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お辞儀はしてる?韓国歴代大統領の天皇陛下謁見を比較 TOP8

2015年3月29日

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お辞儀はしてる?韓国歴代大統領の天皇陛下謁見を比較 TOP8

2015年3月29日


お隣の国、韓国。1948年8月15日に樹立した中華人民共和国と同様、比較的若い国です。北には北朝鮮という国があり、南北が分断されている状態。

現在は北朝鮮と休戦中(朝鮮戦争休戦協定)つまり、現在でも、予断を許さない状況が続いている国です。

私はそんな大韓民国に2年ほど留学していましたが、


2010年11月23日 大延坪島近海で起きた延坪島砲撃事件
2011年12月17日 金正日総書記の崩御
(ほうぎょ)→この言葉は天皇陛下に使う言葉ですが…。

以前から、天皇陛下が外国の要人と会う際に、どのような動きをされるのか?ということに監視て私はいつも関心を寄せていました。今までもたくさんの記事を作ってきていますが、お隣の韓国の大統領と天皇陛下がお会いになる際の記事は今回が初めてです。

この記事では私が知っている限りの、韓国の歴代大統領と日王(韓国人側からみた天皇)の面会映像を解説していきたいと思います。

ちなみに、日王というのは、日本の王という意味で、韓国では日本の統治された過去の経験から、天皇という言い方をするのは避ける傾向があるようです。

「なぜ日王(日本の天皇)は韓国をご訪問されないのですか?【韓国の反応】」

また上のURLにもあるように日本の天皇が訪れていない世界の主要国は韓国とロシアだけという状況もあり、韓国にも天皇が訪韓してほしいという声もある一方、来るなら謝罪しろ!みたいな論調もあるのが、またまずかしいところですが…(;^_^A

ちなみに天皇皇后両陛下は天安門事件後に、中国を訪問済。

いずれにしても、韓国という国は1948年に成立した国であり、その前は、日本の統治下にありました。(1910年 - 1945年)→結構長い。

その際、朝鮮半島で地位の高かった人はみな日本と関係があり、また明治以降にできた日本の華族(日本版貴族)のように、爵位も与えられています。

別の記事でリスト化しましたが、

「朝鮮貴族の「侯爵、伯爵」リスト TOP21 と、韓国を裏切った親日派(チニルパ)→「乙巳五賊」「丁未七賊」「庚戌国賊」リストに載った人物たち」

いわゆる日本側にいた人間が、親日リストに載せられたりしているというくらい、つまり、日本の統治から解放されるという名目でできた国が大韓帝国なのです。

そういうこともあり、日韓関係は良くなったり悪くなったりを繰り返す運命になるのは言うまでもない。ということは先に言っておこうと思います。

そういう知識も踏まえながら、以下の韓国大統領が天皇陛下に面会する場面をみていただくと、より理解がふかまるかもしれません。

また、以下の動画を見比べるだけでも、その時の時代が何となくわかってくるのが面白いですよ。

 

全斗煥チョン・ドゥファン)



生年月日 1931年1月18日
出生地 慶尚南道陜川郡栗谷面内川里
出身校 陸軍士官学校
任期 1980年8月27日 – 1988年2月24日
配偶者

こちらの映像は韓国の国家元首としては、初めて来日した全斗煥の映像です。いつころの映像かと言うと、1984年9月6日と書かれています。

大韓民国が成立してから、なんと35年も経ってやっと、こういう機会が訪れたということですね。

1984年といえば、現在では誰もが持っているような、スマートフォンの iPhone などのメーカー、米アップルコンピュータがマッキントッシュを発表した年。

また、冬季サラエボオリンピックが開幕したり、ロサンゼルスオリンピック開催されたりした年。1987年生まれの私も知りませんでしたが、昔は冬季夏季オリンピックは両方とも同じ年に行われていたみたいですね。これは、同年開催は、1992年まで続いたそうです。

で、日本の平均寿命が男女とも世界一に。なったのもこの年であり、まさに韓国が日本に接近したくなるという、そういう状況であった年だったと考えてもよいかと思います。

この動画では、日韓新時代の幕開け。という毎日ニュースの映像がでてきますね。

この際、大統領夫人である李 順子(イ・スンジャ)も同行。→ちなみに、李 順子氏は、2004年、不正蓄財の問題で、検察に召喚されている。→韓国の大統領、またその側近はかならず、こういう不正で連れていかれてしまうのですよね…。

