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日本の天皇は戦争犯罪者!とイギリス人が抗議。オランダでは日の丸を燃やされ、卵を投げつけられた理由【海外の反応】

2017年12月14日

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日本の天皇は戦争犯罪者!とイギリス人が抗議。オランダでは日の丸を燃やされ、卵を投げつけられた理由【海外の反応】

2017年12月14日


なぜか、私の以前書いた記事に張り付けていたエリザベス女王と天皇陛下が面会した瞬間をとらえた動画が、削除されていました。


「エリザベス女王が天皇陛下と握手する際に、自ら一歩踏み出す理由」

この動画に関連付けられていた YouTube アカウントが停止されたため、この動画は再生できません。というような奇妙な文字が…。別にコピーチャンネルのような怪しいチャンネルとかではなく、AFP通信だった気がしたんですけどね…。あの動画がみられると何かまずかったのか?(笑)

けれども、一応証拠として上のURLの記事ではユーチューブは張り付けたままにしています。運よく、私の読者の方が、dailymotion.com という、ユーチューブのような動画共有サイトにアップロードしてあったその動画のURLを教えてくださったので、貼り付けましたが…。

それに上の記事、一生懸命書いたにも関わらず、どこだかのチャンネルに丸ごとコピーされて拡散されたり…。(;^_^A けれども私は記事を書くのを辞めません…。

ところで、今回の記事では、「天皇はローマ法王やエリザベス女王より上!!」という、なにか誤った情報が拡散されている日本のインターネット上で、意外と知られていない天皇の海外訪問におけるあまり知られていないハプニングを紹介していきたいと思います。

もともとこの記事は、「日本の天皇は戦争犯罪者!とイギリス人が抗議。全く報道されなかった天皇陛下のイギリス訪問の裏側【海外の反応】」というタイトルで公開していたものなのですが、オランダでのあの出来事も付け加えたかったので、見出しを二つ作り、イギリスとオランダの出来事を二つ統合する形でまとめました。

なので、お好きなほうをお読みくださいませ(^_-)-☆

 

日本の天皇は戦争犯罪者!とイギリス人が抗議。全く報道されなかった天皇陛下のイギリス訪問の裏側【海外の反応】

上のURLの記事で書いた出来事は、2012年のエリザベス女王 即位65周年のものです。けれども、今上天皇(明仁天皇)は過去に3回、天皇としてイギリスを訪れています。


1998年
2007年
2012年

このように、天皇陛下は何度もエリザベス女王2世に会っています。天皇になる前の皇太子時代も、お会いしている。

以下は、1998年のときの写真です。

Source : https://www.gettyimages.co.jp

うちらが、世界の権力者2人なのよー。という感じですね。( ´艸`)→私の勝手な想像を書いてしまい申し訳ないw

ま、これからは平成が終わって、以下二人が仕切っていくことになりそうですが…。
「次期エンペラー(天皇)皇太子徳仁親王と、ウィリアム王子が、今後の世界を平和に導く!?」

仕切るというよりも、平和を導いてほしいですね。私が見るに、この二人の関係はうまく続いていくのではないか?と思っている。

また、以下の写真はURLからみても、2007年の時の写真のようです。




Reference
www.theroyalforums.com/forums/f23/official-visit-from-the-emperor-and-empress-of-japan-may-27-29-2007-a-12784.html

で、本題に入っていきたいのですが、この記事で、一番上の写真。1998年といえば、冬季長野オリンピックが開催された年ですね。私は小学5年生くらいで、はじめて北海道からでて家族旅行で長野に行った年でもあります。

ま、それはさておき、

このとき、日本では報道されていなかったようですが、イギリス国内では天皇皇后両陛下に対してのバッシングがあったようです。

以下の記事(イギリスの新聞社)にも書いているのですが、


A look at past WWII-related visits by Japanese Emperor

以下の動画、(アメリカ合衆国の大手通信社AP通信)のアーカイブにもその映像は残されていました。

このユーチューブは再生数も少なく、あまり人々の関心がないことが窺えます。ですが、我々日本人にとっては知っておくべきことかもしれません。

エリザベス女王が天皇陛下に一歩踏み出すことからも分かるように、日本とイギリスの皇室・王室の交流は切っても切れない関係になっている一方、この当時、もう20年前ほどではありますが、今上天皇が即位されて10年も経たないこのころ、イギリスではこのような出来事が起きていたのです。

ま、このように、今現在ではアラブ人と白人の対立が起きていますがね…。
「英国ロンドンがイスラム教徒に乗っ取られた!?エリザベス女王やキリスト教徒がついにブチ切れていた件【海外の反応】」

こちらも、1998年の時のイギリス訪問時の映像のようですが、こちらは再生回数が上のよりも少ない。

おそらく世界では、あまり関心を持たれていないのでしょうね。けれども、やはり抗議でもが行われているほうの映像は再生回数がこれよりも多かったという…。(;´・ω・)

いずれにしても、このように、人々が知らされていない出来事って結構あるんだなーって外国語の情報を見ていてよく思ったりします…。

ではでは、上の天皇陛下の訪英に抗議デモを行ったときの海外の反応をみてみますね。

以下、海外の反応


なぜ明仁を責めるの?彼は完全な反戦争派だよ、しかも彼は何度も、日本は過去の大戦を決して忘れてはならない。と何度も謝っているじゃないか。この抗議者たちは、天皇家ではなく、東條ファミリー(東條英機)を責めるべきだな。


私は確実に天皇が、日本の過去の第二次世界大戦の残虐行為に対して深く謝罪したことがあるって思ってるよ。


日本だけが戦争犯罪をしたわけじゃないよね?あの当時の世界は狂っていたよ。でも、みんなで乗り越えたんだ。

(中国人)
イギリスだって中国にアヘンを売って中国内を荒らしまくっただろ。


なんて無知な抗議者なんだ…


イギリスがやってきた植民地に対する、そして人類に対する犯罪はどうなのよ?


