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世界に存在していた国 TOP10に、日本の「蝦夷共和国」がランクインしていたことと、東北の蝦夷とアイヌの関係




最近私は時間的な余裕から地元の言葉でもあるアイヌ語やアイヌ文化を勉強している。地元のことも語れないようじゃ、ちょっと恥ずかしいからね(^^;

で、色々調べていると、聞いたこともないようなことが次々と分かってきて頭が混乱しているようなところもあるのだけど、まず一つ私が、え?そうだったの?と思ったものとして、

実は北海道は大昔からアイヌ文化があったわけではない。ということがわかった。日本の歴史の授業では、

旧石器時代→縄文時代→弥生時代→古墳時代→飛鳥時代・・・

って習うじゃないですか?

けど、北海道のことは私は全然覚えた記憶もなく。北海道は、縄文時代がそのまま続いて、

続縄文文化→擦文文化→オホーツク文化期→アイヌ文化→現在

と、日本史にはでてきていても、あまり注目はされていないと思うのですね。



(写真は蝦夷の絵とされている…。外国サイトより)

http://emishi-ezo.net/WhoEmishi.htm

そもそも、北海道の函館周辺(五稜郭があるあたり)は、1599年に徳川家康に服して蝦夷地に対する支配権を認められて以降、和人(本州に住む日本人)がやってきているものの、その部分は長い間アイヌ民族だけが暮らす国でした。

また、和人のほうが圧倒的に強い力を持っていたので、当時アイヌの、特に若い子たちは、アメリカの白人が黒人奴隷を扱うほどまでではないにしても、労働力として酷使していたという事実も勉強して始めて知った。

またアイヌ文化が13世紀(鎌倉時代後半)に始まったとすると、その前まではどんな民族がいたのか?ということが非常に気になってきたりもした。

今現在わかることとして、アイヌ文化はアイヌモシリ(北海道・樺太)で13世紀に成立したと考えられている。

ちなみにモシリというのは世界とか、国とかそういう意味である。つまり、思っていたよりも結構アイヌ文化って新しい文化なんだってことがわかった。



少なくても、キリストが生まれたのが、2000年以上前とか考えれば全然新しい文化なのだよね。

で、アイヌ民族って何もの?というのが、わかる面白いストーリーがある。そもそも私はアイヌ民族は、東北からやってきたと考えているのです。

そして北海道の時代区分にオホーツク文化というものがあるのだけど、このオホーツク文化はアイヌ文化が始まる頃に突然姿を消すという不思議な現象が起こる。

また最近の DNA 研究によるとアイヌ民族にはオホーツク文化にあった骨と一致するのだそう。そういうことから考えても、北海道に続縄文文化から住んでいた縄文人や、東北から北に追いやられていた蝦夷(えみし)の人たちが、北海道にやってきてオホーツク文化の人たちと混血したのではないか?とも考えられる。

なので、アイヌ文化にはシベリアのモンゴロイド系の民族がもっている文化に近いようなものも持ち合わせているのではないか?



しかも縄文人といえば、当時は京都の朝廷(坂上田村麻呂)から蝦夷(えみし)と呼ばれていた東北の英雄ともいわれている阿弖流為(あてるい)とかも有名だけれども、

つまりこれを見ても、渡来人で阿知使主の子孫を自称していた坂上田村麻呂(黒人説もある…)と、日本にもともと住んでいた縄文人(阿弖流為)が日本で対立していたという、面白いストーリーも見えてくる。

征夷大将軍という漢字をみてもわかるとおり、朝廷側からみて、悪いものは何でも蝦夷(えみし/えぞ)と呼ばれてきた日本の黒歴史がある。

結局、北海道も蝦夷(えぞ)という地名にされていたしね。(^^;)はぁ!?ふざけんじゃねぇよ!って感じですが…。

余談だけど、本州来て思うのが、私が北海道人だと知ると多くの日本人が私のことを一瞬下にみるという現象が起こるときがあるということ。またその後、私が英語なんか話しちゃうと、いっきにその立場は変わる。w

っていう私は実は北海道に移住した内地の家系だけれども、歴史を知れば知るほど、日本って、美化できないような歴史がたくさんあるのだなと思ったり。結局アイヌもそうだけど、弱い立場の人たちが強い立場の人たちに歴史を塗り替えられるのだよ。

日本がアメリカに負けて、アメリカが日本の教科書をアメリカ側から見た歴史観に変えたようにね。




また、ちょっと話は阿弖流為に戻るのだけど、阿弖流為(アテルイ)は長い間、日本史の中で反逆者のような扱いをされて、良いものとはみなされていなかったことをご存知ですか?

