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ウズベキスタンの古都「ブハラ」「サマルカンド」の違い(人種、文化、言語、家賃、ノマド目線)

2021年11月10日

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ウズベキスタンの古都「ブハラ」「サマルカンド」の違い(人種、文化、言語、家賃、ノマド目線)

2021年11月10日

現在私が留まっているタシュケントと先週行ってきたブハラ、サマルカンドは全然雰囲気が違う。それはこの国の歴史を少しでも勉強すればわかるのだけれども、そもそもウズベキスタンという国が最近になって成立する前に、ブハラとサマルカンドは、ブハラ・ハン国(1500年 - 1920年)。であった。

タシュケントは、コーカンド・ハン国(1709年 - 1876年)に属しており、しかもソ連時代に急激に都市化されたため、タシュケントの街並みはほぼロシアの大都市と同じように計画的に、非常にヨーロッパ的な街並みとなっている。

タシュケントに関しては以下の記事で書いた。

「中央アジア最大の都市「タシュケント」で数週間ノマドしてみた件(都市規模、家賃、人種)」

つまりウズベキスタンではタシュケントに来てもロシア的なものしか見るものがなく、ロシア国内を3ヶ月間ノマドしていた私としては安心する部分もあるのだけれども、文化的な意味で言えばやはりそれは物足りないのである。

そういう意味で、まだまだ日本人に知られていないブハラとサマルカンド、特にこの記事ではブハラについて書いていきたいと思う。

 

①首都「タシュケント」ではなく「ブハラ」と「サマルカンド」に注目している理由

冒頭にも少し書いたが、この記事でブハラとサマルカンドに焦点を当てている理由は、この二つの都市が実質上、ウズベキスタンを代表する二大都市だからである。そのほかにもヒヴァという都市があるが、そこはタシュケントからもかなり遠く、人口もさらに少ないのでこの記事では割愛。

ウズベキスタンといえば、2018年にビザが解禁。それから日本人が観光で訪れるようになりYouTube動画なんかでもブハラやサマルカンドを解説した動画が出てくるが、まだまだ日本人にとっても未知の国。その玄関口となるタシュケントは、韓国ソウルとの間で直行便が結ばれ、高麗人も多い。

そういう部分もあってか、確かに日本人にとっても日本食のない土地で韓国料理屋さんが多くあるので過ごしやすいだろう。

とはいってもこれら二つの都市に比べていえば、タシュケントには文化というものはないに等しい。「ブハラ」と「サマルカンド」は中央アジア全体を日本列島に例えるのなら、京都と奈良のようなものである。

カザフスタンとキルギスは遊牧民の国なので特に文化がなく、中央アジアで文化があるといえば現在のウズベキスタン。その中でも、ウズベキスタン南部はペルシア帝国の影響を受けたブハラ・ハンがあった土地であり、文化的な意味で非常に興味深い土地柄。

そういう意味もあってか、中央アジアとイランの中間を取れるような場所であり、ペルシア語(タジク語)も勉強しようと思えばできる環境なのである。

ペルシア語を勉強している私にとってまさに、文化も言語も楽しめる場所。それがブハラとサマルカンドであると言える。

「ペルシア語を勉強するメリット、需要、重要性」

 

②「ブハラ」と「サマルカンド」で、ペルシア語が使用されている理由

I am originally from Bukhara and Tajik is the main language there. 90% of the Bukhara city’s population uses Tajik, and 10 % are those who came from the districts of Bukhara Region and they don’t speak Tajik at all.

What is the status of Persian (Tajiki dialect) in the traditionally Persian-speaking areas of Uzbekistan in education and daily life? Does everyone speak Persian in Bukhara, for instance?

