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あのとき、中国(チャイナ)の中学校で日本語教師として働かなくて正解だった理由




ちょうど2年前私は横浜の中華街の近くの山手という、山に住んでいました。そのときはソニーで翻訳をしていた時期で、また韓国から日本に帰ってきて2年くらいが過ぎたときでもあった。私の中には常に、外に出たいという衝動的な気持ちがあるので、もちろんそのときも翻訳は別に在宅でできるし、日本から出たいな。と思っていた。

ちょうどそのとき、フェイスブックの友達も4000人くらいに膨れ上がり、なぜかブログを興味深く読んでくれる読者も増えた時期。

ひとたび顔写真を投稿すれば、800いいね!がつくような、なぜこんなオカマちゃんにそんな反応が返ってくるの!?なんてびっくりしていた時期もである。

私はあの頃、翻訳者としての道を強く決め、今まで自分が合っていると思っていた日本語教師や英語教師以外にも、こうやって楽しめる仕事があったのだと、ソニーで働きながら思っていた。

そんな私は、中国南部にある、とある中学校での日本語教師の仕事のスカイプ面接にパスしてしまった。

これはかなり迷いました。とにかく、このときは日本から出たい!出たい!という、衝動に駆られていたためでもあるのですが、インターネットさえあればどこに住んでもええやん。という、本当の私がでた瞬間でもあった。

けれども、私はその面接をパスした後に、本当に中国に行くか?行かないのか?考えるために、一週間だけお返事を待ってもらった。

その1週間の間に、私はとても不思議な夢を見た。以前もブログで公開したのですが、

それは、アラブのテロリストみたいな人に追いかけられて、最終的にはなくなったじいちゃんばあちゃんと、昔飼っていた犬が、皮の向こうで食事をとっているシーンになって目が覚めたというパターンである。

これにはビックリした。なぜなら、そこでご飯を食べていた人は、じいちゃん、ばあちゃん、リッキー(犬の名前)全員、この世にはいない。

そういう夢をみないので、夢日記などで色々調べていたのですが、そうすると、誰かから追いかけられた夢というのは、

自分の嫌いだった部分がなくなっていくことを暗示していくそうで、なりたかった自分に近づくことを暗示しているのだそうです。その夢を見てから、なんだか勘だったのですが、中国にはいかないほうがいいと思いました。

で、オファーを断る。

結果的に、その後、横浜のまたまた山奥の3LDKで一人暮らしをしながら、翻訳やブログなどを細々と続け、

現在は東京駅の近くのセキュリティ抜群のマンションでひっそりとブログを打っている( ´艸`)

この記事では、あの時中国に行かなくてよかったと思う点を5つ挙げてみようと思う。

①医学翻訳という自分の専門を見つけた

とにかく私は翻訳業についてから、あまりその中でどんな翻訳がしたいとも考えたりできていなかった。とりあえず、どんな内容の翻訳でもいろいろとやってみるのがいいのではないか。という考えだった。

というのも、私ってちょっとでも覚えてしまうと飽きる癖があるので、たとえばITの翻訳はもう飽きたから、次は特許の翻訳がしたいというふうに、コロコロ専門分野を変える癖があった。

けれども、中国で日本語教師をしなかったことによって、ソニー―以外の場所でも翻訳経験を積むことになり、またその過程で、

私にはITの翻訳は向いていないというか、私自身ITを勉強しても楽しんでいないということに気づいた。

その後、需要はありつつも枠が結構少ない医薬翻訳が、私が今後勉強していきたい専門分野だということが分かった。

そして、医学分野の翻訳に携わって1年が経とうとしている。今後は、本業は医学翻訳にしていきたいとも思っている。→命にかかわること、健康にかかわることというのは、自分にとっての勉強にもなるし、やっていて本当に楽しいです。


