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アラブ(中東・北アフリカ)に存在する8つの王室と、マリク(国王)、アミール(首長)、大統領、スルタンの違い




東アジアのように、日本・韓国・中国という国同士とは違い、アラブ地域では、同じ宗教という仲間意識がありつつも、もともとこのエリアには本当の意味での国家というものがあまり存在しなく、もともとは部族同士が住んでいた土地が多いため、国という意識よりも、どこどこの部族出身という意識が強い。

その理由は、もともと国という概念がなかったこの地域に、ヨーロッパ人がやってきて、国境を勝手に引いてしまうようなことをしたからだ。

と言えばわかりやすいかもしれない。そのため、湾岸諸国の多くはイギリスの保護国から独立したという過去がある。

この記事で紹介するのは、アラブ世界における王室なのだけれども、どうだろう。日本人はアラブの王室を日本の皇室のように、長い歴史があり、価値があるものだと思い込んではいないだろうか。

また単に、オイルマネーによって派手に着飾る人が多いアラブの王室は、一種の憧れ的なものに見えるのかもしれない。

けれども、これは言うまでもなく、たまたま中東に資源があったことによってその資源によって得た利益を王族たちが無駄遣いしてるだけで、この地域にいるいくつもの貧困層には分配されていない、また上層部が作り出した過激派などによってアラブ人同士の対立がされている。ということも忘れてはいけないかもしれない。

日本の場合、天皇というのは、日本国民があって、その代表としての天皇というふうにも見えるけれども、中東の場合、完全に支配者である。

少なくても、この構造をすることで、現在の中東が抱える問題などを知る人になっていただければと思う。

ちなみに前回、中東の美女を紹介したけれども、こちらも面白いよん。

「中東、アラブの美女?ヨルダンの「ラーニア王妃」と、サウジの「アミーラ王女」」



まず初めにアラブの定義

日本人にとって一番関心のないエリアというか、複雑そうに見えて中々入りにくいエリアというのが中東だと思う。

中東といえばサウジアラビアを中心としたアラビア半島からトルコあたりまでのエリアを指し、アラブ世界と言えば、一般に、中東と北アフリカ全域を含んだものである。そのため、その真ん中にあるエジプトのカイロにアラブ連盟(ほとんど機能していない)の本部があったりする。

※パキスタンの上にあるイランは名前がイラクと似ているのと中東エリアの国なので、日本人にはよくアラブ人扱いされてしまうが、イラン人はアラブ人ではなく、アラブ世界の人でもない。(イランにもアラブ人的な人がいることも確かだけど)

アラブ人は全体的に肌が浅黒い人が多いのに対して、イランはペルシアの国であり、スペインやイタリアにもいそうな顔の人が多い。

「白人には何種類ある?北欧系、南欧系、中東系、インド系、アフリカ系を比較」

しかも、この辺には緑色の瞳を持った人たちも結構多いのが特徴。そのためイラン人はアラブ人扱いされることを非常に嫌うことも覚えておこう。

「なぜアフガニスタン人の瞳の色はブルーやグリーンなのか?【海外の反応】」

また話は戻って、カイロがアラブ世界におけるエンターテイメントの中心地でもあり、日本人からみると先端を行っているようにみえるドバイという都市よりも、カイロで使われているエジプト方言のアラビア語のほうが、アラビア語圏では認知されている。

またアラブ世界(中東・北アフリカ)以外にも、お金持ちが集まるエリアがあり、それが、GCGである。

湾岸諸国の集まりであるが、ここは一人当たりのGDPも、HDI(人間開発指数)も日本とあまり変わらない。カタールのような国は、日本の平均収入の二倍近くであったりもする。

そんな、訳の分からないゴチャゴチャなアラブ世界は、意外と王室のことを理解していれば、わかってくるものである。

ということでこの記事を書いてみた。


①サウジアラビア(国王)



設立者 ムハンマド・ビン・サウド(英語版)
設立年 1744年(サウード家)
建国 1932年(サウジアラビア)

日本の天皇のように長期間王座に就くというよりは、たびたび変わるのも特徴的。現在の国王は、サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズである。けれども、実際には次期国王候補とされる副皇太子ムハンマド・ビン・サルマーン(1985年生まれ)もかなり活躍している模様。

オバマ大統領は、アブドゥッラー前国王の葬儀に参列している。

ちなみに、よく対立構造になっているサウジアラビアとイランだけれども、サウジアラビアは1932年という最近できた国家であり、イランは紀元前678年と、かなり深い歴史のある国である。

けれども、イランはイランアメリカ大使館人質事件によってアメリカの面子を潰し、アメリカはサウジアラビア寄りになってしまったことによって、サウジアラビアは中東のボスでい続けている。

つまり、誰も逆らうことのできない中東のボスなのが、サウジ王室。とも言えるかもしれない。



そして最近のことを言えば、サウジアラビアがイランと外交断交。その後、カタールとも断交。など、俺に逆らったものは、どうなるかわからないぞ。的な態度を取っている点にも注目。

