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歴史を動かした中国の偉人・英雄・リーダー(近代版) TOP10




中国の歴史は4000年とも、5000年とも言われることがあるが、現在の中国を知るには、日本の江戸時代以降、明治維新がはじまったころの中国人のことを知ることが一番のカギとなる。

またここに出てくる多くが、中国語で検索して偉人として声が上がっていたものだけれども、そのほとんどが何かしら留学や亡命などで日本とかかわりがあることも注目したい。

この記事を読むことで、どれだけ多くの中国人(近代的に英雄とされている)が、日本、そして我々の祖先と関係があったのか再確認する意味では、参考になるだろう。

また面白いことに、これら多くの中国人に共通していることは、黄河より南の人たちの出身者が非常に多いことだ。

日本の明治維新なども、西日本(薩摩や長州)の人たちの勢力によって成し遂げられたけれども、その感覚に少し近い部分もあるのかもしれない。

いずれにしても、清の都があった北京出身のものが非常に少ない点は、覚えておいてもいい部分だろう。

10位 魯迅




出典:日本人にとっての魯迅

生年月日 1881年9月25日
没年月日 1936年10月19日(55歳没)
出生地 浙江省紹興府(現在の紹興市越城区)
出身校 理系(南京)
職業 小説家、翻訳家、思想家
本名 周樹人

魯迅(ろじん)という名前を聞いたことはあるけれども、読み方が分からない!なんていう人も多いのではないだろうか。ちなみに日本人の友達にソックリ…。日本人と中国人の平均顔は違っても、個人レベルで見ると似ている人も多い。(浙江省出身なので、日本と近いものがあるのかも…)

中国の近代文学の元祖として有名な人物なので、日本の教科書にも載るくらいであり、中国でも知らない人はいない。




日露戦争(1904年)が始まる2年前の1902年に国費留学生として日本の仙台に留学している。そのとき解剖学を教えてくれていたのが、福井県出身の藤野厳九郎教授で、この二人のエピソードは、 福井県観光連盟がマンガを作ってしまうほどである。

魯迅の師、藤野先生の故郷・福井を訪ねて<福井県観光連盟>

というのも中国では、魯迅が仙台に留学した際に、藤野先生に親切にしてもらったことなどのエピソードが語られており、また魯迅自体も死ぬ直前まで、藤野先生に会いたかったという記録が残っていることから、上のようなストーリーにも中国人から、このストーリーは中国で誰もが知っているストーリーだよ!というコメントが書かれているくらいである。

是非覚えておきたい人物である。

以下でも魯迅の日本留学時の写真が見れる。

魯迅(ろじん)と藤野厳九郎(ふじのげんくろう)について(福井県ホームページ)


9位 袁世凱



生年月日 1859年9月16日
没年月日 1916年6月6日(56歳没)
出生地 河南省陳州府項城県
職業 中華民国初代総統

袁世凱(えんせいがい)という名前は見たことがあっても、なんて読むかわからない人も多いのではないだろうか?

この総統というのは、台湾に政体を置く以前の中華民国の総統の意味である。なので、袁世凱は、中華民国初代大総統であるが、台湾に政体が移動してからの、中華民国初代総統は、蒋介石である。

中国大陸では長い間、(1616年 - 1912年)という国が続いていた。明治維新(1868 – 1912)という期間が終わりそうになったころ、清という国もそれと同時に滅びてしまったと考えてもいいかもしれない。

つまり、日本で徳川家が滅びたのと同じようなことが、日本の明治維新が終わったころに中国で起きたのである。そして、1912年1月1日に中華民国ができた。

この中華民国を建国したのが孫文である。けれども、中華民国が建国する前、中国大陸に、清と中華民国という二つの国があるという状況が少しの間続いた時期があった。



そのときに、清側にいて、朝廷(清)から命令を受け中華民国を滅ぼそうとしたのが、袁世凱である。けれども、袁世凱は寝返りを打って、中華民国側に立ち、すなわち、それによって296年も続いた清は完全に滅びてしまった。

