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日本史ではフォーカスされない、タブーな日本の黒歴史、奇習 TOP17

2018年6月6日

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日本史ではフォーカスされない、タブーな日本の黒歴史、奇習 TOP17

2018年6月6日



この記事では、日本史に載っていないような裏の日本をまとめていきたいと思う。そういう話題って結構あるので、数えればきりがないと思うけれども、以下は私が自分なりに調べたものなので、今後も調べたものが増えていけば追加していく可能性がある。

またコメントなどで、こういう奇習、黒歴史などもあるよ!と教えていただければ、もちろん追加していきたい。

日本史の教科書を開いてもフォーカスされていない部分をまとめてみることで、日本人というのをより理解できるようになるのではないだろうか?

というよりもそもそも現在日本人!とひとくくりにされているものの、長い間日本では地方に独特の文化があった場所もある。ということを考えてみれば、そういう部分を知ることで、国籍上は日本人だけれども、現在の一般化された日本人の価値観と自分が少々違うのは、その土地の独特の文化が原因なのかもしれない。などと、色々自分自身の発見につながるとも思う。

事実私は、北海道南部出身なので、明治以降に一般化された日本人とはちょっと違う独特さがあるかもしれない。と個人的に思っていたりする。

もちろん社会に出てしまえば日本人のみならず、日本企業に入る外国人でさえ、日本のスタンダードに合わせるのだけどね。

 

17位 褌祝(ふんどしいわい)

褌祝(ふんどしいわい)とは、日本の一部地方で行われていたと言われている男子が成人になるための通過儀礼である。第二次性徴期を迎える10代前半の男児が初めて褌を締めて成人と見なされることから由来されているのだとか。

公家など支配階級の間では「元服」が行われていたのに対して、褌祝は、庶民階級版の通過儀礼であったとも言われている。

この褌は、母方の伯母・叔母から贈られることを基本としていて、「オバクレフンドシ」と呼ばれていたそうだ。

でどんな祝いだったかというと、13歳~15歳の年齢に達した男子が、餅か酒を女性宅に持参し、その1反の布を女性が褌(六尺褌)に仕立てて、男子を裸にし、褌の締め方や使い方を教え伝えて、祝いの杯を交わす儀式であったそうだ。

その後、村の共同体で結婚の資格を有した一人前の男性と扱われ、褌は成人に達していないものの着用は決して許されなかったのだとか。

で、このお祝いが、実は性教育の儀式でもあったとも言われ、母系家族の代表である母親が、男子が成長し、生殖能力を備えたことを祝い、その幸福と成功を祝う儀式として、母方の家系の姉妹が男子の最初の性行為の相手として選ばれた。という説もあるが、真相は謎である。

 

16位 天皇すり替え説

明治天皇がすり替えされてたという説がある。これは以下の記事で詳しく述べたが、これはおそらくこの記事の中で最もタブーなものだと思うので、あまり触れないほうがいいかもしれない( ゚Д゚)・・

「タブー?天皇陛下が着物をお召しにならない本当の理由と、美智子さまが着物姿になる相手」

 

15位 長野県の奇習、おじろく、おばさ

都市伝説的な部分もあるものの、長野県飯田市出身で、信州大学医学部卒、精神科医でもある近藤廉治氏によって書かれた、開放病棟―精神科医の苦闘 (1975年) という本にはこのことが書かれているという。近藤氏は長野県出身なので、やはり内容は本当の可能性が高い。

・おじろく(男)
・おばさ(女)

というのは、長野県の現在の天龍村あたりにあった奇習であると言われていて、天龍村をウィキペディアで調べてみても、歴史の欄にこれが書かれている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/天龍村

その内容とは、長男以下の子どもたちは、その長男に仕えるために奴隷化するという内容だ。つまり、昔は山奥では子どもを3人も4人も育てることが難しかった時代。なので、一番上の長男だけは大切に育てそれよりも下は、その長男の奴隷などにしてしまうという考え方なのだろうか。

14位 おっとい嫁じょ

昭和34年(1959年)に強姦致傷で男性が逮捕、有罪となったことから全国的に有名になった。とされる、おっとい嫁じょ。とは、どんな奇習かと言うと、簡単に言えば、誘拐婚である。