そんな阿弖流為は平安時代初期の蝦夷の軍事指導者。(789年あたりだそう)で、1990年代以降、小説、漫画、アニメ、舞台、ドラマなどで多くの作品が登場するようになっていて、いわゆる縄文人や、東北人の間では英雄扱いになっていたりもする。

この阿弖流為が住んでいた場所は、現在の岩手県奥州市なのですが、ここは位置的に東北の中心部とも言える。また、太平洋から北海道に船で行くとすると、北海道の日高支庁が近い。



(ちなみに、アイヌとフィリピン人は似ていない…)

この北海道の日高支庁とは、アイヌの拠点ともいわれている場所だ。シャクシャインの戦いという、アイヌ民族にとって和人との最大の戦いともいわれている地は道南(函館ではないほう)の日高支庁にある現在の新日高町である。

ここは、青森の八戸から船で行くとまっすぐでものすごく東北から近い。キリストの墓が、八戸の西部にあったことを考えても、やはり東北には、朝廷から差別されていた側の人たちが多く住んでいたのではないか?と思ったりするのだ。

「青森県の「戸来村」にイエス・キリストの墓がある理由。また日本人のウソ始まったの?【海外の反応】」

というように、私は最近、東北にあった蝦夷という国や、北海道のアイヌ文化、またアイヌ文化以前に存在していた歴史に夢中になっていたりする。( ´艸`)

もうひとつ、日本人にあまり知られていないけれども、外国人に知られている情報があった。



この動画では、多くの人が、存在していたか知らない国をランキングしたものがあるのだけれども、そこになんと、北海道にかつて数ヶ月間だけ存在した蝦夷共和国6位にランクインされていた。

10位 Republic of Pirates
09位 太平天国
08位 Republic of Canada
07位 コルシカ島
06位 蝦夷共和国 ここです!! 3:50からはじまります。
05位 アクスム王国
04位 西ゴート王国
03位 中央アメリカ連邦共和国
02位 ジョチ・ウルス
01位 Kingdom of the Isles

で、なんとこの蝦夷共和国というのは、アイヌ民族によって作られた国ではないということもポイントです。



榎本 武揚(えのもと たけあき)という、オランダ留学から帰ってきた青年によって作られたとされている。これはテレビのドキュメンタリーでもよくやっているのがユーチューブでもみれたりする。

日本よりも早く、選挙を取り入れたり、オランダ留学からかえってきた榎本氏は、この北海道という場所に国を作った。

ウィキペディアにも書いてあるのですが、

On January 27, 1869 (New Style), the independent "Republic of Ezo" was proclaimed, with a government organisation based on that of the United States, with Enomoto elected as its first president (sosai). 

アメリカの支援の下、選挙によって榎本氏が蝦夷共和国の総裁になったとされている。けれども、結局これは1868年–1869年の半年くらいしかもたなかったようだ。

いずれにしても、このような歴史は北海道在住の私でさえ知らなかったし、おそらく多くの北海道人はこんな歴史なんてどうでもいいとか、関係ないとか思っていると思う。

けれど、今後、北海道にアイヌ語が復活して、文化を取り戻す気持ちのある、特に若い人がもっと増えたらいいなと、将来のことを考えながら、この記事を書いていた私でした。

FBでお友達にシェアしたところ、以下のコメントをいただきました!

