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知らないと恥ずかしい、日本史では外せない、日本に影響を与えた外国人 TOP25




日本史を勉強していると、多くのことが日本の偉い人によって導かれてきた。というような変な錯覚に陥ることがあるけれども、実際には多くの外国人が、日本に関与していることは、誰もが知っていることだろう。

けれども、その外国人の中には、日本史でフォーカスされているとは決して言えない人も結構多い。

外国人が日本に入ってきた時期はいくつかのピリオドに分けられるけれども、この記事ではすべて一緒くたにして、日本に来た外国人の生年月日などから、その時代の状況を探っていきたいと思う。

いずれにしても、これらの外国人たちが、どのように日本に関与していたのか?ということがわかってくると、日本史をより深く理解できるようになるかもしれない。と思いながら、この記事を書いている。

また、私自身も、今まで知らなかった人物を掘り下げて楽しんでいるのだ…。


26位 ウィリアム・グリフィス



生年月日 1852年4月5日
没年月日 1916年8月6日(84歳没)
職業 理科教師・牧師・著述家・日本学者・東洋学者
出生地 アメリカ合衆国

明治時代初期にお雇い外国人として来日。福井と東京で教鞭をとる。帰国後、日本の紹介につとめたほか、朝鮮についても紹介した人物として知られる。

この写真の真ん中にいるのが、グリフィスである。



25位 フランツ・エッケルト




生年月日 1843年9月17日
没年月日 1928年2月5日
職業 軍楽家
出生地 プロイセン

「君が代」に和声を付けたことで有名な人物。


フェイスブックからのリクエストにより追加。

金子さん
君が代をオーケストラ用に編曲したフランツ・エッケルトも入れて欲しい。




24位 エルピディオ・キリノ



生年月日 1890年11月16日
没年月日 1956年2月29日(65歳没)
職業 政治家
出生地 フィリピン

第二次世界大戦中、マニラの戦いがあったのは記憶に新しいと思う。で、キリノ氏の妻、アリシア、そして5人の子のうち次男・長女・三女の3人が、日本兵に殺害されたという記述をウィキペディアで発見した。

それにも関わらず、1953年7月に、日本人戦犯105人に恩赦令を出し、帰国を許した人物として、日本のことを理解していたのではないか?また、その良心的な心が非常に印象的であった。

上の文章は以下のフェイスブックのコメントを参考に追加しました。

真理子さん
第二次大戦後、自身の妻子を日本兵に殺された経験がありながらも、国内の日本人戦犯100人強に恩赦を与えた、フィリピンのキリノ大統領の事は知って欲しいなと思います。


23位 コーデル・ハル



生年月日 1871年10月2日
没年月日 1955年7月23日
職業 アメリカ合衆国国務長官
出生地 アメリカ合衆国

1941年11月にハル・ノートを提示したことが日本側の外交交渉断念につながったことで有名な人物。ハル・ノートを聞いたことはあっても、内容をよく知らない人は多いのではないだろうか?

ちなみに、このハル・ノートは実は、コーデル・ハルではなく、ソ連のスパイであるハリー・ホワイト氏が書いたもので、コーデル・ハルが日本にそれを渡したというふうに第29代航空幕僚長の田母神俊雄氏が語っていた。

日本人が知らなければならない太平洋戦争の真実 【日本人よ目覚めよう】

それをもとに私も調べてみた結果、ベノナファイルというものの存在は、日本語版のウィキペディアでもしっかり書かれており、田母神氏が言っていることと同じことが書いてあった。


22位 ウィリアム・スミス・クラーク



生年月日 1826年7月31日
没年月日 1886年3月9日(59歳没)
職業 教育者
出生地 アメリカ合衆国

北海道人であれば、クラークを知らない人はいないというほど有名である。化学、植物学、動物学の教育者であり、1876年(明治9年)札幌農学校(現北海道大学)開校したことで有名。

死の間際には”札幌で過ごした8ヶ月間こそ、私の人生で最も輝かしい時だった”と言い残したと伝えられる。

また、有名な発言として、

”青年よ、利己のためや はかなき名声を求めることの野心を燃やすことなく、人間の本分をなすべく大望を抱け”