誘拐婚は、現代社会でも、たとえばキルギスなどで、アラ・カチューという誘拐婚が行われている。

おっとい嫁じょ。と検索すると、結構出てくる。その時の新聞などの記述を私自身が探せていないことから、私の中ではまだ都市伝説である。

また、ソースなどもなく、拡大解釈されたデマである可能性も高い。しかも、ウィキペディアのソースも、一つの本(真田秀久氏によるもの)に沿った内容となっているため、真偽は定かではない。

 

13位 即身成仏

即身成仏は特別奇習というわけでもなく、仏教で行われていたこと。漢字が示す通り、仏教の修行者が、「行」を行うことを通じ、この肉身のままで究極の悟りを開き、仏になること。であり、密教全般(天台密教、インド密教、チベット密教)で見られるというが、日本でも、数カ所で現在も見ることができる。

それもやはり、東北なのだ。→庄内(山形県)

なんと、日本国内におよそ十数体の即身仏が現存すると言われているうちの6体が、庄内の5つの寺院に安置されているという。

やまがた庄内観光サイト

東北ってやっぱり奥が深い。

 

12位 獣姦(田分け説)

江戸時代に書かれたと言われている、「艶本『恋のやつふぢ』(南総里見八犬伝のパロディ)挿絵。歌川国貞画」という絵はちょっと衝撃的なので、閲覧注意である。

なぜか上の絵のファイル名が中国語名だったのはビックリだけれど、女性は明らかに江戸時代の日本人女性に見える。

ウィキペディアのリンクから、その絵がみれる。私の記事では敢えて載せないことにしよう。→獣姦(じゅうかん)

で、獣姦が日本で行われていたのか?ということなのだけれども、以下のような記事を発見。

奇習! 「肉欲男たちの慰み」となった山羊とエイ=秋田県

上の記事に書いてあることは、田分け説というものであり農家で動物に対してそういう行為をすることを田分け。と言ったようだ。現在の田分けの意味とは違い、戯け(たわけ)とも書くことから、そういうふざけた行為としてその名称がついたのだとも推測できる。で、これは深刻な嫁不足が発生していた折に行われていたともいわれている。

ちなみに、たわけ者→馬鹿者、ふざけたもの。として、今にもその言葉は残っている。

この話に、信ぴょう性があるかないかは別にして、

古代日本では、延喜式の『天つ罪・国つ罪』に獣姦を罪とする『畜犯せる罪』が記されており、『古事記』の仲哀天皇段には「馬婚(うまたわけ)」、「牛婚(うしたわけ)」、「鶏婚(とりたわけ)」、「犬婚(いぬたわけ)」と動物ごとに細分化されている。

というウィキペディアの記述からも分かるように、そのような禁止をするということ自体、そういうことが行われていたのだろう。と私は思った。

いずれにしてもアフリカなどでは、たまに、獣姦をする人もいて、ニュースで話題になることもある。

「アフリカ・中東・インド(南アジア)の奇習、迷信、不思議な民族 TOP10」

 

11位 結婚後に髭のような刺青をするアイヌ民族

ハジチ(針突き入れ墨)→琉球の刺青とも似ている。琉球とは違い、アイヌ民族の女性の間では、結婚後、唇を黒い刺青で美しくするという習慣があった。

この習慣は他の日本ではほとんど見られないものであり、私がどこかだのサイトで見た面白い説明では、このアイヌの女性の口元の刺青は、日本で見つかっている縄文土器にそっくりだという声もあった。

つまり、縄文土器を作った縄文人が北海道に13世紀ころに発見されたアイヌなのではないか。という話もある。

ちなみに、以下が、琉球のハジチ

https://www.pinterest.com/utsugirl/history/

いずれにしても、最近は北海道でアイヌ文化の復興が活発化してきている。その理由は、北海道の魅力を更に上げるには、アイヌ文化の発信が絶対に欠かせないからである。

ちなみに日本にも、アイヌ民族に見られるハプログループDが強い人は結構多く、いわゆる日本人なのに、濃いと言われる人は、ハプログループDが強い可能性もある。

「日本人は黒人?日本人と同じ【ハプログループ D】を持つ、チベット人と、アンダマン諸島のオンガン人(ジャラワ族、オンゲ族)」

先祖を調べるって結構、有意義なことなのかもしれない。

 

