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明治維新以降、天皇や日本国民を支え続けている「日本の母、女王」皇后、皇太后 TOP5

2018年7月16日

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明治維新以降、天皇や日本国民を支え続けている「日本の母、女王」皇后、皇太后 TOP5

2018年7月16日


江戸時代が終わり、明治に入ってから皇室(天皇家)は、東京に移動した。まさに、そこから新しい時代が始まるというわけだけれども、普段、天皇にばかり注目が行ってしまうためか、その天皇を支え続けている皇后にはスポットライトが当たっていない。

ということで、一般的な教養として、せめて明治~現在に至るまで、この国の女王とも言える歴代の皇后の写真とともに、その時代を見ていきたいと思う。

私は最近、日本史Bなるものを復習しているのだけれども、やはり女性はあまり注目されない。けれども、男性を動かすのは女性とも言われるように、多くの男性が昔も今も、女性にモテようとすることが、また褒められようとすることが、彼らの行動に影響しているということは、やはりあるとは思うのだ。

いずれにしても、この記事ではタブー的なものは扱っていないけれども、なんらかの復習、教養になることは間違いないだろう。

また、私自身もこの記事を書くにあたり、かなり発見があったので、ぜひ読んでいただきたい。

①昭憲皇太后(第122代明治天皇后)

生年月日 1849年5月9日
皇后在位期間 1869年2月9日-1912年7月30日(43年間)
崩御 1914年4月9日(64歳没)→明治天皇崩御の2年後

昭憲皇太后と書いたが、なぜ皇后ではないの?と思った人もいるかもしれない。それは、皇后であった時代もあったが、明治天皇が先に崩御(死ぬこと)してしまったため、大正天皇の時代(大正時代)には、皇太后であったためである。

で、上の写真は皇后時代のもの。まだ幼さも残る感じである。欧米の貴婦人と対峙できるよう女子教育を奨励し、史上初めて洋装をした皇后とされる。

江戸時代が終わり、明治になった、つまり激動の時代に、女の頂点だったのが、この昭憲皇太后ということになる。

そんな昭憲皇太后は、病弱だったため、実子はいなかった。

つまり、側室の柳原愛子に次の天皇となる大正天皇を産んでもらい、養子として、嘉仁親王(のちに大正天皇になる)の母となったというわけだ。

この時代、まだ皇室にも一夫多妻制が残っていたため、昭憲皇太后は、明治天皇の嫡妻(一家の家督を嗣ぐ嫡子に対する嫡妻の意味)として、養子という形を取らなければならなかったためである。

そんな大正天皇の生母でもある柳原愛子はこんな感じである。

柳原愛子

生年月日 1859年6月26日
没年月日 1943年10月16日

愛子(なるこ)は、明治天皇の典侍(てんじ)→(宮中の女官の最高位のもの)であり、大正天皇の生母である。皇后ではないが、大正天皇の母であるので、歴史好き、皇室好きであれば当然知っておかなければいけない人物である。

ちなみに、「筑紫の女王」と呼ばれた柳原白蓮は柳原愛子は、姪である。

柳原白蓮(この記事の下のほうにも登場する)は、1885年10月15日~1967年2月22日の詩人で、写真からも分かるように、現在の日本のアイドルのような顔をしている。

現代の日本人男性にもモテそうな感じの顔ではないだろうか?( ´艸`)

で、話は昭憲皇太后に戻って、当時、西洋と対等になるべく頑張っていた時代ということもあり、その頂点でもある昭憲皇太后は、

・華族女学校(現学習院女子高等科
・東京女子師範学校(現お茶の水女子大学

の設立に関わっており、まさに女性の地位向上のために、動いていたようにも思える。お茶の水女子大学といえば、昭憲皇太后を思い出せばいいかもしれない。

また、昭憲皇太后は、赤十字社とも関係がある。以下はウィキペディアの記述を引用。

1912年(明治45年)、アメリカ合衆国のワシントンD.C.にて開催された第9回赤十字国際会議において、昭憲皇太后が国際赤十字に下賜した10万円(現在の3億5000万円に相当)を元に創設された。

