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キルギス人がタジキスタンを嫌う理由

2023年1月19日

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キルギス人がタジキスタンを嫌う理由

2023年1月19日

ロシアの子分的な位置付けであるキルギス(キルギスタン)とタジキスタン。この二カ国は中央アジアの中でも人口規模も、一人当たりのGDPも低い方でありよく比較される。

カザフスタンは国の大きさや人口規模、資源などもあるのでロシアに反抗することができる国だが、この2つの小国はロシアに逆らうことなんてありえない。というくらい今までロシアにべったりくっついてきた。

そんなタジキスタンもプーチン氏に中央アジアをみくびるな。的な事を言ったし、キルギスの大統領もプーチンとの会談に数分遅れて話題になった。

さて、私はキルギスに3回プチノマド生活をしているので合計8ヶ月くらいはキルギスにいた。その中でタジキスタンの話をするといつも嫌な顔をされるのである。そして私が滞在中の2022年夏、キルギスとタジキスタンの国境で両国が合計200人ほど死亡する衝突が起きた。

このことにより私はキルギスとタジキスタンがお互いどう思っているのかさらに気になってきた。ということでこの記事を書いている。

 

①キルギスとタジキスタン

キルギスとタジキスタン。この二つの国々は中央アジアに位置する5つの国のうちの二つ。現在のロシアが過去に統治したことによりこれらの国々の間では綺麗に国境が引かれてしまう。この5つの国に分かれる前まではロシア帝国がもっと細かく分割していた(記事の下の方にスクショを載せている)。

カザフスタンは領土が中央アジアの中で半分以上と広く一人当たりのGDPが一番高い。

ウズベキスタンは人口が3000万人超えと人口が多くかつ文化的(ペルシア帝国の影響を受けているので)であり、中央アジア最大の都市タシュケントもある。

トルクメニスタンは入国するのにビザが必要だったりインターネットが使えないなど、独裁国家、中央アジアの北朝鮮となっているので私は関心なし。

で、キルギスとタジキスタンは、人口規模、都市と田舎のバランスの類似、同じ水資源が豊富な国家、一人当たりのGDPの類似、さまざまなことが似ているのだが、以下のように言語系統が全く異なり、また見た目も非常に異なる。

 

②言語系統と見た目

ソ連になった名残で、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、トルクメニスタンというチュルク語系の言語を話す4カ国と、インド・ヨーロッパ語族でありペルシア語の方言レベルであるタジク語を話すタジキスタンが一括りに中央アジアと呼ばれてしまうことになる。

タジキスタンで話されるタジク語はペルシア語である。イランのファールシー語、アフガニスタンのダリー語、タジキスタンのタジク語をまとめてペルシア語と呼ぶことが多い。

「ペルシア語を勉強するメリット、需要、重要性」

とはいっても言語系統が違いながらも、中央アジア南部ではペルシア帝国の影響が強かったので、チュルク系のキルギス語の中にもペルシア語の語彙は結構あり、語彙レベルで言うと似ている部分もある。

で見た目の話をするならば、キルギス人は黒いモンゴル人、タジキスタン人は東アジア人の骨格に近いながらも顔のパーツは割とイランよりであり、わかりやすく言うならキルギス人は骨レベルで言えば東アジア人に近い人が多いので、東アジア。

タジキスタンは顔が小さく日本で言えばモデル寄りの体型の人も多いので欧米寄り。でも欧米にタジキスタン人がいるとそれらと比べた時、タジキスタン人は東アジア寄りに見えることが多いかもしれない。

もっとわかりやすく言うなら、中国人とインド人。くらいの違いだろうか。インドも顔が黒いだけで骨格が欧米人ほどはっきりしていない人も多いので・・。

なので私の頭の中ではキルギスとタジキスタンは、人種や言語系統、人口規模、GDPなどでみても、中国 vs インドみたいになっている。中国とインドはヒマラヤ山脈を隔てて対峙しているが、キルギスとタジキスタンは、パミール高原を隔てて対峙している。

 

③キルギスとタジキスタンは地理的に近いが、非常に遠い

これはキルギスとタジキスタンについて知る一つの前提条件として紹介する。

キルギスの首都ビシュケクからタジキスタンの首都ドゥシャンベまでは、仙台から神戸くらいの距離である。けれどもビシュケク南部には天山山脈の一部があり、この山を越えるのに直線距離ではいけないためグネグネ曲がった道をずっと渡るので、ビシュケクとドゥシャンベの間にあるキルギス第二の都市オシュに行くまで10時間以上はかかる。

で、オシュからドゥシャンベまでも早くいけたとしても、10時間くらいかかる。

山を2回も超えないと行けないし、ビシュケク→カザフスタン→ウズベキスタン→タジキスタンというルートだとあまり山を超えなくてもいいが、国境を越えるのが面倒くさい。

つまり近いのに遠い国である。

ビシュケクとドゥシャンベは往来需要がないことから直行便はなく、アルマトイかタシュケント空港に行かないとドゥシャンベに辿り着くこともできない。

 