10位 からゆきさん

日本でも昔、他の国と変わらず、お金がなくて売春をする出稼ぎ少女などがいたということがわかっている。それを当時、からゆきさん(唐行きさん)と呼んでいたのだそう。

19世紀後半、農村や漁村などの貧しい家庭の娘たちを中心に、東アジア・東南アジアに渡って娼婦として働いていた日本人女性のことで、その多くは、長崎県島原半島・熊本県天草諸島出身のものだったと言われている。

また、海外渡航には斡旋業者(女衒)が介在していたので、そこでビジネスも成り立っていたという訳だ。

当時の東南アジアには現在東南アジアで富を牛耳っている華僑もいたりするので、日本人にとっては新天地みたいな場所だったのかもしれない。

ちなみにタイやフィリピンには、思ったよりも早くジャパンタウンができていたのも面白い。

「世界のジャパンタウン(日本人街)TOP15」

 

9位 犬追物(いぬおうもの)

鎌倉時代から始まったとされる日本の弓術の作法の一つで、流鏑馬、笠懸と共に騎射三物の一つに数えられる犬追物(いぬおうもの)は、写真の通り、他の文化圏からみたら、犬をただイジメているようにも見える弓術。

1891年5月6日に、ロシア帝国のニコライ皇太子が鹿児島に入ったとき、島津忠義公爵は、ニコライ皇太子に対して、犬追物を披露したとされている。その中で、ニコライ皇太子に随伴していたウフトムスキー公爵は、これに不快感を覚えたという。

日本人からは伝統的な芸にみえても、ロシアからすると、そうはみえなかったのかもしれない。ちなみに、ロシア人は、犬好きで結構有名である。

けれども、この犬追物で使われる矢は、特殊に作られており、犬を傷付けないように、矢を鏃(やじり)の代わりに、音を立てて空中を飛ぶ蟇目鏑矢(ひきめかぶらや)を使用したと言われている。

生類憐れみの令で、一時中止になったこともあるのだとか。

 

8位 首狩り

ウィキペディアで首狩りの歴史について調べていたところ、日本語版には日本における首狩りの歴史について触れられていなかったものの、英語版のウィキペディアで headhunting(首狩りの意味)を調べてみたところ、日本というカテゴリがあり、そこには以下の記述があった。

"Samurai also sought glory by headhunting. When a battle ended, the warrior, true to his mercenary origins, would ceremoniously present trophy heads to a general, who would variously reward him with promotions in rank, gold or silver, or land from the defeated clan. Generals displayed the heads of defeated rivals in public squares."

Reference Site
https://en.wikipedia.org/wiki/Headhunting#Japan

内容は、サムライもヘッドハンティングで栄光を追求しました。というようなもの。また英語版のウィキペディアには、当時1909年と思われる写真まで掲載されている。(青山学院大学、立教大学、関西外大などの協定校にもあたるバーモント大学(アメリカ)のHPがソースのようだ)

私の記事では、グロテスクすぎるので載せたくない…。というのもあり、以下URLだけにとどめておこう。

The severed heads of criminals at a watch post, Japan c. 1909

ちなみに上の引用文は、ナショナルジオグラフィックに掲載されたものと思われる。以下、2003年版のものに、確かに見出しのところにそれらき見出しはあった。

National Geographic December 2003 Back Issue

また、日本語のブログや英語のブログをみても、詳しい内容が書かれているものがあまり見つからなかったものの、https://www.japanvisitor.com という、日本訪問専用サイトの英語版の江戸時代の紹介記事で、

Heads being collected at a reconstruction of the Battle of Sekigahara

和訳:関ヶ原の戦いの復興で集められた頭

というようなものも発見した。

https://www.japanvisitor.com/japanese-culture/history/edo-japan-history

ちなみに、現在、headhunting という言葉は、首狩りではなく、優秀な頭脳を狩る。というような、人材を発掘する意味で使われているのも面白い。時代は変わったということだろう。