②マルチリンガールが確立した
2014年の冬、こんな性別不詳のオカマちゃんがマルチリンガールなんて名乗っちゃっていいのかしら。と思いながらも、ブログや多言語をますます強化していって、2年半が経つ。おそらく、中国に行っていたら、また私の方向性は違うほうに行っていたのかもしれない。と思うと、行かなくてよかったと思う。

この2年間、仕事が終わってほとんどブログを書くことだけに時間を使っている毎日でもあるのですが、このブログのおかげで学んだこと、また得たものは、とてもなく大きい。また、2年後、3年後が楽しみでもある。





③放浪家だった私だけれども、忍耐力がついた

あの上海に行ったと思ったら、韓国の田舎で深夜1時ころ酔っぱらいの若い男子に絡まれていて、イケメンの警官に宿まで送ってもらっていたアタシがだよ?今じゃ、ひとつの場所でひっそりと忍耐強く暮らしているではないか。

今までの自分を振り返って思うことは、私には忍耐力がなかったという点。とにかく一つの土地に数年いるなんて無理だった。けれども、今回、関東という一つのエリアで数年間暮らすことになり、忍耐力がついたと思う。

私は今まで3年以上同じエリアで暮らしていたことがないので…。

「なぜ韓国の警官は身長の高い人が多い?韓国のイケメン警官にお世話になった私の体験談」

また翻訳に関しても、忍耐強く同じ翻訳という仕事を続けられているという時点で自分にとってはよくやってる。という感じである。→とにかく、過去を振り返ると、仕事をコロコロかえる、特に業種まで変えてしまう。ということが多かったので…。

④繋がりが一気に増えた
FBを始めた当初から、ずっと繋がっている人たちの中には、もう2年以上意識しあっている人たちも多い。そういう人たちと今後は会っていきたいとも思う。

きっと私にどこか似ている人たちだと思うので、

現実の世界で知り合うひとはまた違うんだろうなと思います。このインターネットで出会うとか、FBで知り合うというのは、昔はそんなのくだらないと思っていましたが、

時間をかけて関係を作っていくと、それはまた違って、楽しいですよね。

⑤初めて自分が好きな街に住んでいるという現在


私は今まで安い場所に住む傾向があった。というのも、私は19歳の時、新宿のど真ん中に家賃10万円で住んでいたことがあって、その時に、家からでなかったりしていた日々を送っていたことがある。とてもつまらなく、しかも家賃は高いし、給料は安い。みたいな生活だったので、今後はモノを持たないで安いところで暮らしていきたいと強く誓った。それ以降、ルームシェアや、めちゃくちゃ安いボロアパートに好んで住むようになっていった。

ホームレスと一緒に暮らしていたこともあるのよ?Σ(・□・;)

「足立区でホームレスと生活した約半年間」

また、部屋が広いからといって、横浜の郊外で3LDKの部屋を借りていたりもした。つい最近まで。

確かに3LDKはかなり快適だったし、できればあの部屋からも引っ越したくなかったのですが、今回、30歳になったこともあり、

私が暮らしたい!というエリア、つまり東京駅付近に住むことに決めました。場所は銀座から徒歩10分くらいのエリアなのですが…。

このように、自分から暮らしたいエリア!に住んだのは初めてかもしれません。30歳になって自分で選択するというふうにしたかったというのもありますし、また何よりもブログに集中できる環境として、セキュリティ抜群のマンションに。

ほとんど私のオフィスみたいになっています( ´艸`)

私の友達で、いろんなことを中途半端にしたままで現在海外放浪中の人がいますが、そういう人たちを見てきたせいもあって、やはりあのとき中国に行かなくてよかったと、約2年たった今、思っているリョウコでした。

こんな記事もオススメです。
「多言語話者、マルチリンガルになるための勉強法とは?」


あのとき、中国(チャイナ)の中学校で日本語教師として働かなくて正解だった理由 あのとき、中国(チャイナ)の中学校で日本語教師として働かなくて正解だった理由 Reviewed by よこいりょうこ on 8月 13, 2017 Rating: 5

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