④アフガニスタンとタジキスタンが同類扱いである理由

上のようにキルギスから山を何度も超えないとタジキスタンには辿り着けない。キルギス人は自分達をモンゴル系だと思っている。そしてカザフスタン人も俺らと同じモンゴル系という感じで仲間意識が強い。

ウズベク人はモンゴル系とイラン系のハーフ的な感じにみえ、カザフ人よりも仲間意識はないが、タジキスタン人よりも自分達に近い存在としてみなしている。つまりキルギス人にとって民族性という意味で自分達の兄弟は誰か?ということを順位化すると以下のようになる。

1位 カザフ人

2位 ウズベク人

タジク人=言語系統、人種からしても仲間だと思っていない。けれども紛争が起きるたびに、同じイスラム教徒として平和にならなければならない。という声が聞こえるくらい。

さて、キルギスはアフガンスタン情勢について非常に敏感。

アフガニスタンはタジキスタンのすぐ南にある国。キルギスにとってパミール高原より下は南アジアと認識しているキルギス人が多い。なので世界常識では中央アジアにタジキスタンが含まれているし、中央アジア連合(Central Asian Union)として5つの国=中央アジアというのが世間の認識なのだけど、キルギス人の心底ではタジキスタンはアフガニスタンと同じペルシア語を話すのだし、パミール高原でキルギスとは遮断されているので、南アジア扱いなのである。

上の写真は、本屋で偶然目にした地図だ。なんとタジキスタンがアフガニスタンやパキスタン、インドと同類の南アジア扱いになっていたのだ。そしてトルクメニスタンは中東扱い。そしてキルギス、カザフスタン、ウズベキスタンはモンゴル、中国、日本、朝鮮と同じように黄色。→本州が消えてるけどね。。笑

ちなみに実際タジク人というのはタジキスタンではなくアフガニスタンに一番多い。ということはあまり知られていない。

アフガニスタン人=アフガニスタンの国籍を持つ人の意味であり、アフガニスタンにはアフガン人という民族はいないのである。

「多民族国家、アフガニスタンで人口の多い民族 TOP7」

パキスタンに多いパシュトゥーン人がアフガニスタンには多いがタジク人も1000万人程度いて、大きく分けて4つの民族にわけることができる国となっている。

そのため、キルギス人にとってタジク人やアフガニスタンから逃れてくる国籍不詳の不法入国者は差別の対象というか、冷たい目で見られることがほとんどだ。→実際にキルギスにはキルギス人以上に貧しいどこの国からきたのかわからない浅黒く、背の小さい、国籍不詳者がたまにいる。

 

⑤キルギス人が、奪われた土地と主張する根拠は?

キルギス人の友達に「なぜタジキスタンが嫌いなの?」と聞くと、キルギス南部のパミール高原(大部分がタジキスタン)の一部はもともとキルギスだったのだとか。 WhatsApp でキルギス人の友達に、「来月タジキスタンにいきたいな。」と言うとマジギレされた。これは韓国人が日本について感情的になるのに少し似ている感覚である。

現在のようにロシアによって国に国境が引かれるまで、当時のロシアはこのように国を分けていた。

キルギス第二の都市オシュ(Ош)と首都ビシュケクは違う色になっていたり、現在のウズベキスタンの首都タシュケントとブハラは違う色になっていたりする。

この時、タジキスタンの東部の多くを占めるパミール高原は現在のオシュと同じ薄紫色であり、ロシア帝国下において、フェルガナ州 (1876年 - 1924年)であった。

おそらくこの事を言っているのだと思う。→本人にこのURLを送ってみたが、説明なし。おそらく、ここまで知らないのかもしれない。この地図どこで入手したの?くらいしか返事が帰ってこなかったので・・。

Среднеазиатские владения Российской империи

ちなみに、ロシア帝国が1876年頃から南下してくる前までにキルギス周辺にあった国の地図を見てみるとこうなる。

 

ティムール朝(1370年4月10日 - 1405年2月18日)

キルギスの土地感に詳しくない人はちょっとわからないかもしれないが、この地図の右上のところに、Tashkent と書いてある外側はティムール朝に含まれていない。キルギスは基本山しかないので、都市化できないようになっている。ロシア帝国がやってきてビシュケクが都市化されたが、現在でも第二の都市オシュでさえ、平屋の家ばかりで都市?と言いにくいような場所。

つまり何が言いたいかと言うと、以下の地図のところで説明しよう。

 

ブハラ国(1500年〜1785年)

ブハラ国。は現在のウズベキスタンの大部分。キルギスはANDIJANの東の方だが含まれていない。やはりキルギスは山しかないので移動も大変だし、キルギスの山にキルギス族が分裂してそれぞれ暮らしていた感じだったのだと思う。

なので当然キルギス人には国という概念はない。なぜなら山しかないのだから。そこにロシアが国境を引いて、国を作った。という感じになる。話は戻って、私のキルギス人の友達が、キルギス南部の一部はタジキスタンによって盗まれた。と言っていたが、彼の出身はオシュ。