つまり、昭憲皇太后が、当時のお金で、3億5000万円ほどを国際赤十字に下賜(かし)したが、赤十字社が、そのお金で、昭憲皇太后基金を設立したのである。


この昭憲皇太后基金は、ウィキペディアには日本語版しかないものの、赤十字の英語版には、きちんと載っていて、しかも、今現在でもそのファンドは運用されており、人々の役に立っている。


Empress Shôken Fund announces grants for 2017

またこのファンドは、年を追うごとに、当時の価値の3億円の何倍にもなっていることが、ウィキペディアの記述から分かった。

第1回から第100回までの配分総額は約11億240万円であり、2015年(平成27年)3月31日時点の基金総額は約18億5730万円(1500万スイスフラン)。

ところで、皇太后は、脱着物というものを自ら進んで行っていて、「上半身と下半身の分かれていない着物は女子の行動を制限して不自由である」という言葉も残っているのだとか。

また、逸話として以下のものが挙げられるそう。

・パイプ好だった。(天皇の前では決して吸うことはなかった)
・明治天皇から、天狗さん。というあだ名で呼ばれていたそう。(その当時には珍しい、鼻筋の通った女性だったため)

 

②貞明皇太后

 
生年月日 1884年6月25日
皇后在位期間 1912年7月30日 - 1926年12月25日(14年間)
崩御 1951年5月17日(66歳没)→大正天皇崩御の25年後
公爵、九条道孝の側室(野間幾子)との間に生まれる。→当時、華族のTOPである公爵は、20人ほどしかいない。で、貞明(ていめい)皇太后といえば、東京都国立市にある滝乃川学園(たきのがわがくえん)の存続に尽くした話が有名ではないだろうか。滝乃川学園といえば、創立以来120年の歴史を有する知的障害児者のための福祉施設で、「日本資本主義の父」ともいわれる渋沢栄一も第3代理事長になっていたり、とても有名な学園である。

貞明皇太后は、大正天皇が崩御して以来、25年も皇太后として一人で頑張って来られた人物だ。

この学園はもともと、創立者の石井亮一(知的障害者教育・福祉の父)が後継者として期待を寄せていた甥石井雄一(医師)が死去したことや、園児6名が焼死する惨事に見舞われたこともあり、閉鎖される予定であったが、貞明皇后などの支援により財団法人化することになる。

平成になり、皇后美智子も非公式に来園されるなど、国民の知らないところで、この滝乃川学園と皇室の繋がりは強い絆で結ばれていることになる。

で、話は変わって、

貞明皇太后が崩御されたのは、1951年なので、つまり終戦後の期間と重なる。こんな言葉も残されていたようだ。(ウィキペディアの記述

終戦前、沼津の御用邸で過ごしていた貞明皇后と接触の深かった山本玄峰老師は田中清玄らに、「皇太后様は、戦争でこれ以上国民に苦しみを与えたくないと、いかい(=大変)心を痛めてござるわ。」ともらしていた。

また、貞明皇太后といえば、忘れてはならないのは、ハンセン病の問題に対して真剣に取り組まれていた点だ。これは、今も、ハンセン病を正しく理解する週間というものに、受け継がれている。

「ハンセン病を正しく理解する週間」は毎年6月25日(貞明皇后の御誕生日)を含む一週間が定められます。

このように、貞明皇太后の誕生日6月25日と関連付けられている。なので、貞明皇太后といえば、ハンセン病に取り組まれていた。ということを思い出してはいかがだろう。

きっと、トリビアでも何でもない正しい知識として、重要なものとなるだろう。

ちなみに、ハンセン病は、外見的に言うと体に大きなイボみたいなのができるような病気である。病名は、1873年にらい菌を発見したノルウェーの医師、アルマウェル・ハンセンに由来しているそうだ。