それでいて、サウジ・ビジョン2030で、投資家を集めて壮大なプロジェクトを成功させようとしている。その話に載ったのがソフトバンクの孫会長。

ちなみに今のところはまだアメリカにおける中東の盟主であり、オバマ大統領がお辞儀したり、トランプ大統領が就任後すぐに向かう国になるくらいアメリカとの繋がりが強いとも言われているが、これがいつまで続くのかは誰も分からない。

「なぜ米国のオバマ大統領が、日本の天皇やサウジの国王にお辞儀しなきゃならないんだ?【アメリカの反応】」

Reference Site
https://en.wikipedia.org/wiki/King_of_Saudi_Arabia


②ヨルダン(国王)



設立者 フサイン・イブン・アリー
設立年 1916年(ハーシム家)
建国 1946年(ヨルダン)

ハーシム家とは、イスラム教の預言者ムハンマドの曽祖父ハーシム(西暦500年頃没)の一門である。アラブの王室で、ムハンマドと繋がっているのは、ヨルダンとモロッコだけである。(ここはポイント)

ハーシム家というのは昔からあったが、現在のヨルダン一帯をハーシム家が統治するようになったのは、1921年からと言われている。

それまでは、イスラムの聖地ともいわれるメディナやメッカがあるヒジャーズを自治していた。(エジプトやオスマン帝国の属国として)

1916年~1925年の10年間の間だけ、ヒジャーズ王国というものが誕生するが、サウジアラビアに奪われてしまう。

事実、現在、イスラムの聖地であるメッカやメディナはサウジアラビアである。

またヨルダンは、1921年にイギリス委任統治領から独立し、現在のヨルダンエリアに、トランスヨルダンという国ができる。そして実際には、1946年にトランス=ヨルダン王国として承認される。

ヨルダンは中東の中でも、唯一と言われるほどLGBTなどに対して死刑などを行わない国でも有名。つまり、中東のイスラム教国の中でも、もっとも西洋化した国とも言える。つまり、サウジアラビアとは対照的である。

https://en.wikipedia.org/wiki/LGBT_rights_in_Jordan

また、ヨルダンがあまり公には言わないが、ヨルダン王室とサウジアラビア王室は仲が悪いともいわれている。

ヨルダンでアブドラ国王の王位を奪おうという企てがあった(アゴラ)

また、ハーシム家は非常に古く、以下のウィキペディアの英語版から、ハシム・イブン・アブド・マネフ(464年~497年)まで見ることができる。(預言者ムハンマドの曾祖父がハシム)

https://en.wikipedia.org/wiki/Hashemites

464年~497年といえば、イスラム教が成立する前である…。つまり血筋を見た場合、サウード家よりも格が上というふうにも見える。

またこの記事を書いていて、ハーシム家の設立は、464年になるのでは?とも思ったけれども、ウィキペディアの英語版には、フサイン・イブン・アリーからとなっていて、1916年が設立年となっていた。


③モロッコ(国王)



設立者 マウラーヤ・ハサン・アッダヒール
設立年 1631年(アラウィ―朝)
建国 1956年(フランスの保護領から)

モロッコは中東エリアではなく北アフリカだけれども、北アフリカはアラブ世界の一員なので、載せた。

現在のモロッコ一帯には、8世紀末のイドリース朝から17世紀に成立したアラウィー朝に至るまでさまざまな王朝が統治してきた。

現在モロッコの王朝は、1631年から続いているアラウィ―朝である。1912年に、フランスとスペイン(スペインの場合はほんの一部だけ)によるモロッコ保護領化が決まり、1956年に、アラウィ―朝はそのまま続く形で、モロッコという国名で独立を果たした。

https://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_Between_France_and_Spain_Regarding_Morocco

なので、王朝自体はサウジのサウード家よりも歴史が長い。

ちなみに現在の中華人民共和国のように、モロッコという国もフランスなどから独立後に確立したものである。それまでは、モロッコではなく、アラウィー・スルタン国(1631年~1915年)であった。

ちなみにモロッコの都市と言えば、カサブランカが有名だけれども、カサブランカはモロッコ最大の都市というだけであって、首都はラバトである。

Reference Site
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_rulers_of_Morocco


④オマーン(スルタン)



設立者 Ahmad bin Said al-Busaidi
設立年 1744年(ブーサイード朝)
建国 不明

アミール(首長)ではなく、スルタンという称号を使っているのがポイント。国のトップに対して、スルタンという称号を使っている国は、

・オマーン国
・ブルネイ・ダルサラーム国
・マレーシア(国王は各州スルターンの輪番制)

となっている。

ちなみにオマーンは今でこそ存在感が薄いが、以前はオスマン帝国の影響下にもあまり入っていなかったり、東アフリカの一帯を支配していたこともある(オマーン海洋帝国)。また中東の王室に、日本人女性が初めて入ったのが、このオマーン国の王室である。

「オマーン国の「タイムール国王」と「大山清子」の間にできた「ブサイナ王女」と、オマーンの歴史」

またこの王室は、皇室やイギリス王室よりもお金持ちであることでも有名。(基本、アラブの王室は他の王室に比べ搾取しまくっている印象)