あまり日本のブログでは語られることはないのだけれども、ブハラとサマルカンドでは、そこに住んでいる人たちの多くがウズベキスタン国籍ではあるものの、民族性としてはタジク人が非常に多いため、ブハラ市に関しては、90%がタジク語を使用。サマルカンドに関しては、70%ほどがタジク語を使用している。

タジク語と聞いてもピンとこないかもしれないが、イランで話されているいわゆるペルシア語というのは、ファールシー語と呼ばれ、アフガニスタンで話されているダリー語、タジキスタンを中心に、アフガニスタン北部、ウズベキスタン南部のタジク人にも話されているタジク語。これらの総称をペルシア語と呼ぶ。

なので、それぞれの言語で多少使っている単語は違っていても、例えばタジク人がファールシー語(イランのペルシア語)を聞いた場合、ほぼ理解できる。なのでペルシア語というwikipediaの英語版を見ても、イラン、アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン南部が部分的に色がついているわけだ。

とはいっても、彼らの中には自分はウズベキスタン人だと思い込んでいる人も多いようで、家族とはタジク語を話しているが自分の民族性はウズベク人だと思っている人も多いと言われている。

彼らは日常会話はタジク語を使うが、学校ではウズベク語なのできちんとウズベク語も話せる。さらにウズベキスタンではロシア語も教えるので、ロシア語も操る。まさにマルチリンガルなのである。

ちなみに私がブハラの大型書店に行った時に、タジク語の辞書はあるか?と聞いたが、ないと言われたので、彼らは自分たちの民族性を守りながら、ウズベク人に追従しているような印象を受けた。つまりウズベキスタン政府は、彼らが身内同士、民族同士でタジク語を話すのは許すが、タジク語の書物を書店に置きたくないし、それで教育もさせたくない。

その理由は、公式では3423万人(2020年)というウズベキスタンの人口のうち、142万人(2012年)ほどしかいないと言われているタジク人が、実は多くの学者が指摘しているように、自分たちはウズベク人だと言いながらもタジク語を守っている隠れタジク人も合わせると、1100万人ものタジク人がいるので、彼らによって独立されてしまうのを阻止するためだろう。

私が今回ウズベキスタンに来てまさに学んだことの一つとして、このタジク人の人口の多さや、影響力の大きさを肌で感じた事である。

ちなみに、タジク人には2パターンあると言われ、一つがブハラのような文化都市を中心とし、政治や軍事はウズベク人に任せ、経済や文化を担当し他の民族に追従して生き残ってきた都市型タジク人。もう一つは、山岳地帯に住み、非常に交戦的なタジク人。ブハラに住むタジク人はまさに、都市型のようで、歴史的に他の民族に追従しながらも、自らの文化を守ってきたと言われている。

ブハラなどに住むタジク人にタジキスタンに行きたい?と聞いてみると、「あそこに何があるの?」「山しかないだろう?」と言われたのが非常に印象的だった。まさにタジク人たちは、ブハラやサマルカンドを自分たちの文化の中心と考えている。と私は思った。

そういう意味で、ウズベキスタンはペルシア語の国でもあるのだ。

 

③「サマルカンド」と「ブハラ」を簡単に比較

サマルカンドは、51万人(120 km2)、都市圏人口となると、95万人ほど。青の都として日本の旅行雑誌にもよく取り上げられる。タシュケントからも近く、タシュケントとサマルカンドだけで旅行を済ませる人も多いので、日本人には知名度が高い。

ブハラは、27万人(143.0 km2)。簡単にいえば人口規模的にはサマルカンドの半分くらいと考えれば良いだろう。

わかりやすいように衛生写真のスクリーンショットにしたのだけど、ウズベキスタンはその国土のほとんどが砂漠。けれども昔からブハラとサマルカンド、特にブハラは砂漠の中にある緑、つまりオアシスとして栄えたことからもわかるように、緑に恵まれている。

この二つの都市は、砂漠の中にあるオアシスとして栄えていったことがわかる。そして首都タシュケントは最近までは村レベルだったがソ連によって大都市になった。タジキスタンの首都ドゥシャンベもそれは同じである。