あえて、ここではハンセン病の写真は載せないことにする。

③香淳皇太后
 
生年月日 1903年3月6日
皇后在位期間 1926年12月25日 - 1989年1月7日
崩御 2000年6月16日(97歳没)→昭和天皇崩御の11年後
一つ前の世代の皇后なのにもかかわらず、現代人の中には香淳皇后のことをあまり知らない人も多い。香淳皇太后が、この中で他の人たちと違うのは、久邇宮邦彦王と、邦彦王妃俔子の間に生まれているので、元々皇族だった点だ。なので、小さい時は、女王と呼ばれていた。

ちなみに、久邇宮(くにのみや)邦彦王の父親は、久邇宮朝彦親王であり、明治初期の皇族である。そのため、香淳が皇后になり、その姑である貞明皇太后とは、なかなか馬が合わなかったのだとか。

つまり、当時の香淳皇后は、嫡出(正妻が生むこと。正式の夫婦間に生まれること)の皇族であったのに対して、貞明皇太后の場合は、公爵であった九条道孝の正室(宗和子)ではなく、側室(野間幾子)との間に生まれた子どもだからだ。

また事実上、明治以降、最も長生きし、しかも、激動の時代(日本が西洋にハメられた、大東亜戦争時代)に、昭和天皇や、日本国を支え続けた日本の女王である)

そんな、香淳皇太后の本名は、良子(ながこ)→私と同じ、りょうこ。かと思ったら、読み方違ってたわ(^^;

ちなみに、上の写真の赤ん坊は、まさに今上天皇(平成天皇)である。明仁天皇のイケメン的な顔は、昭和天皇の凛々しい顔立ちと、この香淳皇后の柔らかいソフトな顔にあるのだろう。

ちなみに、香淳皇后の顔と言えば、西洋文化が入ってくる前の日本人的センスで言えば、TOPクラスの美女ではないだろうか。完全な弥生顔で、そのうえ、少し骨太な感じもする。というのも、ふくよかな女性は、意外にも、どこの国でも共通してモテるので…。(肖像画では痩せてみえるけど…)
また、人柄に関しては、おおらかでおっとりとした円満な性格の持主であると言われ、昭和天皇との夫婦仲はかなり良かったと伝えられる。と言われていたり、昭和天皇のことを、「お上」と呼び続けていたことが、昭和天皇からすると、男性を立てる古風な日本女性に映ってるようで、昭和天皇も香淳皇太后に対して、かなり気を遣っていたようで、「良宮(ながみや)」と読んでいたそう。

宮とは、皇族を敬って言う語。 「―さん」である。

→女性が男性をうまく立ててあげると、男性はそれに敬意をもって接してくれるということなのか…。

Image is by corbis

www.theroyalforums.com/forums/f167/emperor-hirohito-showa-and-empress-nagako-6684.html

まさに昭和の母として、女性の鏡になる歴史的な人物である。

私が香淳皇太后の色々な写真をみて思うのは、とにかく顔に出して、ハッキリ笑う(歯を出して笑う)点ではないだろうか。→皇族なのにも関わらず、一般庶民的なオーラを感じさせることもできる。

そこが健康的な女性を象徴しているというか、周りの人を明るくする人柄がものすごく出ている点なのかもしれない。

なお、昭和天皇とともに、香淳皇后は、2回ほど海外を訪問されている。

昭和という時代が、長らく戦争中だったということもあり、意外と昭和天皇の海外訪問は少ししかなかったということだ。

・昭和46年(1971)ベルギー・英国・ドイツ連邦共和国(国際親善のためご訪問)→アメリカ合衆国,デンマーク,フランス,オランダ,スイスお立ち寄り
・昭和50年(1975)アメリカ合衆国(国際親善のためご訪問)