で、中華民国の設立者は、孫文であるが、孫文は、1912年1月1日 – 1912年4月1日のたった3ヶ月間だけ初代臨時大総統になり、その後、敵だった袁世凱が、中華民国初代大総統(1913年10月10日 – 1916年6月6日)となった。

けれども、この期間に、中華帝国(1915年-1916年)というものを作り、自らが皇帝(Emperor)になったりして、大衆から反感をくらい、中華民国に戻すというような大胆なこともしている。( ´艸`)→このとき、袁世凱の暴走を止めるために組織されたのが、国民党である。

ちなみに、袁世凱の写真はいかにも強そうに見えるけれども、かなり小柄だったと言われている。

袁世凱が絡む歴史に関しては、以下の動画がかなりわかりやすい。(流れを知るのに)

【世界史】 帝国主義と東アジア4 辛亥革命 (16分)(イケメンクンが解説していますw)

ちなみに蒋介石の子孫でもある蒋友柏は、イケメンとして台湾でも有名。

老友记之蒋友柏 无限野心不在于政权

2005.01.26康熙來了完整版(第五季第14集) 王子的真實世界-蔣友柏


8位 孫文



生年月日 1866年11月12日
没年月日 1925年3月12日(58歳没)
出生地 広東省広州府香山県翠亨村(現・中山市)
出身校 東京(留学)
職業 初代臨時大総統

中華民国(台湾)では国父(国家の父)と呼ばれている人物。中華人民共和国でも最近は、「近代革命先行者(近代革命の先人)」として注目を浴びるようになっているようだ。孫中山としても知られる。日本滞在中は中山 樵(なかやま きこり)を名乗っていたという。

日本人にもこういう顔の人いそう。( ´艸`)また、配偶者も結構多かったみたい…。

盧慕貞(1885–1915)
大月薫(1903-1906)
宋慶齢(1915–1925)

優しそうな顔をしているが…。結構、女好きだったのかもね。と思いたいところだけれども、当時の中国の時代を反映しているのかも。

漢族である孫文は日本に留学中、清(満州族)に支配されるのはもう嫌だ!辮髪(前髪の部分、おでこを剃って、後ろの髪の毛を伸ばす風習)を辞めたい!満州族から独立したい。と愚痴っていたという。その時に、蒋介石と知り合うことになるのだ。


ちなみに辮髪は以下でも書いた。以下を読むと、中国ではどんな奇習があり、それがどう現在の中国人に繋がっているのかのヒントになることだろう。

「中国でタブーとされている奇習、黒歴史 TOP10」



7位 毛沢東



生年月日 1893年12月26日
没年月日 1976年9月9日(82歳没)
出生地 湖南省湘潭県韶山村(清国)
出身校 湖南第一師範学院
職業 初代国家主席(1954年9月27日 – 1959年4月27日)

え。誰この人。と思った人は多いのではないだろうか。男?女?ちょっと性別不詳にも見えるこの写真。実は毛沢東の若い時の写真である…。

中国に詳しくない人でも、この名前だけは知っている。という人も多いかもしれない。

また結婚は四回もしていることはあまり知られていないかもしれない。

羅一秀(1907年 – 1910年)
楊開慧(1920年 – 1927年8月)
賀子珍(1928年初頭 – 1937年)
江青(1939年 – 1976年)

孫文と同様、この時代を反映してる現象なのかもしれない。

ちなみに私は中国で湖南省の人によく会うのだけれども、今まで一度も毛沢東の出身地だよね?と言ったことがないので、是非次回湖南省の人に会うことがあれば、とっさに言えるように頑張りたい…。



6位 トウ小平



生年月日 1904年8月22日
没年月日 1997年2月19日(92歳)
出生地 四川省広安県(現在の広安市)
出身校 モスクワ中山大学
職業 中華人民共和国の最高指導者(毛沢東の死後、事実上の)

顔が大きいのは、昔も変わらなかったようである…。トウ小平とは、中華人民共和国を建国した毛沢東の死後に、事実上の中華人民共和国の最高指導者となった人物である。

1920年、16歳のときにフランスに留学していて、その当時、第一次世界大戦後であったので、労働力不足を補う形で「勤工倹学」という苦学生であった。また、出身である四川省広安県には、その後、死ぬまで一度も帰っていないという話しも有名である。