というのもある。まさに、現代のように名声などばかり追い求めている可哀想な人たちに見せてあげたい文である。( ´艸`)


21位 ニコライ (日本大主教)



生年月日 1836年8月1日
没年月日 1912年2月16日
職業 宣教師(日本正教会の創建者)
出生地 ロシア

ニコライの日記というものを残している。(ロシア人宣教師が生きた明治日本を知ることことができる)ニコライは自身の生涯を日本への正教伝道に捧げ、日露戦争中も日本に留まっていたという凄い人物である。また日本で永眠。


20位 ギュスターヴ・エミール・ボアソナード



生年月日 1825年6月7日
没年月日 1910年6月27日
職業 法学者、教育者
出生地 フランス

簡単に言うと、日本法学への貢献した人物である。フランスの法学者、教育者であり、日本では、

太政官法制局御用掛
元老院御用掛
・外務省事務顧問
・国際法顧問
法律取調委員会委員

などを歴任しており、この当時かなり日本政府に重宝されていた人物だということが分かる。幕末に締結された不平等条約による治外法権に代表される不平等条項の撤廃のため、日本の国内法の整備に大きな貢献を果たしたと言われている。

・司法省明法寮、司法省法学校
・東京法学校(現法政大学)
・明治法律学校(現明治大学)
・旧制東京大学

などで、教壇に立ち。また東京法学校では教頭も務めたとされている。つまり、彼が教鞭をとったことで色々な人材が育ったのは言うまでもない。

パリ大学・大学院卒業後、同大学院助手を経て、1864年に、グルノーブル大学法学部教授になり、その後、1873年に、パリ大学法学部アグレジェ(フランスの1級教員資格、あるいはそれを取得するための試験のこと)を取得後、来日。

日本の近代化に欠けていた近代法典((民法、商法、民事訴訟法、刑法、刑事訴訟法の5法典)の成立に深くかかわった人物である。

また、ドイツ人のヘルマン・ロエスレル(1834年~94)という人物も有名である。ボアソナードよりも先に日本の法律の関わっていた人物である。1878年に明治憲法の制定に尽力し、1893年に帰国している。

もう一人、ドイツ人のアルベルト・モッセ(1846年10月1日 - 1925年5月31日)というのもいる。


19位 ポール・ティベッツ



生年月日 1915年2月23日
没年月日 2007年11月1日
職業 空軍准将(軍人〉
出生地 アメリカ合衆国

B-29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長として有名である。つまり、日本に原爆を落とした人物である。彼もまた、日本の歴史史上には欠かせない人物であることは言うまでもない。


18位 アントニオ・フォンタネージ



生年月日 1818年2月23日
没年月日 1882年4月17日
職業 画家
出生地 イタリア

以下、フォンタネージの指導を受けた生徒。

・浅井忠
・五姓田義松
・小山正太郎
・松岡寿
・山本芳翠

以下、当時の生徒たちの写真が見れる。イケメン揃いなのに、ビックリ…(;^_^A



私自身もこのように、ブログを書くことによっていろいろな発見があるなぁと思う瞬間だ…。→特にイケメンに関しては…w

この写真を見ると、多くの男性の顔の形がやや小さめの人が多いのかなと思う。その時点で、美術系が好きな人には、そういう顔が多いのかなぁ…。なんて思ったりもした(^^;


17位 アーネスト・フェノロサ



生年月日 1853年2月18日
没年月日 1908年9月21日
職業 東洋美術史家、哲学者
出生地 アメリカ合衆国

ハーバード大学で哲学、政治経済を学んでいたフェノロサは、先に来日していた動物学者エドワード・シルヴェスター・モースの紹介で、1878年に来日。当時フェノロサは、25歳であった。東京大学で、哲学、政治学、理財学(経済学)などを講じたとされる。

