天安門事件後、世界で孤立した中国を天皇皇后両陛下の訪中が救った説は本当なのか





日本では最近忘れられた感のある明仁天皇即位後の、天皇皇后両陛下の訪中。これは天皇陛下(平成)が皇太子時代だったころの訪中ではない。


このような天皇皇后両陛下の訪中写真はあまり日本には出回っていないような気がする。少なくてもこの記事を最初に執筆した2016年8月は、それほど天皇(平成)の訪中のことはあまり記事化されていなかった。


以下の写真。とても有名なものだ。日本のメディアによって撮影されたものではあると思うが、欧米のサイトから拾ったものだ。




さて、この記事では、ネット上で結構話題になっている、現在の中国の発展は当時、天安門事件で欧米諸国から批判され、現在の北朝鮮のように制裁されていた中国に、世界ナンバーワンの権威者である天皇が足を運んだお陰で、世界の国々が、中国に投資するようになった。という話を私自身まとめてみようと思って書いた。


当時の状況をもう一度整理し、以下にまとめていきたいと思う。








①天皇就任後、初の海外訪問国

天皇は、就任後東南アジアを回っているが、国として訪れたのは中国が一番最初ということになる。

※天皇の海外訪問先リストは以下に書いた。


「なぜ日王(日本の天皇)は韓国をご訪問されないのですか?【韓国の反応】」


1992年といえば、日中国交正常化20周年。しかも、日本の天皇が初めて中国を訪問したということで、中国では大騒ぎ。ちなみに両陛下が訪中されたのは、1992年10月だ。(平成4年10月23日~10月28日)


その後、ベルギー旅行のついでにヨーロッパ諸国を訪問し、アメリカに行くのは、1994年になってからである。


http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gaikoku/gaikoku-h04-china.html


余談だけど、1992年8月24日に、韓国が中華人民共和国と国交樹立してる。(両陛下の訪中前)で、1993年に、江沢民(任期→1993年3月27日 – 2003年3月15日)が都内で天皇陛下に面会している。


その時の様子は以下の記事に、動画付きで解説した。


「習近平副主席は、天皇陛下にお辞儀していた?歴代国家主席と比較」 




②中国は両陛下のご訪問が歓迎された理由



(楊尚昆国家主席と握手する明仁天皇)


それはまず第一に、今まで日本の天皇が中国を訪問したことがなかったからだ。仮に、昭和天皇が訪中したことがあったのなら、これほどにも大きな話題でもなかったかもしれない。


けれども、戦後、しかも日本の天皇が初めて中国を訪れる。これは当時、天安門事件で孤立していた中国にとっては、世界をも驚かせるニュースだった。


※以下、ANNの動画で、上海にやってきた天皇陛下の一部動画が残されている。


1992年両陛下訪中 当時の上海担当者が振り返る(19/04/29)




天皇皇后両陛下を乗せた車が上海の外灘あたりを通り過ぎるのを笑顔で迎える大勢の市民。この写真を見たことのない人は、当時の中国は反日で、天皇は中国国民に歓迎されなかった。と勝手に思っているかもしれないが、それは違う。


※中国で反日教育がされたのも、戦後すぐではないというのもポイント。


で、なぜ、天皇陛下の訪中が世界を驚かせたのか?ということ。ここは私の推測になる。まず、当時 (1990年) の世界経済における日本のGDPを考えてみる。




順位国名GDP
1アメリカ597兆円
2日本314兆円
3中国39兆円

日本は米国の約半分のGDPであり、しかも世界では2位で日本の時代といわれていたころの終盤だった時期。バブルがはじけた後だが、依然として日本の国力は今よりも相対的に存在感があった時代。






2018年と比較すると、それは歴然。



順位国名GDP
1アメリカ2049兆円
2中国1340兆円
3日本497兆円
ナイジェリア39兆円

日本の GDP は米国の4分の1まで減り、中国の3分の1にまで減った。1990年のときのような存在感は、残念ながら今はない。


また面白いのは、2018年時点でのナイジェリアである。この国は人口が多く英語が公用語ということもあり、2050年にはアフリカの中国に化けると言われている。


そのナイジェリアを強く支援しているのも、中国だというね…。( ゚Д゚)


で、話は戻って、つまり現在のナイジェリアくらいの貧しさだった当時の中国が、世界でも米国に次いでTOPの国から、今まで中国に足を運んだことのないエンペラーがやってきたら、そりゃ誰でも歓迎するでしょう。という話なのだ。


しかも当時、天安門事件で世界で孤立していた状況だったしね…。




③国家主席と首相逆転現象




ちなみに、ざっくり読んで欲しいのだけど、天皇が訪中したとき、楊尚昆(よう しょうこん、ヤン・シャンクン→この写真に映っている人)第4代国家主席の時代だったけれども、


※1989年11月 – 1993年3月まで国家主席だった


当時は、党総書記(首相とはまた違う)である江沢民(第3代中央委員会総書記)のほうが実際は権力を持っており、今でいう、国家主席の習近平と首相の李国境という体制とは違ったようである。