この映像の1:49あたりから、皇居の豊明殿(ほうめいでん)で昭和天皇と面会。お辞儀するようなショットはなく、一緒に歩いているだけです。

韓国側の大統領からすると、日韓を併合され、自分たちは日本より下だと思っているので、そういう状況を考えても、大統領が頭を下げるということはなかなか難しいだろうと思います。

また晩餐会の挨拶では、昭和天皇が、

両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならないと思います。

というふうにおっしゃっています。

またこのとき、全斗煥大統領は二回にわたって、中曽根首相と首脳会談を行い、永遠の善隣友好関係を気づくことや、ソウルオリンピックの成功を確信していることなどを伝えたりしています。

そう。この四年後にソウルオリンピックが開催されています。そう、この全斗煥の日本訪問が、日本と大韓民国におけるスタート地点とも言えるかもしれません。

盧泰愚(ノ・テウ) 

生年月日 1932年12月4日(85歳)
出生地 慶尚北道達城郡公山面新龍洞(現在の大邱)
出身校 陸軍士官学校
任期 1988年2月25日 – 1993年2月24日

配偶者 金 玉淑
(キム・オクスク)

この動画では、東京赤坂の迎賓館から、盧泰愚氏と今上天皇(明仁)がでてくる。またその後ろには、美智子皇后と、ファーストレディーの金 玉淑(キム・オクスク)がいる。

で、この韓国大統領の公式来日は、6年ぶり2回目と言っている。

映像がちょっと良くないかもしれませんが、とても貴重な映像です。1990年5月24日の映像のようですね。

また今上天皇(1989年1月7日)が即位してからすぐの年です。つまり昭和天皇が、1989年に崩御しています。その際に韓国からは、

・姜英勲国務総理
・申東元外務次官
・李源京大使

この3人が、大喪の礼(たいそうのれい)参列したと言われています。







また、この年といえば、

・1989年9月5日→韓国・北朝鮮、分裂後初の両国首相会談。
・1989年9月30日→ソ連と韓国が国交樹立。

というように、韓国が国として、自信を高めていく年でもありました。1988年のソウルオリンピックにより、この勢いが加速していったのかもしれません。

映像では、ファーストレディが、李順子氏の時と同じように、韓服(チマチョゴリ)をお召しになっていますね。

やはり美智子さまは配慮して着物をお召しになっていない?とも思ってしまった私…。

美智子さまといえば、要人に合わせてうまくお召し物を変えることのできるお方なので、私はいつも、美智子さまがどんなものをお召しになるのか、興味深く観察しているんですよ~。( *´艸`)

「世界中で愛されている日本の皇后 (Empress) 美智子さまの英語【海外の反応】」

金泳三(キム・ヨンサム)

生年月日 1927年12月20日
没年月日 2015年11月22日(87歳没)
出生地 慶尚南道統営郡長木面外浦里(巨済島)
出身校 ソウル大学哲学科
任期 1993年2月25日 – 1998年2月24日

配偶者 孫 命順
(ソン・ミョンスン)

この映像は、1993年8月9日 - 1994年4月28日に内閣総理大臣を務めた細川護熙(ほそかわもりひろ)前首相が映っているので、金泳三前大統領(キム・ヨンサム)に間違いありません。

天皇陛下にお辞儀はしていません。

というよりも、私が目に留まったのは金泳三前大統領(キム・ヨンサム)夫人の韓服姿。

チマチョゴリをお召しになって天皇陛下に面会するなんてすばらしいと思いました。こういう伝統的な服を着ているとやはり絵になりますね。

もちろんチマチョゴリがこんなにきれいになったのは最近のことですが…( *´艸`)→とはいっても、以下の記事でも書きましたが、胸元が露わになっているチマチョゴリは、あれはあれで画期的、また美しいと個人的には思います。最近の日本人が一つの視点からしか物事を考えられないようになっていることこそ、非常に残念ですね…。(^^;)