また彼の講義を受けた歴史的に有名な人物と言えば、

・岡倉天心
・井上哲次郎
・高田早苗
・坪内逍遥
・清沢満之

などがいる。


16位 アレッサンドロ・ヴァリニャーノ



生年月日 1539年2月15日
没年月日 1606年1月20日
出生地 イタリア
職業 巡察師(じゅんさつし)

ヴァリニャーノは巡察師として日本各地を訪れ、大友宗麟高山右近織田信長らと謁見している。ということからして、すごい外国人ではあるのだけれども、日本の風習と流儀に関する注意と助言というような執筆も残している。これは、現在も読むことができる。

また、

・小神学校(セミナリヨ)
・大神学校(コレジオ)→英語で言うと、college である…。現在 college は大学の意味

などを設立したこととしても有名。


15位 チャールズ・ワーグマン



https://www.japansociety.org.uk/29845/portrait-of-the-week-13/

生年月日 1832年8月31日
没年月日 1891年2月8日
出生地 イギリス
職業 画家・漫画家


1863年、日本人女性の小沢カネと結婚。チャールズが残した作品としては、A Sketch Book of Japan(1885年)が有名。

以下の外国サイトで、この日本を描き出した絵の多くを見ることができる。一度見る価値のある絵なのでぜひ。

A Sketch Book of Japan C. Wirgman




髪を洗う女性、うんこ座りしながら選択する女性まで、包み隠さず当時の様子を絵として描いている。

もう1つ、ジャパン・パンチっていう作品も、ものすごく有名なので、以下の大学のページでみてみてね。当時の絵をそのまま写真にして掲載しているので、凄くわかりやすい。

https://graphicarts.princeton.edu/2014/10/16/the-japan-punch/


14位 エドアルド・キヨッソーネ



生年月日 1833年1月21日
没年月日 1898年4月11日
出生地 イタリア
職業 版画家・画家

画家が日本にどんな貢献を?と思った人も多いかもしれない。けれども、これは意外とあまり知られていない。

キヨッソーネが何に貢献したかというと、ずばり現代の日本の紙幣などの印刷などを教えた点だ。つまり、大蔵省紙幣局(現・国立印刷局)を指導した人物である。


13位 タウンゼント・ハリス



生年月日 1804年10月3日
没年月日 1878年2月25日
出生地 アメリカ合衆国
職業 初代駐日本アメリカ合衆国弁理公使

日米修好通商条約(アメリカではハリス条約とも言われることがある)を締結したことで知られるハリス。実は、敬虔な聖公会信徒で生涯独身・童貞を貫いた。とされている。

ちなみに、聖公会は、イングランド国教会 (Church of England) の系統に属するキリスト教の教派である。

日本滞在記というものがあり、この時代の日本を外国人の目線から見るには、参考になる本かもしれない。


12位 ジェームズ・ビドル



生年月日 1783年2月18日
没年月日 1848年10月1日
出生地 アメリカ合衆国
職業 海軍・士官

東インド艦隊の司令官として1846年に日本を開国させようとするが失敗しているビドル。しかしながら、7年後、マシュー・ペリーが日本の開国に成功する。ペリーはビドルの失敗を研究し、砲艦外交によって日本を開国させたと言われている。

つまり、ペリーが開国させたことに繋がる人物がビルドと言えよう。ちなみに、ペリーを派遣して日本に開国を要求したのは、フィルモア(アメリカ13代大統領)である。


11位 エフィム・プチャーチン



生年月日 1803年11月8日
没年月日 1883年10月16日
出生地 ロシア帝国
職業 海軍大将・元帥

プチャーチンは、ロシア極東艦隊司令長官である。1853年、長崎に来航し、条約締結を要求。その翌年の1854年には、下田にディアナ号で来航。その後、日露和親条約(1854年)を調印。