安藤さん(上海在住)
良いところに目をつけましたね。
岩手県の奥州市と言えば、ついこの間までは水沢市とか平泉町とか一ノ関とかで、奥州藤原氏の勢力でしたね。源義経さんがお兄様から追討されて奥州藤原氏を頼った話をNHKの日曜夜の長編ドラマでやっていたとき毎回終わりに女子アナウンサーが解説ナレーションをしていました。義経が奥州藤原氏にかくまわれた回で平泉町の中尊寺を紹介したときに奥州藤原氏はアイヌだったと言われていますなんて言っていましたね。
水沢競馬場がある奥州市水沢区姉体町阿久戸(あねたいちょうあくと)の里は競馬場になる前
はリンゴ畑でしたが、競馬場工事のときにアイヌの古譚の遺跡が出土したいわくも伝わっていると聞きました。 それで奥州藤原氏がアイヌ人だったんじゃないかと言われたりもしたんでしたよね。(私は認知症だからあんまりおぼえてないけど)
競馬場のとなりに競走馬取引業のかたのおうちがありましたが、あそこのだんなのお父さんはそういうのをよくおぼえていました。もう死んじゃったけど生きていたとして、話を聞いても普通の人にはヒアリング不能でした。岩手弁がきつくて。
しかも岩手県競馬組合は水沢競馬場の向正面の土手のあちら側を流れる北上川の上流70キロにある盛岡市あたりの南部藩に対して、(県南は)伊達藩の勢力だから北上市あたりにあった胆沢城(いさわじょう)を境に南北でめちゃくちゃ仲が悪いのです。関ヶ原の戦いで敵味方になっていたせいでしょうか、盛岡競馬場の人とは口きかないから通訳もしてもらえません。
よこいりょうこ様がおっしゃっている北海道の日高町に最近できた門別競馬場[もんべつと言っても紋別ではない]はJR日高本線の富川駅から歩いてほんの40分ですけど(富川駅は苫小牧駅から東へ20キロ)、北側には大きな山があって山の名前はカムイエクウチカウシ岳と言います。
日本ばなれした名前。
門別競馬場は昔の帯広競馬場と旭川競馬場の廃止で新しくできたのですが、旭川競馬場があったところは旭川市神居(カムイ)町上雨紛(カミウブン)と言いましてアイヌのカムイコタン(神居古潭)があったところです。
現在はヨコハマゴムさんが冬季タイヤのテストコースにしているぐらいだから零下40度なんていう日もありました。
さっきの門別競馬場の北側のカムイエクウチカウシ岳の南東に神威山があります。
旭川競馬場のカムイは神居で、門別競馬場の山のカムイは神威です。
字が違うのです。
きっとアイヌの人は漢字が苦手だったのでしょう。
そもそも旭川という地名も住民投票でつけたわけですけど根拠がひどいです。
旭川のところに美瑛川が流れています。(ほんとは美瑛川が流れているわけではなくて流れているのは水です)
アイヌの人はあれをチップチャップと言っていたのでした。
朝日に輝く水という意味ですね。
住民投票の候補名を書く人が、そのチップチャップを朝日に輝くではなく旭に輝くと間違えて書いたのでした。 アイヌ人は漢字に弱くて。
しかも町の名前は「あさひかわ」なのに駅の名前は「あさひがわ(AS AH IGAWA)」です。
どこまでもテキトーです。


北原さん
南高北低ですか。しばらく、りょうこさんにお目にかからないなと思っていましたが、猛勉強中だったんですね!!この記事とてもよく、まとまっています。大変興味深く拝読させていただきました。メルシーボク!!コマタレブー!

Takedaさん
平安時代初期までに朝廷に対し降伏した蝦夷のなかで、同化の浅い者達を夷俘(いふ)。同化の進んだ者達を俘囚(ふしゅう)と呼んでいたそうです。
俘囚達は狩猟技術、戦闘技術、騎馬術に長けており、当時台頭してきた武士に多大な影響を与えました。
俘囚達が使用していた蕨手刀は後の日本刀へ進化しました。


北海道に関して言うなら、食料自給率を考えても独立して行けると、小学生の頃に思った。

蝦夷共和国総督の榎本武揚は、蝦夷共和国時代に後の時代の手本になる様な、様々な試行錯誤の実験をしています。


Yoshikoさん
アイヌの若者をぱっとみると、むしろ沖縄のひとを色白にしたような顔立ちの濃さが目に入ってくる感じがしました。

言葉から分類してみていたものを、今度は遺伝子などから生物学的に、追っかけてみている研究まとめという理解で合っていますかね?


東北から説…

権力者の征服欲(征服したものは、また征服されることをおそれて、征服し続けるのかな…)もさることながら、
始まりのところは、気候⇔衣食住を満たすための、地の移動とが、もっとあった時代かな……とも想像しました。


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世界に存在していた国 TOP10に、日本の「蝦夷共和国」がランクインしていたことと、東北の蝦夷とアイヌの関係 世界に存在していた国 TOP10に、日本の「蝦夷共和国」がランクインしていたことと、東北の蝦夷とアイヌの関係 Reviewed by よこいりょうこ on 4月 10, 2018 Rating: 5

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