・工員
・ボーイ
・清掃夫

など色々な仕事をしてお金を貯めて、フランスの大手自動車メーカーであるルノー自動車工場で工員として勤務する。つまり、かなり青年期に苦労をしてきた人物とも言える。




また、パリ(フランス)→モスクワ(ロシア)へと移動するという行動力の抜群さも注目。

で、トウ小平がなぜ注目される人物なのか?というのは、毛沢東が発動した文化大革命によって疲弊した中華人民共和国の再建に取り組み、「改革開放」政策を推進して、社会主義経済の下に市場経済を導入し、同国の現代化建設の礎を築いた人物とされているからだ。

また、日本では、中国の指導者としては初めて昭和天皇と会見した人物としても知られる。

上の写真は、トウ小平のフランス時代のときの写真である。おそらく、多くの人は、年老いて政治家として活躍していた時の写真しかみたことがないので、ピンとこないかもしれない。


5位 蒋介石



生年月日 1887年10月31日
没年月日 1975年4月5日
出生地 浙江省寧波府奉化県
出身校 保定陸軍軍官学校
職業 中華民国初代総統(※大総統ではない)

日本へ亡命中の時の写真。蒋介石は一番右側。渡辺謙顔なので、蒋介石も日本人に見えてしまう…。というか、左側の日本人がユダヤ人っぽく見えてしまったのは私だけ…!?( ´艸`)

それにしても、こうやって写真をみているとツクヅク思うのは、こういう普通のオッサンたちによって、人の命が失われたりするということなのだ。つまり、すべては人がモノを動かしているわけで…。

出身地は魯迅と同じ浙江省である。

で、蒋介石とは何者か?といえば、簡単に言えば、台湾で初めて総統になった人物であり、毛沢東のライバルである。

中華民国台湾は、もともと大陸にあったが、毛沢東率いる共産党と、国共内戦(こっきょうないせん)をしていた。

つまり中国大陸にいくつかの政党が存在し、戦ってどちらかが勝てば、中国大陸を統一する!という内戦が起こっていたのだ。

中華民国はその内戦に負け、戦後日本が手放してしまった台湾という国に逃げてしまったというわけだ。

つまり、毛沢東のライバルとか、台湾の初代大統領というふうに覚えておけば大丈夫だ。


4位 周恩来



生年月日 1898年3月5日
没年月日 1976年1月8日(77歳没)
出生地 清江蘇省淮安市
出身校 明治大学、南開大学
職業 政務院総理・国務院総理(首相)

1972年に、日本国首相の田中角栄(当時)と日中共同声明に調印したことでも知られている人物で、写真は日本留学時代(1917年)と同じ年に撮影されたもの。

また中国に帰国後は、五四運動(ごしうんどう→1919年)の学生リーダーとして頭角を現す。五四運動というのは、パリ講和会議のベルサイユ条約の結果(ドイツが租借していた青島周辺→膠州湾租借地を日本に渡す)などに対しての反対運動である。


3位 左宗棠




生年月日 1812年11月10日
没年月日  1885年9月5日
出生地 湖南省湘陰県

中国では「清代最後の大黒柱」と非常に高い評価を受けている人物。毛沢東と同じで、湖南省出身である。

中国の近代史を知る上で、太平天国の乱(1851年)に、清を打倒しようとして立ち上がったキリスト教徒である。この時期、清はアヘン戦争(1840年)で苦しんでいたいたので、農民の間で清に対する不満がひどかった。

その時期に、洪 秀全(こうしゅうぜん)というキリスト教徒が自らを天王と称し、大変天国という国を作ってしまった。




四書五経を禁書としようとしたということからもわかるように、これがもし成功していたら中国がキリスト教国家になっていたかもしれないという歴史的なイベントである。

それを潰したのが左宗棠である。つまり、中国ではあのとき、太平天国の乱左宗棠が頑張らなければ、中国が西洋列強に飲み込まれていたのではないか?というふうに思われているということである。