これらの抗議者は日本じゃなくて、何百人も殺している北朝鮮に対して抗議するべきだよな。いまだ続いているからな。

(スペイン語圏)
アメリカは日本よりもフィリピンを荒らしまくったよな。


明仁かわいい・・。


無礼な抗議者だね。

 

マルチリンガールのコメント

天皇陛下擁護派がコメントには溢れていました。あの抗議デモ、何か利益があるのかな?とも思ったりする。雇われ?当時の状況は知りませんが、利益なしでデモに行く人がいるのだろうか?とも思ったりする。それほどイギリスでは当時でも、日本人に対する嫌悪感みたいなものが強かったのか?実に不思議である・・。

以下、昭和天皇がオランダ訪問した際の映像

昭和天皇のオランダ訪問。日の丸を燃やされ、卵を投げつけられる?

で、イギリスよりも、もっと酷かったのがオランダである。日本人はヨーロッパと言えば、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリアのような4000万人以上の人口を擁する国くらいしか思いつかないので、オランダという国を強く意識することはあまりないと思うのだけど、実際、現在のオランダはヨーロッパでも、かなりの存在感がある国になっている。

ドイツの一人当たりのGDPや、購買力平価をも超え、平均身長も超え、優秀な国として最近注目を集めている。

そんなオランダと日本の交流はなんと400年ほどもあり、そのころ存在しなかったアメリカとは違い、日本の中でも大変長い交流を持つ白人国家である。

そもそも鎖国時代、オランダのみを受け入れていたのは、「鎖国時代にオランダが日本と交易できたのは、布教しないと約束したからだった」ということからもわかるように、当時、強い力を持っていたポルトガルは、日本で布教活動(キリスト教を広める)をしたり、日本人女性を海外に売り飛ばすというタブーな歴史も存在していた。

「日本史ではフォーカスされない、タブーな日本の黒歴史、奇習 TOP15」

オランダにとっても、日本は特別だったに違い。けれども、オランダは第二次世界大戦中、自国の植民地だったインドネシアを日本に占領されたり、駐屯してたオランダ兵が日本に捕虜または抑留になったりして収容所で食糧難で餓死したりした。

その抑留者は13万人とも言われているそう。

その後も再びインドネシアを植民地にしようと試みたが、日本の影響で独立運動が高まりインドネシアは独立を果たす。

国土の狭いオランダにとって、東南アジアの大部分を占めるインドネシアという南国のパラダイスを失ってしまった。この感覚は、日本人が想像する以上に、痛々しかったに違いない。

そのため、こちらのオランダ語版の動画でも、その反日感情が一部露わになっている部分を見ることができる。

こちらは、1971年、昭和天皇はオランダ国王から国賓で招かれた(こちらから赴いたわけではない)ときの映像。03:06あたりで車が、王宮に入っていくところ、一般市民がいきなり車を追いかけるという事態に…。

しかも、中国・韓国の人たちのように、日の丸を燃やしたり、「HIROHITO GO!」=「昭和天皇はオランダから出てけ!」のような、メッセージを見せつける人も。

それくらいオランダにおける反日感情は激しいものがあったということが分かる。そのため、1986年に日本を訪問する予定だったベアトリックス女王が世論の反対にあい訪問をキャンセルするという事態に。

その後、1991年に訪問自体は実現したものの、晩餐会ですでに政治的には決着してるはずの捕虜の補償問題を出され日本が再び謝罪して賠償する羽目になったりしたとも言われている。

そんなオランダといえば、今や一人当たりのGDPでは、日本(380万円)→オランダ(485万円)、一人当たりの購買力平価では、日本(426万円)→オランダ(535万円)と、年間、一人当たり100万円もの差がある。

ちなみに、1991年当時、日本(311万円)→オランダ(227万円)であった…。

List of countries by past and projected GDP (nominal) per capita

それから、10年後の2000年、このころ、やっとオランダの日本に対する反日感情が消えてきたと言われている。その出来事が、以下、外務省のチャンネルにあった動画を見ても分かる。

43:40からみるとわかるのだけれども、Pay your debt!(君たちの負債を支払え!)のようなメッセージを掲げる抗議者などが現れたり…。

その後、慰霊碑に花を供え、長い黙とうを捧げ、ベアトリックス女王との晩さん会では、以下のように語った。

両国が、先の大戦において戦火を交えることとなったことは、誠に悲しむべきことでありました。この戦争によって、さまざまな形で多くの犠牲者が生じ、今なお戦争の傷を負い続けている人々があることに、深い心の痛みを覚えます。

このことにより、オランダでは天皇が歓迎されるようになった。例えば、今までずっと反日モードだったオランダ市民から、天皇に笑顔で手を振ったり、学生さんが「天皇皇后両陛下、コーヒーはいかがですか?」という垂れ幕を学校の教室から垂れ下げるという光景も見られた。

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