7位 死後婚(冥婚)

冥婚のことを英語では、Posthumous marriage という。死後婚と聞くとなにやら、ありえない話とも思えそうだけれども、実際に英語圏でも同じように存在する。

たとえばフランス。では死後婚がされていたようだ。そのほかにも、アメリカのイリノイ州、韓国、ドイツ、南アフリカでもそういう例が見られたほか、日本では中国の影響で沖縄でも一部あったといわれている。

https://en.wikipedia.org/wiki/Posthumous_marriage

また日本版のウィキペディアにはこのように書かれていた。

現代日本の場合、青森県および山形県の一部で行われる、未婚の死者の婚礼を描いて寺に奉納する「ムカサリ絵馬」が、比較的穏やかな性質の冥婚として挙げられる。

6位 夜這い文化

夜這い。こういうキーワードを検索すると、グーグルでは変なサイトばかりが表示される。そもそも夜這いというのは、夜に這うという意味である。つまり夜寝静まったころに、男性が女性の寝どころにこっそりと行って、ヤルというようなことである。(正式な語源は、男性が女性に呼びかけ、求婚することを意味する(呼ばう)であるとも言われている)

しかし、これには女性側がOKしなければ、男性はその寝どころに入ることはできなかったという説もあり、私が思うに、昔なので一つの決まったルールはなかったと思うので、いろんな形の夜這いがあったのではないか?と思う。

つまり、女性がOKしなければダメという決まりもあった一方で、決まりを守らないタブーとなっているものは現代社会にも多くあるので、それを無理やりやる場合もあったり、お互いに通じていてそういうことを夜中にする場合もあったりなどだ。

特に、この風習は日本史に登場してこないような昔の農村や、田舎などで行われていた風習とされている。これは奇習というよりは世界一般にそれほどおかしくないことと個人的には思っている。

けれども、古くは、759年に成立した『万葉集』巻12に「他国に よばひに行きて 大刀が緒も いまだ解かねば さ夜そ明けにける」と歌われていたり、西洋から見ても、夜這い=日本文化として認識されているようだ。その証拠に、ウィキペディアの英語版には、Yobai というタイトルがつけられている。

https://en.wikipedia.org/wiki/Yobai

一方で、日本人ともよく顔の似たブータン(幸福の国と呼ばれている)ではいまだに夜這いが行われているという。ブータンと言えば農業国。そして、グーグル検索で、「ブータン 夜這い」などと検索するとその類の体験談みたいな記事がかなり存在するが、どこまでが本当のなのかは、実際ブータン人友達のいない私が断言することはできない。

けれども一つ言えるのは、娯楽が少ない農業国で、貧しい地域に、そういう風習がタブーとされながらも存在しているのはなんら不思議ではないということだ。

で、日本での話に戻して、日本では大正時代まで農漁村を中心に各地で行われていたといわれている。

戦後、高度成長期直前まで、各地の農漁村に残っているところもあったそうだ。

明治維新の近代化や、農漁村への電灯の普及などにより明治以降は衰退する傾向にあったものの、明治、大正の頃まで盛んだったのは、山深い山間部の村落中心であった。とか、男性が、女性の元へ通うものもあったが、その逆バージョン、つまり女性が男性のところに通う風習を持つ地域もあったなどとも言われている。(やはり日本は地域ごとに違うのか)

で、農業社会と言えばお祭りを思い出す人も多いかもしれない。なぜか日本ではお祭りの時ってどんちゃん騒ぎみたいな感じで、お祭りだから許される!って思っている人も現代には多くないだろうか?おそらくこれは昔から日本でもお祭りの時には羽目を外す、それ以外はマジメに仕事をする。などとされてきたからではないだろうか?