また、面白いことに同年に、安政の大地震が発生し、ディアナ号は大破してしまった。そのため日本で、帆船(はんせん)へダ号を作り、プチャーチンは帰国した。

また、1858年に再来日。江戸で日露修好通商条約を締結。

あの時代、しかも、日露戦争が始まる数十年前に何度も日本に来ていた男、それがプチャーチンということだろう。


10位 ハインリッヒ・エドムント・ナウマン



生年月日 1854年9月11日
没年月日 1927年2月1日
出生地 ドイツ
職業 地質学者

ドイツ人の地質学者。各地の地質調査に従事し、全国地質図を作成。ちなみに、ナウマンゾウは彼の名前に由来するそうだ。

ドレスデン東亜博物学・民俗学協会(1886年)で講演した際に、日本人の無知、無能ぶりを嘲笑したため、森鴎外がそれに反駁したとされている。

このように当時日本を小ばかにしていた外国人は意外に多い。

またナウマンは、日本のフォッサマグナを発見した人物であり、日本人であれば、知っているべき人かもしれない。


09位 レオン・ロッシュ



生年月日 1809年9月27日
没年月日 1901年6月23日
出生地 フランス
職業 駐日フランス公使

幕末期の江戸幕府を支援した人物。

1828年、アルジェリア(北アフリカ)でのフランス遠征軍に参加。その後、アラビア語の通訳官もこなす。このことがキッカケで、アフリカ諸国で総領事を務めることになる。それから数十年後の、1863年、ロッシュは駐日公使に任ぜられた。

ロッシュは、アラビア語には堪能だったものの、日本語には疎かったため、通訳をつけていた。それが、塩田三郎などである。

それが理由なのか、反幕府勢力に関する情報収集能力に欠けることとなった。ともされている。


8位 ハインリヒ・シュリーマン



生年月日 1822年1月6日
没年月日 1890年12月26日
出生地 プロイセン王国
職業 ドイツの考古学者、実業家

シュリーマンは、1865年(慶応元年)に日本を訪れている。「日本人が世界で最も清潔な国民だということに疑いの余地がない」と書き記しているのは非常に有名な話である。

当時、イギリスのテムズ川など、ヨーロッパの川は排泄物などで汚染されていて不潔だった。またそれが原因でペストなどの伝染病も存在していた。これに対して、江戸時代の日本の川は綺麗だったと感想を残している。

で、なぜ江戸時代の日本の川がきれいだったのか?その理由は、排泄物が有機肥料として高い値段で取引されていたからだった。


7位 エンゲルベルト・ケンペル



生年月日 1651年9月16日
没年月日 1716年11月2日
出生地 ドイツ北部

ドイツ人医師・博物学者。オランダ商館医師として、日本に滞在(1690年~1692年)帰国後、日本誌を著述したことで有名。

その一部を、志筑忠雄が、鎖国論の題で訳している。ケンペルはこの記事の中でもかなり古いほうの人物である。この絵は、イメージ画像らしいので、本当のケンペルに似ているかどうかは不明。

日本誌には、当時の江戸の地図まで描かれていて結構みてみると楽しい。


6位 ウィリアム=アダムズ



生年月日 1564年9月24日
没年月日 1620年5月16日
出生地 イングランド

三浦 按針(みうら あんじん)の日本名でも知られるイングランド人航海士・水先案内人・貿易家。徳川家康に外交顧問として仕えたことで知られる。


5位 ジョセフ・グルー



生年月日 1880年5月27日
没年月日 1965年5月25日(84歳没)
出生地 アメリカ合衆国
職業 駐日アメリカ合衆国大使


日米開戦回避に努めた人物。吉田茂は、グルーは「本当の意味の知日家で、『真の日本の友』であった」と高く評価した。ともされている。


グルーが1939年5月15日に、休暇でアメリカに戻った際、

経済、財政、商業、感情のどの点から見ても合衆国は、もし日本が米国と同様に付き合うならば世界中のどの国よりも日本のよい友人である得るのだ。どの点から見ても日米戦争は、まさに愚の骨頂である

と日記に記したことは有名である。


4位 ラファエル・フォン・ケーベル



生年月日 1848年1月15日
没年月日 1923年6月14日(75歳没)
出生地 ロシア帝国
職業   哲学者、音楽家

夏目漱石が、ケーべル先生。という随筆 (Essay)を書いていることからも分かる通り、当時、夏目漱石とも親しかったケーベルがどれほど慕われていたかが分かるだろう。