で、私がこの二つの都市を回って感じたのは、ブハラの方が人口規模は小さいが、その分、文化的遺産、人の雰囲気、富裕層的な感覚?(後で述べる)などのレベルが高く、中央アジアの本当の中心部を自負しているような、独特な強いプライドを感じた。

サマルカンドで二日、タクシーで色々な所を回ってきたが、その後、ブハラに行くと、サマルカンドのレベルが低かった。と思えるようなそんな感覚になったのである。その理由を以下に書いていく。

 

④「サマルカンド」より「ブハラ」が気に入った決定的な理由

サマルカンドとブハラのショッピングモールや、市街地を歩き回って感じたのは、サマルカンドは地形が無駄にでかいというか、地図を見てもわかりづらい部分がある。正直私にとって中心部のレギスタン広場以外は何も興味が持てなかった。

サマルカンドはレギスタン広場を中心にできている。その左側には割と計画に作られた真っ直ぐの公園があり、そのあたりはショッピングも楽しめる繁華街だ。左上にあるサマルカンド駅。ここはタシュケントから新幹線でやってくるときに使うので、旅行者はたいてい3つの赤丸を把握しておけばいいと思う。

ブハラの場合はこんな感じ。

真ん中の非常にごちゃごちゃした入り組んだ旧市街地。ここはタクシーでも運転手が迷子になってしまうので入りたくない。と言われる場所。ブハラもサマルカンドも旧市街地の道路は非常に狭いのでタクシーの運転手が入りたがらない。ブハラは中心部が非常に迷路のようになっているが、ブハラの見所のほとんどはその旧市街地にある。猫も多く、タイムスリップしたかのように古い建物を地元の人たちが非常に大切に保存している。

下の大きい丸は、新しい街で、サマルカンドと違うのはこの新しい街に大型ショッピングモールや、住宅などが非常に綺麗に整備されている点だ。つまり、ブハラは中心部が非常にコンパクトに整備されていて古いものを残しつつ、郊外にはソ連時代に作られたかのような東西南北きちんと考えられて整備された真っ直ぐで広い道路が整備されており、ショッピングモールや、高級レジデンスも多めな印象。

サマルカンドは無駄にでかく、そこまで整理されて作られていないイメージ。なので住むなら絶対にブハラという確信が、現地に行って芽生えた。

ショッピングモールに関しても、ブハラの方が雰囲気もデザインも良かった。

以下の写真はサマルカンドのレギスタン広場。もちろん、サマルカンドは観光としては文句なし。絶対に行くべき場所である。

とはいっても、1ヶ月今後住むとなったら、どっちがいい?という視点で言うと、私はブハラのほうがサマルカンドの何倍も気に入ったのである。

また、これは現地の人に聞いた情報だけれども、私が感じたその感覚は間違っていないようで、数年前まではブハラもサマルカンドも同じくらいの快適さだったよう。つまりブハラも昔はサマルカンド並みに複雑だったよう。けれどもここ数年でブハラは都市開発などに力を入れたことや、ブハラに富裕層が集まっていることもあり、ブハラの方が整備されていると言っていた。

その富裕層が集まる。というのは少し興味深い感じがして、私もそういうイメージを現地にいた時に感じたのである。

それはタクシーで街を移動していた時に、高級レジデンスっぽい建物がサマルカンドよりも多く感じたからだ。

以下の写真は、ブハラ人が一番誇りに思っているカラーン・ミナレット(1127年)。モンゴル帝国拡大時に、チンギス・ハーンが周辺の建物は破壊したが、これだけは破壊しなかったと言われる超有名なミナレット(塔)である。

私が思うに、ブハラ・ハン国(1500年 - 1920年)という何百年も続いた時代の首都に自分の家を建てることは、やはりウズベク人やタジク人にとってはステータスなのではないか。ということ。それは日本人の金持ちが東京にも家を持ってるのにもかかわらず、京都に豪邸を建てたがるのと同じように。