ちなみにこの二つは、私が以前書いた記事の中にも載っている。

「天皇皇后両陛下が、ニューヨークの国連本部をご訪問。アメリカの待遇を比較してみた」

Reference Site
www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/shinzen/gaikoku/gaikoku-s.html

④美智子皇后

生年月日 1934年10月20日
皇后在位期間 1989年1月7日 - 2019年
日本の女性の鏡としての美智子さま。戦後、日本が経済的に豊かになり、平和ボケという言葉が生まれるほど平和になりすぎた平成、つまり、平和な時代の母である。美智子さまは、世界でも評判がよく、その優しさ、声、女性らしさなどは、外国人が日本人が理想とする女性をイメージするときに浮かぶものなのかもしれない。

特に歴代の皇后では、一番いろんな国にお周りになった。回ったくりにはもう数え切れないくらい多い。(下にリストを作成した)また、自ら磨き上げた英語力で海外に自身の気持ちを発信するなど、日本国民が知らないところで、かなりご多忙な時間をお過ごしになっている。

美智子さまといえば、始めて民間出身から、皇室にお入りになった皇后である。たとえばわかりやすく説明すると、

昭憲皇太后(明治)→父、一条忠香が、公家(朝廷、つまり天皇に仕える貴族・上級官人の総称)の最高幹部である公卿
貞明皇太后(大正)→父、九条道孝、旧華族(貴族)の最高位である公爵
香淳皇太后(昭和)→父が久邇宮邦彦王で、皇族出身

と、すべて、民間出身(平民)ではなかったのだ。なので、最初は猛反対などバッシングもひどかった。

このウィキペディアの記述が分かりやすいだろうか。

皇太子妃は皇族五摂家(伯爵以上)といった特定の華族から選ばれるのが習わしとされており、平民から妃を迎える、ということが考えられなかった時代

つまり日本の皇室の歴史においても、ものすごい出来事だったということなのだ。ここで反対をした中心にいたとされるのが、

・香淳皇后
・秩父宮妃勢津子
・高松宮妃喜久子
・柳原白蓮
・松平信子


などであるとされている。

上から順番に、秩父宮妃勢津子、高松宮妃喜久子(ドイツにて)。

また、柳原白蓮は、この記事の上のほうにある詩人の美女だ。

皇族出身の香淳皇后からすれば、民間出身の女性がなぜ皇族に入るのか?と思ってしまう気持ちもわからないでもない。

また、この中で、松平信子は、当時の香淳皇后をも凌ぐ権力を持っていたとされる「影の昭和の女帝」または「昭和の妖怪」と恐れられていたそうだ。

以下松平信子の写真。

つまり、当時の美智子さまは、これだけの反対を押し切って皇室に入っているのだ。そして、現在の姿がある。

で、話は戻って、美智子さまと言えば一番印象的なのが、子どもたちへの絵本に対する熱意である。

現在美智子さまは、・日本赤十字社名誉総裁
・国際児童図書評議会名誉総裁

をお務めになっているが、上にも書いたように、日本赤十字社名誉総裁は、昭憲皇太后基金が現在も存在しているように、昭憲皇太后から受け継がれているものだ。

私が以前書いた記事でもあったように、美智子さまは、障がい者施設や孤児院などを回られるときに、お歌を歌ってあげたりすることもある。

特に外国のそういう施設を回るときに、このように美智子さまのお歌を聞くだけで、子どもたちの顔がいきなり明るくなったりする場面もあった。

以下に書いている。

「世界中で愛されている日本の皇后 (Empress) 美智子さまの英語【海外の反応】」

世界にはいくつも王室があるが、このような女王(皇后)もまた稀だと思う。

最後にもう一つ注目しておきたいのは、戦没者慰霊に何度も足を運ばれていることであろう。その国は数え切れず、以下ウィキペディアの記述を書く形になってしまうが、天皇皇后両陛下の海外訪問の記録をこの記事にも張り付けておこう。