こういう話を聞くと、平成の現在よりも明治のほうが、日本人と西洋人との交流が凄まじかったような気もする。

日本哲学の基礎を築き、日本で死去した人物である。

3位 エルヴィン・フォン・ベルツ



生年月日 1849年1月13日
没年月日 1913年8月31日
出生地 ドイツ帝国

ベルツは、なんと29年も日本に滞日していた人物である。軍医として普仏戦争にも従軍していたベルツは、ライプツィヒ大学卒業後、ライプツィヒ大学病院に入院中の日本人留学生・相良玄貞をたまたま治療することになり、日本との縁が生まれることになる。

1876年(明治9年)、教師として来日。いわゆるお雇い外国人である。東京医学校(現在の東京大学医学部)で医学を教え、また日本人女性の戸田屋のハナコ(東海道御油宿出身)と結婚。




1905年に、夫人とともにドイツへ帰国したが、1908年には、伊藤博文の要請で再度来日している。

この婦人ハナコは、当時の光子と少し似たような人生を送っているのかもしれない。

「当時の日本人には珍しい八頭身の美女で、EUの母「クーデンホーフ光子」は本当にヨーロッパで有名なのか?」

ちなみに、ベルツは、皇室の侍医(じい)を務めたり、日本近代医学の父。とまで称えられている。また、草津温泉を絶賛しており、草津温泉を世界第一級の温泉保養地と世界に紹介したことでも知られる。

ということもあり、現在、草津温泉にはベルツ通りがある。


2位 ニコライ2世


生年月日 1868年5月18日
没年月日 1918年7月17日
出生地 ロシア帝国

歴史上あまりフォーカスされることのない大津事件。これは、来日中だったニコライ2世の耳を津田 三蔵(つだ さんぞう)が切りつけたという事件で、もし傷が深ければ、日本と戦争になって、日本はなくなっていたかもしれない。と言ってもいいかもしれないくらい、大きな事件であった。

これが、のちの日露戦争(1904年~1905年)に発展した。という考え方もある。

なぜ切りつけたのか?ということには、諸説はあるが、理由はハッキリしていない。この事件により、明治天皇がニコライ皇太子に面会するなど、かなり日本でも騒々しくなった。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q144832039

ちなみに面白いことに、ニコライ2世といえば、ロマノフ朝だけれども、そのロマノフ朝の末裔は実は最近日本に来ていたという事実も驚きである。

「ハプスブルク家、ブルボン家、ザクセン=コーブルク=ゴータ家、ロマノフ家、ホーエンツォレルン家。現在もヨーロッパに存在する貴族の末裔たち」


1位 ダグラス・マッカーサー



生年月日 1880年1月26日
没年月日 1964年4月5日(84歳没)
出生地 アメリカ合衆国
職業 陸軍元帥。連合国軍最高司令官、国連軍司令官

よく昭和天皇と一緒に映った身長差のある写真が話題になるマッカーサー。そんな悪役的なイメージもあるマッカーサーは、こんな発言もしている。


日本が戦争に突入した目的は主として安全保障(security)によるもの。

現代文明を基準とするならば、我ら(アングロサクソン)が45歳の年齢に達しているのと比較して日本人は12歳の少年のようなものです。

という言葉も残している。以下、まだまだ他にもいる。

・ガスパル=ヴィレラ(宣教師)
・グリフィス
・ビゴー
・ラグーザ
・ニコライ(ロシア人宣教師)
・コンドル
・スチムソン
・リットン
・ダレス
・ロイヤル
・ジェーンズ
・アーチボルド・ルシアス・ダグラス
・クレメンス・ヴィルヘルム・ヤーコプ・メッケル

Reference Site
https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:幕末の外国人

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知らないと恥ずかしい、日本史では外せない、日本に影響を与えた外国人 TOP25 知らないと恥ずかしい、日本史では外せない、日本に影響を与えた外国人 TOP25 Reviewed by よこいりょうこ on 7月 25, 2018 Rating: 5

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