「韓国(朝鮮)でタブーとされている、奇習、黒歴史 TOP10」

話は戻って、映像を見る限り、金泳三大統領と天皇陛下は同じ地位のように見えます。


また、この1993年~1994年あたりの前、ちょうど1992年には、天皇皇后両陛下が、中国をご訪問されていたのは、あまり知られていないようですね。

「天安門事件後、世界で孤立した中国を天皇皇后両陛下の訪中が救った?」

ま、どちらも一国の代表としては変わらないので、特別天皇陛下にお辞儀をすることは、何かやましいことがあるのかな?と個人的には思ってしまうかも。

また援助してくれ…。みたいな…。

ちなみに、今回も皇后陛下は着物をお召しになっていません。韓国の大統領夫人を配慮したのか?

それとも、着物を着る必要もないほど格下な面会だったのか?どちらかですね…。

 

金大中(キム・デジュン)



生年月日 1925年12月3日
没年月日 2009年8月18日(83歳没)
出生地 全羅南道新安郡荷衣面後広里
出身校 慶煕大学校大学院
任期 1998年2月25日 – 2003年2月24日
配偶者 李姫鎬(イ・ヒホ)

金大中大統領、そして大統領夫人の李姫鎬氏、どちらとも天皇皇后両陛下にお辞儀をしています。また美智子さまは着物をお召しになっています。なんだか、とても平和的な感じにも見えますね。この映像は、この当時の日本の状況も垣間見ることができます。


また、天皇陛下が若い!(私のタイプすぎる!イケメン!!)

このように、映像が残されていること。これは本当に感謝ですね!それにしても、AP通信のインタビューで金大中が流暢な英語を話しているのは、非常に印象的でした。

この面会は金大中氏が大統領になり同年の1998年10月に金大中大統領が訪日した際の映像ですね。どうやら、日韓ワールドカップ(日韓の交流がさらに加速する契機として認知されているもの)は、この来日によって決まったそうです。(^^;)

ちなみに金大中氏は英語がものすごく堪能なのが、印象に残ります。

この訪問では、小渕恵三内閣総理大臣と日韓共同宣言を発表し、韓国でそれまで禁止されていた日本文化開放を推し進めた。

映像の 1:56 あたりをみると、この当時って韓国と言えば、日本の10年、20年遅れた国っていうイメージでしたよね。

今じゃ、誰もそんなふうに思わなくなっているのが、また面白い。それだけ、韓国の経済成長率は急激に伸びたということですね。

参照
金大中大統領の訪日(評価と概要)外務省ホームページ

また、ちょっと天皇陛下との会見というタイトルとはずれてしまうが、金大中氏は、日本訪問の後の2000年6月に、北朝鮮と初の南北首脳会談を行っています。

これは歴史的な瞬間であり、

このような演出が行われました。今までにないくらい北朝鮮のアナウンサー?ナレーター?の興奮度が高まっている映像からも、この出来事の凄さが分かると思います。

また、金大中氏はこの日本訪問の10年前くらいの1989年1月8日、昭和天皇が崩御した際にも、在韓日本大使館に設置されていた焼香所で90度のお辞儀をして拝礼をしたことが韓国の新聞で報じられていました。

数十年前まで統治されていた身である韓国からすると、日本の天皇に対してお辞儀をすることは心理的には難しい状況なので、この新聞は私にとっては、かなり印象的だった。

金大中氏は、2009年8月18日に死去してしまいますが、85歳だったので年齢的な問題もあると思いますが、韓国は、暗殺だとか陰謀論だとかいう噂もあったりします。
2009年8月18日の金大中元大統領の85歳での死去は、色々噂されていますよね。

金大中氏は、日本やアメリカを行き来していた人物ということはあまり知られていないようです。過去には、金大中事件というものがあったりもしました。

1973年8月8日、大韓民国の民主活動家および政治家で、のちに大統領となる金大中が、韓国中央情報部 (KCIA) により日本の東京都千代田区のホテルグランドパレス2212号室から拉致されて、船で連れ去られ、ソウルで軟禁状態に置かれ、5日後にソウル市内の自宅前で発見された事件である。