 

天皇皇后両陛下の海外訪問一覧

・1991年9月26日―10月6日タイ、マレーシア、インドネシア(国際親善)
・1992年10月23日―10月28日中国(国際親善)

「天安門事件後、世界で孤立した中国を天皇皇后両陛下の訪中が救った?」

・1993年8月6日ー8月9日→ベルギー(国王ボードゥアン1世の国葬参列)
・1993年9月3日ー9月19日→イタリア・ ベルギー・ ドイツ(国際親善、バチカン立寄り)

・1994年6月10日ー6月26日→アメリカ合衆国(国際親善)
・1994年10月2日ー10月14日→フランス・ スペイン(国際親善、ドイツ立寄り)

・1997年(平成9) 5月30日ー6月13日→ ブラジル・アルゼンチン(国際親善、ルクセンブルク・アメリカ合衆国立寄り)

・1998年5月23日ー6月5日→ イギリス・ デンマーク(国際親善、ポーランド立寄り)
・2000年5月20日ー6月1日→オランダ・ スウェーデン(国際親善、スイス、フィンランド立寄り)

・2002年7月6日ー7月20日→ ポーランド・ ハンガリー(国際親善、チェコ、オーストリア立寄り)

・2005年5月7日ー5月14日→ノルウェー(国際親善、アイルランド立寄り)
・2005年6月27日ー6月28日→サイパン島(平和祈念、戦没者慰霊)

・2006年6月8日ー6月15日→ シンガポール・ タイ(マレーシア立寄り)(国際親善、タイ国王即位60年記念式典臨席)

・2007年5月21日ー5月30日→ スウェーデン・ エストニア・ ラトビア リトアニア・イギリス(国際親善)

・2009年7月3日ー7月17日→カナダ・ハワイ(国際親善)
・2012年5月16日ー5月20日→イギリス(女王エリザベス2世即位60周年の記念午餐会)
・2013年11月30日ー12月6日→インド(国際親善)

・2015年4月8日ー4月9日→パラオ(戦没者慰霊、平和祈念)
・2016年1月27日ー1月30日→フィリピン国際親善(戦没者慰霊、平和祈念)
・2017年2月28日ー3月6日→ ベトナム(タイ立寄り)

つまり、歴代皇后の中で、一番外国でも知名度が高いのが、美智子皇后ではないだろうか。

⑤雅子皇后

生年月日 1963年12月9日
皇后在位期間 2019年~
次期、皇后となるのが、雅子皇后である。民間出身(平民)で、超エリート(ここでは日本で言われる意味でのエリートとして高学歴の意味)である。
長らくご病気でお休みになることも多かった雅子さまは、美智子さまが皇太子妃だった時代と同様、かなりのバッシングを受けている。また、ロシアやニューヨークでも幼児期に過ごしており、その国際感覚は凄まじく、日本と西洋のどちらともの価値観を生まれながらに持ち合わせている、まさに新時代の皇后である。

「次期皇后(エンプレス)、雅子さまの英語力。世界はどのようにみているのか?」

最近は皇后になることもあるせいか、活動的になってきており、表情にもだんだんと余裕が見られている気がする。

私的には、皇后になれば、雅子さまはますますアクティブに活躍しそうな気がする。今までの皇后とは違い、女性が活躍する時代にピッタリの皇后となるかもしれない。

なんていうか、明治の昭憲皇后が活躍したように、何かを設立したりするのではないか。と個人的には思ったりもする。
個人的には、雅子さまには期待をする。という言い方はプレッシャーになるのでしたくはないけれども、新しい時代の皇后として、ご活躍されるのではないか。と思っているところだ。
いかがだったでしょうか。皇后の歴史を振り返ってみる機会はあまりないと思うので、現在の皇后まで、このような歴史があったということを軽く頭に留めておいてもいいかもしれない。


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