は何かを勉強するということは全くありませんでした。でも、大学に入りたいという強い意志はあり、通信で日本大学に入学し、文系の基礎を学んだりしたのはとても懐かしいです。哲学とか何か?というような教科書を開いたのを今でも覚えています。

上海で就職活動もしましたが、そこの30代くらいの日本人女性に、尊敬語と謙譲語について指摘はされるし…。結局、日本に戻って1から初心に戻らなければならないということを自覚したのかもしれませんね。(笑)

外国に行けば、何かを変えられると信じていたあの頃っていうのは、自分が何をしたいのか?をさまよって考えたかったのかもしれません。どういう人間になりたいのか。失敗して、どこか違う国に行ってはまた日本に戻ってきて、痛い目を見て、また自分が本当になりたい像はどのようなものなのか?ってね・・。その中で、私がずっと続けられてきたもの。それが英語だった。

そして、それが今の仕事に生きている。そしてこれからも生き続けるだろうし、今まで通り努力し続けることで、またそれが進化して新たな道が開けるのだと私は確信しているのです。

いくつもの挫折があったから、今の自分がいる。

またいくつもの出会いと別れがあったから今の自分がいる。

そしてこれからもこれが繰り返されることは間違いない。けれども、私は今まで受けた恩を忘れることはない。

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2016年7月9日更新