「皇室は何位?世界で最もリッチな王室(個人資産別リスト)TOP10 と王宮の写真【海外の反応】」

Reference Site
https://en.wikipedia.org/wiki/Qaboos_bin_Said_al_Said


⑤クウェート(アミール)


 
設立者 サバーハ・ビン・ジャービル・アッ=サバーハ
設立年 1756年
建国 1961年(イギリスの保護国より)

サバーハ家は、サウード家よりも少し新しい王室。クウェートは地理的に言うと、イラクそのものである。

イラクには海がちょっとだけしかないが、その理由は、クウェートがイラクの海を占領しているから。と言えば、わかりやすいだろうか。

イラクとイランの間に挟まれた国であり、実際はイラクとイランの平和の上で、繁栄したいと願っている。

http://parstoday.com/ja/news/middle_east-i41482



また、クウェートはサウジアラビアがイランやカタールと断交しても、それに続いて断交しなかった。ちなみにバーレーンは、イランとカタール、両方とも国交断絶を決定。

カタールと断交した国は以下。

・サウジアラビア
・アラブ首長国連邦
・バーレーン
・エジプト
・イエメン
・モルディブ
・モーリタニア

理由はサウジに国交断絶すれ!と命令されたからだろう。( ´艸`)

ちなみに、クウェートは、カタール、アラブ首長国連邦、バーレンよりも10年早くイギリスの保護国より独立。

Reference Site
https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Al_Sabah


⑥カタール(アミール)



設立者 ジャシム・ビン・モハメド・アル・タニ
設立年 1878年(サーニー家)
建国 1971年(イギリスの保護国より)

サウジが気に食わないカタールは、サーニー家が支配する国。現在の首長(アミール)は、タミーム・ビン・ハマド・アール=サーニー(1980年生まれ)であり、結構若いということはあまり知られていないかもしれない。

サウジの副皇太子が国王になったら、かなりのライバル関係になるかも…。( ´艸`)

で、なぜサウジアラビアがカタールのことを気に食わないか?と言われれば、嫉妬だろう。一人当たりのGDPは世界トップクラス、アルジャジーラという世界中で支持されている放送局という最大の武器を使ってサウジ王室を批判したり、イランにすり寄ったことで、サウジから断交されてしまった。

結果、カタールは現在トルコと蜜月関係になっており、イランともうまくやっている。しかも、トルコと蜜月関係にあるロシアが今後、中東のボスになる可能性も否定できないと言われている。

ちなみにカタールの輸出のうち、20%は日本なので、日本がカタールにとって最大の顧客であり、日本人がカタールガス(液化天然ガス)を購入し無くなれば、カタール経済にかなり響くかもしれない。

カタールは日本(主に東アジア)から儲けたお金をヨーロッパやトルコなどに投資したりと賢い感じがする。

Reference Site
https://en.wikipedia.org/wiki/Economy_of_Qatar


⑦アラブ首長国連邦(大統領)



設立者 Dhiyab bin Isa Al Nahyan
設立年 1761年(ナヒヤーン家
建国 1971年(イギリスの保護国より)

アラブ首長国連邦とは、文字通り、首長国なので、いくつかの首長(7つ)が集まって一つの国という形態をとっている。つまり、もともとはいくつも分散されていたような首長国の集まりで、お互い力を合わせて一緒になりましょう。ということで、固まったようなイメージを持てば、わかりやすいかもしれない。

なので、アラブ首長国には、王室が7つあるということなのだ。

その中でも、アブダビとドバイがメインであり、アラブ首長国連邦の大統領は、慣例的にアブダビの首長がなるというふうに決まっている。

なので、このハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーンもアブダビの首長でありながら、アラブ首長国連邦を代表する大統領も兼任しているということになる。

ということもあり、上の写真の下にある設立者、設立年などは、アブダビの王室を書いた。ちなみにドバイの首長の息子は、中東一のイケメンで有名。

「中東一のイケメン?ドバイの大富豪、ハムダン皇太子のアラビア語が美しすぎる件!」

Reference Site
https://en.wikipedia.org/wiki/British_Protectorate


⑧バーレーン(国王)



設立者 Ahmed ibn Muhammad ibn Khalifa
設立年 1766年(カリファ家
建国 1971年(イギリスの保護国より)

サウジアラビアの子分であり、カタールとも断交した。サウジアラビアのお気に入り。2002年より政体を立憲君主制とし、従来の首長(アミール)から、君主の称号をマリク(国王)と改めた。

国として機能していない典型的なものが、このバーレーンである。バーレーン国としてイギリスから独立したのが、1971年であり、ここ最近の話である。

また面積も非常に狭く、カタール半島の北西に浮かぶ非常に小さな島。かろうじてサウジアラビアとは、橋で繋がっていて、サウジアラビアではできないことがバーレーンでもできるということもあってか、週末はこの橋が非常に混むのだとか。(サウジは戒律が厳しいので…)

で、なぜお気に入りなのか。ということは、このアラブ地域における部族に関係する。実は、バーレーンとサウジアラビアは、王家が同じ部族の出身であり、実質的にバーレーンはサウジアラビアの保護国となっている。

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