ノマド視察・ノマド滞在記 東南アジアの言語

クアラルンプール生活が合わなかった理由と、その改善点が閃いた件

  1. HOME >
  2. ノマド視察・ノマド滞在記 >

クアラルンプール生活が合わなかった理由と、その改善点が閃いた件

「東南アジアにはもう絶対に住まない!と思った理由 TOP8」にも少し触れたかもしれないが、私はノマド生活としてはクアラルンプールは合わなかった。

なので長い間クアラルンプールにいた1ヶ月間の事は書いていなかったが、嫌な都市を好きな都市に変える。という発想も生まれてきたので、まずこのクアラルンプール生活について、実際になぜ惹かれなかったのか?ということを書くとともに、

クアラルンプールは乗り換え先として、3ヶ月のビザ免除国として色々今後も訪れる可能性があるので、好きになるための新しい発見点も書いて行きたいと思う。

 

①クアラルンプールとの出会い

私は2017年前後の職場時代からもし医薬翻訳の仕事を辞めたらクアラルンプールに月々4万円〜5万円の小さいお部屋のタワマンを借りて色々な翻訳を請け負うんだ!というざっくりした夢があった。なのでもし自分が職場時代を卒業した時にはクアラルンプールに行く!という憧れがあった。

その頃から私の中ではタイのバンコクなどは候補地には入っていなかった。→変な日本人が多いという先入観が抜けないため。

さて、2018年10月、私は医薬翻訳をやめ完全にフリーの生活に入った。その辞めた後すぐに母とプーケット旅行に。その時に視察としてわざとクアラルンプール経由にして行きと帰りどちらともクアラルンプール市内に行ってきた。

行き。の時は6時間くらいの乗り継ぎ時間があったのでタクシーで市内まで飛ばして中心部などを軽く視察して空港に戻り、またプーケットから帰ってきた時の乗り換えの際は上記のアパートメントホテル(寝室が二つある)に泊まった。

 

②借りた部屋(窓がない部屋)

2019年1月13日、私は大邱での生活に見切りをつけてクアラルンプールに飛んだ。大邱は韓国という私が学生生活も過ごした国だったので居心地が良かったがさすがに盆地の1月は寒すぎてそれがクアラルンプールに移動する決心につながった。

さて私は当初タワマンのお部屋を借りたいと思っていたがなかなか良いのが見つからなく、また当時の私はケチだったのでAirbnbでも5万円くらいしか払わないスタンスだったので、市内中心部から数キロ離れた中華系が多く住むタマン・ペルタマ(Taman Pertama 駅)のホステルに一人部屋を借りた。

この地区は、BUKIT BINTANG(ブキッ・ビンタン)から南東に 6km くらいの場所で、私のホステルから2km くらいのところに、

MyTOWN Shopping Centre

Sunway Velocity Mall

AEON Taman Maluri Shopping Centre

などのショッピングモール群の街があったので、中心部に行く必要がなく、クアラルンプールの中心部は土日に、一つずつ回っていくようなスタイルで、私はそれほど中心部には詳しくはないかもしれない。それでもほとんどの観光地は回ったと思う。

さて当時の私は家賃に5万円しか払わないほどケチということは言ったが、4万円くらいだっただろうか。この部屋を借りることができた。

二段ベッドと、机+イス(これは私が近くのショッピングモールで自分で買った。。)そして、何よりもシャワーが良かった。

窓もない部屋でこれよりも狭い部屋というのは韓国で何度も経験済。当時の私はとにかく安く、しかもゴキブリがでない、日差しが強いクアラルンプールなのであまり陽が入らない部屋を求めていた。

もちろんシェアではあるが共同のキッチンがあり、このホステルは非常に清潔で、しかも1月ということもあってか、お客さんが少なく、ほぼ広いホステルを一人で暮らしている日が結構多かった。やはりクアラルンプールに部屋を借りるのは初めてだったし、8万円〜10万円使ってみて、虫が出たり、なんか違う部屋だというトラブルを避けるためにまずはここを拠点に様子を見てみようという気持ちでこの部屋になった。

 

③行ってみた観光地

上記の格安で清潔、安全な部屋を拠点に英語のレッスンがない土日などに、クアラルンプールの路線図を見ながらほとんどの繁華街、ショッピングモールは抑えた。また、インドネシア語強化期間だったので地名の意味を調べたりしながら、観光的なところはかなり行ったと思う。

やはり少し北部に行かないといけないBatu Caves(バトゥ洞窟) はいちばん記憶に残っている場所のうちの一つだ。これはマレーシア随一のヒンドゥー教の聖地の洞窟とされているところで、クアラルンプール北部の凄くわかりやすい立地にある。