そういうときに相手を見つけ、夜這いなどをして子どもができてしまうパターンも多かったのではないか?と思う。また、現代だと、仮に男性が夜這いして、女性と子供ができてしまった場合、育てられない。という理由で中絶する可能性が大きいと思うのだけれども、知らなきゃよかった! 本当は怖い雑学 (鉄人文庫)によると、村社会だし、農業をやってくれる人が欲しかったから、村ぐるみで子供を育ててくれる環境があったようです。と書かれていた。

ちなみに子供って、漢字をそのまま見ると、生贄にするもの。というようにも思えてなんだかゾクっとしたりする。ちなみに中国語ではこのようには書かず、孩子と呼ぶ。

ま、とはいっても中国にも恐ろしくビックリするような奇習は結構存在する。ので、なんとも言えないが…。

「なぜ昔、中国では女性が足を変形させる「纏足」という奇習が根付いていたの?」

 

5位 衆道(しゅどう)




(ウィキペディアのフランス語版からみつけた、男性同士を映し出した絵画)

最初に言っておく。これはタブーとされていることではない。

まず、衆道とは何だろう。これは現代の状況に当てはめて考えてみると、地位の高い人男性が、自分よりも下の立場の男性と、そういう関係にあったということだ。また地位の高いもの同士、そういう関係を持つことでよりパワーを高めよう!というパターンもある。

国立国会図書館にも衆道物語という原本が残っているように、実際にこれは史実とされている。

ここではざっくり書いていこうと思う。つまり、日本には男尊女卑という考えが存在していたことや、自分よりも下の立場の男性とそういう関係になる、つまり、やることで、自分に従順させる役割などもあったようだ。また武士道同士が関係を持つことで、よりお互いの強さを共有しようというような、変な信仰もあったと言われている。

実際に、この、若衆道については、アメリカ合衆国の非営利組織ジャパン・ソサエティ―も、このように動画で公開している。

A Third Gender: Beautiful Youths in Japanese Prints

いずれにしても、ある意味、このような考えは数百年経った今でも似たようなことが結構日本中で起きているのか?と私は思ったりもする。(表に出てこないだけで)

https://ja.wikipedia.org/wiki/衆道

 

4位 山窩(サンカ)

山窩(サンカ)に関しては都市伝説的な部分もあるのだけれども、そもそも日本の山奥の人が住んでいてもおかしくないし、そこに独自の風習があってもなんらおかしくないことなので、あったのではないか?と思う。

「日本史から消えた幻のジプシー、山窩(サンカ)【海外の反応】」

 

3位 蝦夷共和国

蝦夷共和国については知っている人はほとんどいない。けれども、これは史実である。外国も一時期この蝦夷共和国を国として認めていた時期があり、一部の日本好きの外国人によっても、よく知られている話である。

「世界に存在していた国 TOP10に、日本の「蝦夷共和国」がランクインしていたことと、東北の蝦夷とアイヌの関係」

 

2位 キリストの墓

キリストの墓。といえば、常識的に言えば、エルサレムの聖墳墓教会(園の墓)というのが世界の一般常識であろう。

ところが、日本では面白ネタ扱いされているキリストの墓は、実は結構海外でも知られた存在となっている。

常識的なエルサレムの聖墳墓教会(園の墓)意外にも、異説が存在する。それが、以下の場所だ。

・インド・カシミール
・青森県戸来村(日本)

日本人は都市伝説で終わらせて調べない人がいる一方、実際にこのキリストの墓には多くの外国人も訪れているという。当然、多くの外国人は青森に本当にキリストの墓があるだなんて信じてはいない。けれども、上記インド、青森県という二つの場所は、ウィキペディアの英語版にも記載されているほどなので、一応注目はされているということだろう。

https://en.wikipedia.org/wiki/Tomb_of_Jesus

また色々な説はあるものの、東北には朝廷に反対する勢力などが多く逃げたとされているので、私は東北はいろんな人たちがミックスした場所だととらえている。

そう考えればなぜ東北には青い瞳を持った人がいたりするのかも、なんとなくレベルではあるが、説明できると思うからだ。

「なぜ日本の東北地方には、青や灰色の瞳をした日本人がいるのですか?【海外の反応】」

仮にキリストの墓が事実だった場合、歴史が変わってしまうくらい大きなことである。(信ぴょう性がないのでかなり怪しいのも事実だけど…)