ちなみに江沢民は1993年にすぐに国家主席の座につくけどね。→上にも書いたけど、就任後すぐに東京を訪問している。




④天皇は世界ナンバーワンの権威者ではないが

天皇は世界ナンバーワンの権威者ではない。各国で国王クラスが集まる際も、天皇と国王はcounterparts(同じ地位)であり、在位日数によって席が決まる場合が多い。

称号が天皇(Emperor)だからといって国王より上というわけではないが、少なくても、習近平が天皇とわざわざ会うというのは、今後、次期国家主席になるということを意味している。ということであり、彼らがいきなり天皇に謁見したいと言ったのも分からないでもない。


やはり天皇は世界のロイヤルファミリーの中でも特別な存在であるし、アジアでは中国の国家主席にとって一番対等、または上に見れる存在が天皇であるということは間違いないだろう。




⑤天安門事件を誤解している日本人

ここで理解するべきこと。それは天安門事件というものは実は2つあるということだ。そして、多くの人たちがこの2つの天安門事件の違いを説明できていない。

その第一次が、1976年4月5日に周恩来が死去したときに発生した四五天安門事件(第一次天安門事件)


第二次は、当時(1989年4月15日 - 1989年6月4日)、この第二回目の六四天安門事件(第二次天安門事件)の結果、中国の一般民衆が多数虐殺され、西側諸国から経済制裁を受けたとされているもの。


その後、天皇陛下が訪中したことで、西側諸国からの経済制裁がなくなったような記事をよくみかけるのだけれども、私が中国の GDP を調べてみたところ、あまりそれが効果をもたらしたとは思えないのである。


https://en.wikipedia.org/wiki/Historical_GDP_of_China


というのも、1993年といえば、天皇皇后両陛下が訪中された1年後となるはずなのだけど、その GDP といえば、少し上がったものの、1994年には下がっているからだ。


けれども、1995年から年を追うごとに、10兆円ずつGDPが増えていっている。もちろん、当時の状況を私は詳しく知っているわけではないので、その主張を否定することはできないが。




天皇皇后両陛下が当時孤立していた中国を訪問したのは、もちろん日本が天安門事件を許容したという風に思われてしまう。当時日本ではこの両陛下の訪中が、相当反対されていたというのも有名な話。


けれどもやはりこの両陛下の訪中により世界における中国への経済制裁が解除されていった流れを作ったのは、間違いないとも思う。少なくても、1つのきっかけであったことは間違いないのではないだろうか。





(天皇陛下と江沢民)




⑥天皇訪問後、反日教育開始

それにしても、現代の日本人は当時の中国が反日であったと思い込んでいるのも面白い。当時もし中国が反日的な態度であったとしたら、当然天皇皇后両陛下が中国に行くというのは考えにくい。

天皇が韓国を訪問しない理由は、2015年に駐韓米国大使が韓国でテロリストに攻撃されて血まみれになったことからも分かる通り、危険だと判断しているからである。




この1990年当時、もし日本が中国を侵略したことに対する恨みが国民に残っていたのなら、天皇は気軽に中国の地を踏むことはできなかったと思う。


けれどもできたということは、当時反日はほとんどなかったからなのだろう。


調べてみると、この現在の愛国主義的な教育(反日も含まれる)をはじめたのが、江沢民だという。いろいろな意味で、中国の近代史を理解するのに、重要人物となるのが江沢民であることがここで分かったね。




江沢民氏の若い時の写真…。誰にでも可愛いころってあるのだね。真面目そう…!


江沢民政権はなんと天皇が中国に来た(1992年)→江沢民が東京で天皇と会見(1993年)した翌年、1994年に「愛国主義教育実施要綱」を制定し、「抗日戦争勝利50周年」にあたる1995年から、徹底した反日教育を推進していった。とされている。(ウィキペディア情報)


天皇が訪中したにも関わらず、江沢民は恩知らずなのか、反日教育を徹底したということになる。


ウィキペディアでは、信ぴょう性がないと思われる方は、以下の国立国会図書館に保存されている資料をご覧くださいね…。このPDFの3ページに記されている。


http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/200412_647/064705.pdf


この3ページには、「愛国主義教育実施要綱」 は1994年8月23日、 共産党中央宣伝部により制定された。のように書かれていた。




つまり、中国で反日教育がはじまったのは、およそ20年前くらいということになる。

以下はニューヨークタイムズの記事。(こんな古い記事がネットで公開されていた)


http://www.nytimes.com/1992/10/24/world/japan-s-emperor-tells-china-only-of-his-sadness-on-war.html


それにしても、天皇皇后両陛下の周りにはものすごい人だかり…。まさか万里の長城にまで行かれたとは思ったこともなかったのでびっくり。




以下は中国人が中国語で書いた両陛下の訪中に対する記事(参考程度に)
http://www.08160.cn/guoji/24835.html


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