私には洞窟よりも、子供を抱えた猿と、その後ろを通る白人女性のほうが興味深かったり、

洞窟まで上がっていく階段(結構大変)から南に見えるクアラルンプール方面をみたときのことのほうが印象に残った。この辺に来ると、クアラルンプール生活を遠くから俯瞰できるような感じがした。

 

④クアラルンプールはすでに先進都市

国全体でみるとマレーシアの一人当たりのGDPは130万円(1ドル100円という単純計算で)。一方日本は343万円。なのでマレーシア人の収入は日本人の半分以下という見方になると思うのだけど、東京単体だと一人当たりのGDPが日本平均の二倍以上になるように、クアラルンプール自体は日本の平均GDPに近くなっている。

もちろん都市部に富裕層が多いからそういう数字になるのだけど、つまりクアラルンプールは今やそれほど安い場所でもない。→日本人がクアラルンプールのコールセンターで働く場合、最低7000リンギット(日本円で20万円)=日本の地方都市で正社員になる大卒より全然高い。。

安い、高いの以前に、私がノマド生活に求めている新しい国への開拓という意味での、そういう興奮するものがクアラルンプールにはなかった。

 

⑤街の構造と犯罪率

私は東京よりも大阪という派であり、碁盤の目のようになった都市がもともと好き。クアラルンプールはジャングルをそのまま切り開いて無理やり作ったような非常にクネクネしていて坂も多い構造。

地図を見ても頭に残りにくい街だ。東京に近い感覚があるかもしれない。

そして何よりも歩道が少ない。そして車優先であるので横断歩道がここに欲しいの!っていうところにない場合が多く目の前にある目的地なのになぜか遠回りしないと道路が渡れないというような事がかなりあった。

また夜間の犯罪率が多いと聞いていたのであまり夜は外に出なかったというのもある。

そのためクアラルンプールに部屋を借りながら私はジャカルタ、バンドンへ視察に。そしてインドネシアの雰囲気に惹かれ、スラバヤで1ヶ月ちょっとアパートを借りたくらいである。

 

⑥野菜の質・量

ベトナムなどに比べてクアラルンプールのイオン、そのほかの高級スーパーも見て回ったけど、野菜の質が良くなかった印象が強い。やはりベトナムや私がよくノマドしている中央アジアは割と日本と緯度も変わらなく取れる野菜が同じなのだけど、クアラルンプールは赤道直下の国なので取れる野菜が違う。

日本で取れるような野菜は高いだろうし、そもそもマレーシア人って野菜食べないの?とすら思ったレベルだ。イオンには日本のお寿司とかもたくさん売っていて、私はそんなものばかり食べていて食費は4万円は普通に超えてたかも。

今は海外ノマド歴6年目であり、味噌と醤油と野菜があればなんでも作れるようになったけど当時はそれほどの知恵や技術もなかった。次回はまた違う発見があるかもしれない。

 

⑦スラバヤという新天地を見つける

上記に借りたお部屋に荷物を置いて、私はインドネシア開拓に出かけた。ジャカルタ→バンドン。バンドンには1週間ほど使い、色んな角度からホテル、アパートなどを借りてみた。そして私はインドネシアという国の方が楽しめるということに気づき、クアラルンプールに戻って部屋を出る日がきて、インドネシア第二の都市スラバヤにに移動したのである。

そしてまさにその時に念願のタワマン生活が叶った(笑)。

 

⑧結論は、タミル社会

クアラルンプールはもはや先進都市。我々がいくようなショッピングモールには日本人と肌の色も変わらないような中華系住民が多い(クアラルンプールの半分くらいは中華系という情報も)し、私みたいに知らない国を開拓、知らない言語を開拓することに喜びや楽しさを見出しているものにとってはつまらない。

けれども最近思ったのは、タミル語強化期間が入るかもしれない2~3年後には、インド南部と、その帰りに心を癒すためにクアラルンプールに再度アパートを借りようかなとも思っている。なぜなら、クアラルンプールにはタミル語を話す住民が、180万人もいる。そういうコミュニティを開拓するという意味ではクアラルンプールはまだまだ私の中で未知の領域に入る。

「タミル語を勉強するメリット【ブランド価値が高い】」

クアラルンプールの観光では、イスラム系のモスクよりも何よりも、バトゥ洞窟や、ヒンディー系の寺院がいちばん私には美しく見えた。

次回は、中心部にタワマン借りればまた見え方が違うかも。

-ノマド視察・ノマド滞在記, 東南アジアの言語

© 2024 MULTILINGIRL♫ Powered by AFFINGER5