そして、1977年には、学園浸透スパイ団事件で「韓国民主回復統一促進国民会議」の議長とされ、死刑判決を受けている。そこに、当時の鈴木善幸首相が、崔慶禄駐日大使と会談し、憂慮していると発言し、韓国側からは内政干渉だ!とまで言われています。

また、

1985年2月8日、亡命先のアメリカからの帰国を強行し軟禁状態に置かれたが、3月6日に全斗煥大統領により政治活動を解禁された。

とも書かれているとおり、アメリカに亡命していた時期もあり、まさに韓国、日本、アメリカをよく知っている人物でもあったのです。

ウィキペディア

盧武鉉(ノ・ムヒョン)

生年月日 1946年9月1日
没年月日 2009年5月23日(62歳没)
出生地 慶尚南道金海市
出身校 釜山商業高校
任期 2003年2月25日 – 2008年2月24日
配偶者 権 良淑(クォン・ヤンスク)

天皇陛下とお会いしている映像は発見できませんでしたが、盧武鉉さんが日本のテレビ番組でスマップの草彅剛さんとお話しているような映像はみつけることができました。

こちらについては、廬武鉉大統領の2003年の来日についてまとめられいたホームページを見つけましたので、以下をご覧ください。


韓国盧武鉉大統領が来日(
2003年6月6-9日)

ちなみに、盧武鉉前大統領は若者による熱烈な支持によって当選されたようです。また大統領を終え1年後の2009年に死去してしまいますが、その際、盧前大統領の葬儀を国葬に次ぐ格式の「国民葬」として執り行うことが決定され、国民葬の期間を23日~29日の7日間に定められた。とされていて、国民から絶大な支持を得ていたようです。

노무현 국장(盧武鉉 国葬)

と検索するとユーチューブでもその類の動画が出てきます。

 

李明博(イ・ミョンバク)

生年月日 1941年12月19日(76歳)
出生地 大阪市平野区
出身校 高麗大学校
任期 2008年2月25日 – 2013年2月24日

李明博前大統領。これはとても有名な写真ですね。きちんとお辞儀しています。しかも、笑っています。とても有効的なムードが演出されているような気がします。気のせいでしょうか?李明博前大統領は、韓国による天皇謝罪要求で一躍有名になりましたね。
天皇陛下とお会いすること、これは一種のステータスだという風に私は考えます。
例えば、ヨーロッパの王室が天皇陛下を特別扱いすることは有名ですが、
仮に李明博さんが天皇陛下にも会ったことがない大統領だった場合と、天皇陛下にお会いしてお話したこともある大統領だとすると、ヨーロッパの王室関係者が李明博さんを見る目も少し変わると思うのです。
それだけ一般人からすると格上の存在である王室(日本では皇室ですが)の関係者と会うということは、普通の政治家からしたらすごいことなのかもしれません。
ということを利用した後、大統領を辞任する直前に、竹島(韓国名、独島)に上陸したことで話題になりましたね…。( ´艸`)

⑦朴槿恵(パク・クネ)

生年月日 1952年2月2日(66歳)
出生地 大邱広域市中区三徳洞
出身校 西江大学校電子工学科
任期 2013年2月25日 – 2017年3月10日

残念ながら、パククネさんは日本にいらっしゃる気はないようです。( ´艸`)

面白いことに、この映像では、中華の皇帝である習近平国家主席の左には、奥様。また右にはパククネさんという習近平さんにとって特別な存在ともいえる女性が立っています…。

でも、面白いですね。

今まで続けて韓国の大統領が天皇陛下とお会いしているのに、朴槿恵以降は、天皇陛下とお会いしないのは不思議といえば不思議です…。

が、これは日韓の協力体制がどんどん遠ざかっていく証拠なのかもしれません。

文在寅(ムン・ジェイン)

生年月日 1953年1月24日(65歳)
出生地 慶尚南道巨済市
出身校 慶煕大学校法学部法律学科
任期 2017年5月10日~

出身地はなんと、③の金泳三と同じ巨済市。人口たった25万人しかいない韓国の南部の年から2人も大統領が輩出されるなんて…。と思いますね。
文在寅氏は現在のところ天皇陛下と面会するようなことはないと思われます。

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