いずれにしても、太平天国の乱という歴史的イベントは覚えておくべきだろう。

Reference Site
https://wenku.baidu.com/view/69af622ce2bd960590c67741.html


2位 銭学森




生年月日 1911年12月11日
没年月日 2009年10月31日(97歳没)
出生地 浙江省 杭州府(清)
出身校 上海交通大学
職業 航空力学研究者、中国科学院・中国工程院研究員

「中国誘導弾の父」「中国宇宙開発の父」「ロケット王」と呼ばれる人物であり、その功績のみならず、血筋も凄い。

なんと、唐末の五代十国の呉越国王・銭鏐から数えて33代目の子孫。銭鏐(せんりゅう)とは、呉越の創建者であり、初代王(在位期間→907年6月16日 - 932年5月6日)である。

1944年→米国国防総省の科学顧問などをしたり、また一番大きいのが、1999年9月、中国の核ミサイル及び人工衛星開発に貢献した科学者におくられる両弾一星勲功褒章を授与されたことだろうか。

つまり、現在の中国は核があるからこそ、強気でいられるという点を考えると、核技術に貢献した銭学森は英雄扱いされても全くおかしくない。

この記事には政治関連の人は多く出てきたけど、中国では科学者としてかなり名高い人物である。


1位 梁啓超



生年月日 1873年2月23日
没年月日 1929年1月19日
出生地 清広東省広州府新会県
出身校 
職業 政治家・ジャーナリスト・歴史学者

日本に亡命した人物である。なぜか、中国でも梁啓超の存在が称賛されていた。その理由は、結構奥深い。

まず、戊戌の政変(1898年9月21日)に日本大使館に亡命を求めている。その後、日本に亡命することになる。

中国語のサイトによると、日本が明治維新の時に、福沢諭吉などがヨーロッパで西洋語を学び、日本語の漢字に当てはめたようなことを、梁啓超が日本に亡命したときに、現代の中国語に日本から逆輸入する形で、“政治,经济,科技,组织,干部”などの単語を取り込んだとされている。

当時の中国には、政治とか、経済、科学技術、組織、幹部などという考え方はなく、これは西洋から始まった概念であり、それらをまず日本が漢字にし、梁啓超を通して、現在の中国語に取り入れたといったほうがわかりやすいだろうか。

また、日本に対して以下の感想を述べているという。
日本に亡命した時、上昇している新しい国を実際に見て、まるで明け方の風を呼吸するようで、頭も体もすっきりして気持がよかった。ここの役人から職人まで、希望を持って活躍し、勤勉進取の気風に満ちた全てが、昔から無名の小国を新世紀の文明の舞台に立ち上がらせた。腐敗している清政府を振り返ってみると、活力がなく積極性に欠けている。両国を比較し、日本人を愛すべき、慕うべきだとつくづく感じた。
出典:梁啓超と日本 : 福沢諭吉の啓蒙思想との関連を中心に(東京大学学術機関リポジトリ)

当時、中国を変えようとした人たちが、日本に学びに来ていたことがわかる内容となっている。また、梁啓超が、中国でも有名なのは私自身、中国語のサイトで検索して初めて知ったので、ちょっと驚きでもある。

また、彼も中国南部の広州出身であり、中国の革命家に南部出身者は非常に多い…。

Reference Site


そのほかにも、載せたい人は何人かいたけれども、次回また追加することにしよう。

邓稼先
邓世昌

Reference Site
http://www.sohu.com/a/205147291_401530
http://baijiahao.baidu.com/s?id=1585501940722316303&wfr=spider&for=pc
https://zhidao.baidu.com/question/813618907452731932.html
http://bbs.tianya.cn/post-no05-196959-1.shtml
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1326621028
https://baijiahao.baidu.com/s?id=1588087066230957608&wfr=spider&for=pc
http://www.xiexingcun.com/tougao/HTML/43453.html
http://baijiahao.baidu.com/s?id=1601338021018122679&wfr=spider&for=pc
https://zhidao.baidu.com/question/148817047.html

歴史を動かした中国の偉人・英雄・リーダー(近代版) TOP10 歴史を動かした中国の偉人・英雄・リーダー(近代版) TOP10 Reviewed by よこいりょうこ on 8月 29, 2018 Rating: 5

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