以下の記事は、参考になるかもしれない。
「青森県の「戸来村」にイエス・キリストの墓がある理由。また日本人のウソ始まったの?【海外の反応】」

1位 ポルトガル人が日本人女性を奴隷として世界に売りさばいていた件

歴史の教科書では詳しく語られていないものの、南蛮貿易のときに、日本人女性が海外で奴隷として売られていたという史実がある。

「日本史では語られない「日本人女性の性奴隷」がポルトガル人の間で売買されていた史実と、豊臣秀吉との関係」

昔都市伝説的なストーリーで中東のどこだかの国で日本人の女性が競売にかけられてどこかの国の大富豪に売られるというようなことを聞いたことがあるけれども、もしかしたらこの史実からきているのかも?と一瞬思ったりもした。そのストーリーに信ぴょう性はないものの、南蛮貿易の際に日本人女性が売られていたのは史実とされている。

最後に。

言うまでもなく日本史で習うほとんどのことは、朝廷側からみた日本人であり、山やど田舎の日本人の生活にはほとんど触れていない。なので、これらランキングに出てくるストーリーが、東北、九州などの辺境の地であることは、理解いただけるだろう。

歴史の教科書にはいくつものヒントがあると思うので、こういうことを考えるのは、本当に面白い。


また内容を追加していきますね、リクエストもぜひぜひコメントにてどうぞ(^^♪

 

フェイスブックのコメント

谷口さん
夜這いに関しては、通い婚ってのが普通だったわけで、今の感覚で考えるのはおかしいでしょうね。
もちろん地域差もあるでしょうし。

浅田さん
夜這いは、ウチの近所でも昔はあったそうです。
やはり人気のある方は、大変だったとかバァちゃん達から聴いた事がありますね。
あと、地域によっては逆夜這いもあったらしく、若い無垢の男子は女の人達で取り合いになったとかならないとか。


橋爪さん
どれも信憑性ゼロですね


高坂さん
夜這いに関しては、古文の先生が呼ばふ=求婚する と時々授業中に言ってました。

また、角川映画の戦国自衛隊に、夜這いのシーンが描かれていて、

そこでは、若くして夫を亡くした後家さんの元へ挨拶に行く、、というように描かれていました。



榊原さん
おじろく、おばさに関しては武士が長男だけ家督を継いで、次男三男は無職でお兄さんに養われる部屋住みだったというのと似てますね。
暴れん坊将軍で民間人のふりした松ケン吉宗が「俺は旗本の『三男坊』徳田新之助だ」と言ってますが、これも長男以外は無職だったり社会的地位が低かったことの反映みたいに思えますね。


Takedaさん
蝦夷共和国はタブーな黒歴史なのか(笑)!?


柳沢さん
言葉は違えど、日本国内でも戦の後には奴隷扱いの人々が多く発生した様です。上杉謙信でさえそういう事態がおきるのに目をつぶったことも多々あったようですから、他の地域でも推してはかるべしですね。
とはいえ、日本人が同じ日本人を奴隷として売り飛ばしたという事実(そしてそれを南蛮諸国が買ったという事実)はほっかむりしておくわけにはいかない史実ですね。。

クツナさん
りょうこさんは、現代の柳田國男ですね。サンカは僕もその存在に興味があります。本を読んでおけば良かった。次に期待です。 柳田國男さんは、民俗学の巨匠です。ぜひ、読んで下さい。遠野物語が有名です。


松枝さん
台湾は、若くして亡くなった人の親が、家の近くに紅包を置き、拾った人に、うちの子と結婚してくれ、と迫る風習があるみたいよ
一種の死後婚よね!


浅田さん
記事の終わりに出てくる人身売買は、都市伝説でもなんでもなく、現ヨーロッパや世界中でも問題になっている事だと聞く。もっと酷いのは臓器売買。大人も子供もやられている

真弓さん
サンカはね、埼玉県ふじみ野市辺りに居たらしいですよ!白黒写真見たことあります。


永田さん
勉強になりますね色々風習や習慣がありますね確かに。


北山さん
「誘拐婚」も元々はコミュニティにおける『近親婚』を防ぐ意味合いがあったんですがね…ランクインしてなかったのは『お伊勢さん』ですね…


金子さん
私の母親は秋田の過疎地にいて二女ですが、普通に中学まで進学しました。
昭和17年うまれですが。

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