ウズベク人は遊牧民なので、自分たちの京都を持っていないが、それでもウズベク人にとってはブハラは京都のようなものであり、タジク人にとってはまさにブハラが自分たちの心の拠り所なのだと思う。

そして私がこの土地を気に入った理由は、ブハラは日本からは遠く離れた場所のように思えるのだけど、人々の感覚も文化的で、つまり穏やかなのである。ここに来る前、キルギスのオシュに2ヶ月いたが、彼らは近代に入るまでずっと遊牧していた民族。秩序もなく、騙し合い。そういう歴史の浅い都市とは違い、ブハラに集まる人たちは非常に文化的なのである。

タクシーの運転手としか接しない旅行者にはわからないかもしれないが、人々のホスピタリティや、挙動、店員の態度などをみてそのように感じた。それは旧市街地に行って、その土地の職人が作った製品をみるだけでもわかる。非常に平和的な、そういう雰囲気がこの街にはあるのである。

ちなみにブハラの駅は南東部の違う街にあり、タクシーでは20分ちょっとかかる。けれどもタクシーのメーターは市街地まで30000ソム(300円よりちょっと上なくらいの数字)だったので、この街に着いた時にタクシーに勧誘されたらこの金額を提示することが重要。

 

⑤アパート事情(家賃)

最後にアパート事情を書いておく。今回の視察で重視したのは、ショッピングセンターなどスーパーマーケットの雰囲気のほかに、アパートだ。外国人が借りれるアパートといえば、その代表的なものは booking.com や、Airbnbだけれども、その中でもAirbnbで見つけたフルシチョフカ(ソ連式5階建て住宅)の内装を改装した部屋を見てきた。

たまたまそのホストが若くハンサムで、中国に4年留学していたり、英語の流暢だったため、彼とは連絡を取り続けているが(余談)。次回私がブハラで1ヶ月生活する時は彼にお願いするかもしれない。そんな話はさておき、1ヶ月の割引で4・5万円程度であった。

この部屋はベッドルームだけ。そのほかにも、広いキッチンに、もう一部屋ある。70平米くらいはあるので、広くて快適。もっと高い金額を払えばたくさん部屋はあるのだけれども、私はこの部屋で十分かなと思って次回来た時に借りたいと思っている。

ちなみに、上に載せたブハラの地図の下側の新しい街(道路が真っ直ぐで整備されたエリア)にたくさんレジデンスを建設中なので、今後ブハラには外国人がもっと住みやすい環境ができてくると思う。ウズベキスタンはなんだかんだで2018年に大統領が変わって以来、多くのことを目標にあげて、先進国に近づこうとしているので、今後がまさに楽しみである。

 

⑥最後に

ウズベキスタンという国は、タシュケント、サマルカンド、ブハラ、足をちょっと伸ばしてヒヴァくらいだけだと思うのだけど、日本とは違い、都市を移動するだけで民族がガラッと変わったり、建物や雰囲気もいきなり変わるので、非常に楽しい。

さらに他の中央アジアの国と違い、ほぼ主要都市間が簡単に移動可能。カザフスタンなら首都ヌルスルタンと最大の都市アルマトイは飛行機を使わないと移動できない距離だし、キルギスのビシュケクと南部最大の都市オシュの間にはいくつもの山がありバスで12時間ほどかかるが、

ウズベキスタンはウズベキスタン版新幹線(スペイン製)のお陰で、タシケントからサマルカンドまで2時間半、サマルカンドからブハラまで2時間半くらいで行けるので、旅行もしやすい。

その分、疲れやすいことや、移動ばかりで環境の変化で、体調を壊しやすくもあるので注意が必要。私は、1週間全ての都市を視察した後、タシュケントに戻ってから発熱して、そのタイミングでたまたま韓国料理店で頼んだ野菜の巻き寿司(鶏肉切ったまな板使ったのかな?)でカンピロバクターにかかってしまい、3日間寝込んだ。。

そういうこともあったが、ブハラに限ってはまた来ようと思っている。という思いで、この記事を書いた次第である。

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