ロシア帝国が現在の中央アジアに国境を引く前にいくつかに分けたフェルガナ州 (1876年 - 1924年)は、キルギスのオシュも、タジキスタン東部も一緒になっているので、彼はそこまでの歴史しか知らないのだろうおそらく。

 

コーカンド・ハン国(1709年 - 1876年)

そのロシア帝国がやってくる直前までのウズベキスタン東部は、200年ほど続いたコーカンド・ハン国。

この地図では、ピンク色のブハラ国と、右側にある濃いピンクが、コーカンド・ハン国。まさにフェルガナ盆地、オシュ近辺(キルギス)、現在のタジキスタン東部のほとんどがこのコーカンド・ハン国になっている。これが、ロシア帝国の際に中央アジアを分割する根拠となっているのかもしれない。

 

⑥チュルク系とスキタイ系遊牧民の確執?

昔から中央アジアにはチュルク語を話す遊牧民族と、ペルシアなどの都市文化を知っている都会のタジク人が同居する形となっていた。

チュルク語系の言語と言えばトルコ語。それはトルコの人口が多いから。

そのトルコ語を話すトルコ人の祖先ともなる土地が現在のカザフスタン〜モンゴルあたりの場所である。

そして今存在話されている言語の中でトルコ語の元になった言語一番近いのはキルギス語では?と私は考えている。それは両方勉強してみてトルコ語の単語の多くがキルギス語などと一致しているからだ。

「超マイナー言語の「キルギス語」に惹かれ、勉強し始めた理由」

キルギス人はカザフ人は自分たちから出ていった一族。ウズベク人はカザフから出ていった一族。自分たちが一番古い。のような言い方をすることがあるが、つまり中央アジアはチュルク系の人たち(代表民族=キルギス人と仮定)と、スキタイ系遊牧民でチュルク系より先に都市化したタジク人(スキタイとは現在のウクライナあたりが発祥で中央アジアに渡ってきた遊牧民)がいつも争っていた構図になっていたので、お互に常にライバルのようになっているのかもしれない。

ちなみに、ウズベキスタンの話になるがウズベキスタンではタジク人の人口が多く、商売などはタジク人、行政などはウズベク人などと分けている。それはタジク人の方が文化的で商売も上手だからだと言われている。つまり先に都市化してしまった都会のタジク人はチュルク系を見下している可能性もあるし、キルギス人も逆にタジク人は野蛮な人だと思っているかもしれない。

また、キルギスはタジク人が自分たちに戦争を仕掛けてくると強く信じている。私が2022年夏にビシュケクにいた頃も、多くの若い男子がそのように言っていた。

オシュの友達によると、キルギス人は同じ民族(チュルク語系の言語を話す)に近いウズベク人、カザフ人は仲間で、タジク人は仲間ではないけどロシアがもし中央アジアを侵略するようなことがあったら、5カ国で力を出し合って立ち向かう。というスタンスらしい(笑)。

 

⑦最近の衝突で、キルギス人はより団結

私はこの国境で起きた紛争に意見を言うつもりはない。このような衝突は、2021年と、2022年にあり、双方でかなりの死者がでた。数字はソースによりバラバラだが、合計200人ほどだろうか。

2022年の夏私はビシュケクに4ヶ月間いたが、この年はロシアがウクライナに侵攻しロシア在住の出稼ぎキルギス人たちの職がなくなったり、キルギス経済にもかなりの打撃がきたり、タジキスタンとの衝突があったりなど、少しばかり暗いムードにあった。

私に一番近い友達はタジキスタンの大統領はプーチンの操り人形だと言っていたが、私もよくわからない。

いずれにしても、今回キルギス語のメディアを通して印象的だったのが、多くの若者が国境に集まりボランティアをしていたこと。都会にいそうなキルギス人も国境に行って避難民などに支援をしたりするところが印象的だった。

私もビシュケクの中心部で声を張って募金活動をしている若者をたくさんみて涙目になるところだった。

また冷静に、タジキスタンとの和解を求めるコメントも多く、この衝突により今後タジキスタンに対する考え方が以前より変わってくるのではないか?と思う。国家という概念が浅い中央アジアの国々がより団結するのは私は嬉しい。

 

⑧敵対の矛先が、ウズベキスタン→タジキスタン?

以前はキルギスの敵といえばウズベキスタンだった。オシュの暴動(2010年)が代表的なものなのだけど、それからキルギス人はウズベキスタン人に対して歩み寄るようになったと言われている。今回の出来事でキルギスとタジキスタンは以前より平和になってくるのではないだろうか?

少なくてもキルギス語とタジク語を勉強している私からすれば、仲良くなって欲しいと願うばかりだ・・。

 

最後に

今回はキルギス側の視点からみた記事になったが、次回タジキスタンでのノマド生活を体験した後はタジキスタンからみたキルギス。というような記事も書いていけたらいいなと思っている。いずれにしても、こういう日本ではあまり報道されていない土地での出来事や言語を知ることは私自身も非常に楽しい。

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